育児や介護などのケアは、その多くを女性が担っている。かつて「男が仕事、女は家庭」というモデルで説明されてきたこの構図が、共働き世帯が多数を占めるようになった今も続いているのはなぜだろうか。一方、ケアという言葉は様々な場面で使われ、負担の重さが見えにくかったり、軽視されたりする面もある。「女性はこまやかな気遣いができる」などの言説や、「ケア格差社会」とも呼べる現状等のケアをめぐる問題について、山根純佳・名古屋大学環境学研究科教授にうかがった。

山根純佳・名古屋大学環境学研究科教授
ケアとは何か、なぜ問題になるのか
――「ケア」という言葉は幅広く使われていますが、「ケア」とは一体なんでしょうか。
「ケア」について考えるとき、そこにはいくつかの境界線があることが前提となります。広くは「ヘアケア」「スキンケア」にも使われているように、「対象に関心を注ぐ」という意味の「ケア」があります。また、誰かを励ましたり話を聞いてあげたり手伝ったりする「ソーシャルサポート」、あるいは「思いやり」「気遣い」など、社会を円滑に回すためのフォローとしてケアという言葉が使われることも多いです。
一方、他者の生命に対する責任が伴う世話をする労働、これは「ケア労働」と呼ばれます。その責任の重さは、ケアが乳幼児や高齢者、障害や病気を持つ人などの「脆弱な人々」を対象とした支援であるかどうかが大きく関わります。近年政策用語として使われている「ケアマネジャー」「地域包括ケアシステム」「医療的ケア」等、介護・福祉・医療政策におけるケアも、こうしたケア労働をさしています。他者の支援がなければ生存が危うくなりかねない人々へのケアは、社会の基礎にある活動(エッセンシャル・ワーク)と言えます。こうした「ケア労働」は、冒頭の「ヘアケア」や「スキンケア」、また職場での人間関係への気遣い、という意味での「ケア」とは分けて考えるべきでしょう。
さらに、「ケア」には社会的責任が伴うかどうか、つまり他者からの評価の対象になるのか否かという境界も存在します。たとえば子育て中の母親は、目の前の子どもに関心を注ぎ、様々な支援をしますが、そこには親としての責任だけではなく、「母親として子どもをちゃんとケアしているか」という社会からの視線を意識せざるを得ないがゆえのプレッシャーも付随しています。なぜなら、お弁当の中身や子どもの健康状態、振る舞いなどは可視化されて常に評価され、子どもに何らかの問題が生じたとき、多くの場合、批判にさらされるのは母親だからです。
上記のケアの境界線は複雑で、はっきりと線引きできないときもありますが、こうしたケアと責任の問題を明確にしないと、「気遣いや思いやりというケアは誰にでもできる、誰もがやっていることだ」とされて、労働としてのケアの負担は軽視されがちです。
――「ケアがしんどい」と語られるとき、そこに責任が伴うかどうかも影響しているのですね。
「名もなき家事」という言葉がありますが、ケア責任の重さは、目に見える「タスク」だけでなく、その裏側にある膨大な作業も含めて測る必要があります。
ケアにはイギリスの社会学者ジェニファー・メイソンがsentient activity(SA)と呼ぶ、「感知し考える活動」が求められます。ケアする相手の生命や健康を守り、より良い状態にするタスクの実行には、相手のニーズを感知し、どんな手助けをすべきか思案し、様々な人間関係を調整する作業をしなければなりません。たとえば「離乳食を食べさせる」というタスクは、単に空腹を満たすだけのものではなく、子どもの健康や発達はもちろん、予算や時間なども考慮した様々な段取りを経て行われます。今は選択肢が多い時代ですから、その中から何を選ぶかという負担も増大していると言えるでしょう。そして、膨大なSAをこなし、ケアのしんどさを引き受けているのは多くが女性です。
ケアの負担はなぜ女性に偏るのか
――今の時代、仕事を持つ女性も増えていますが、「仕事+家庭内のケア」がのしかかっています。なぜ未だに女性にケアの負担が集中しているのでしょうか。
女性にケア労働が集中している現実は、様々なデータで示されています。総務省の調査(2021年)によれば、6歳未満の子どもを持つ夫婦の1週間あたりの家事・育児労働時間は、全国平均で夫が1時間54分と前回調査(2016年)から31分増えたものの、妻は7時間28分と未だに約3.9倍の差があります。家庭内の無償ケア労働だけではなく有償ケア労働でも、介護職の7割以上、保育士では約95%、看護師の約91%が女性です。


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邦訳は1986年刊行『もうひとつの声 男女の道徳観のちがいと女性のアイデンティティ』(岩男寿美子監訳、生田久美子・並木美智子訳、風行社)、および2022年刊行『もうひとつの声で 心理学の理論とケアの倫理』(川本隆史・山辺恵理子・米典子訳、川島書店)がある。