ただ、私自身も、もちろん誹謗中傷を受けることがなかったわけではありません。「税金を使って、高い医療費をかけて、何のために生かしてるんだ」とか「ほのちゃんに意思はないんだから、生かしてるのは親のエゴだ」なんていうことは、もうずっと言われ続けていますね。
最首 何も生み出さず、生産性がないのに金を使う「穀潰し」はいらない、という考え方は今も生きていますよね。アメリカなどはそうした「働かざる者食うべからず」「生産しない者は人間じゃない」といった考え方が根底にあって、だから国民皆保険制度もなかなか進まない。日本はそこまでにはなっていないけれど、それでも時折、社会的に力のある人から「生産性のなき者は去れ」という意味の発言が飛び出したりする。その「穀潰し」に対する攻撃がまさにやまゆり園の事件だったわけですね。
今は、社会全体が相当などん詰まりにきている時代だと思います。つまり、経済やお金ばかりを追い求め、「より高く、より速く、より強い」未来を目指してきた世界のあり方そのものに限界がきている。その中で、「私たちとは、人間とはいったい何なのだ」ということが改めて問われるようになっている気がします。そして、それに一つの実践として答えを出しているのが、たとえば帆花さんとご両親であり、星子と星子の母親ではないのかと思うんです。
これまでの見方──障害者運動なども含めてですけれど──では、星子や帆花さんのような障害のある子は「欠けている人間」とみなされてきた。どこかが欠けているから、それを周りが補って、足してやっと一人の人間、みたいに考えるわけですね。そうではなく、「欠けている」と考えること自体がおこがましい。今の社会ではまだ認められていないけれど、今のままの星子、今のままの帆花さん自身に価値があるんだ。そんなふうに考えていくべきじゃないかと思うのです。
人間と人間の関係を主軸に据えて
──先ほど最首さんが、養護学校を卒業した後の「居場所」がないことに苦労したとおっしゃいましたが、理佐さんはどうでしょうか。帆花さんに関して、もっとこんなサポートがあれば……と感じられたことはありますか。
西村 帆花が在宅生活を始めてからの14年間で、ヘルパー事業所も訪問看護ステーションも、子どもを受け入れるところは格段に増えました。医療的ケアが必要な子どもでも通える放課後等デイサービスなどもできたし、子どもを対象とした福祉サービス自体はとても充実してきたと思います。
だから、数年前──ちょうど映画を撮影していたころまでは、帆花もそうしたサービスを使って、「こういう子たちは普通、こういう過ごし方をするんだよ」という「レール」に乗せることができると思っていたんです。それで、いろいろな施設に預けてみたりもしたのですが、結局集団生活では帆花に必要なケアが行き届かなくて、体調を崩してしまったんですね。肺が真っ白になって死にかけたこともありました。
周囲からは、「親から離れて自立するためには、親も本人も我慢しなきゃいけない。集団生活を送るなら、我慢するのが当たり前でしょう」と言われました。でも、我慢っていろんな種類の我慢がありますよね。「いつでも私が一番」ではないのは当たり前のことですが、帆花はトイレに行きたいと顔を真っ赤にして意思表示をしていても、誰も見に来なければ気づいてもらえません。「自立」のためにそんな生理的な我慢までを強いるとしたら、それはおかしいんじゃないかと思うようになりました。
じゃあ、どうしたら十分なケアを行うことができて、本人の意思をくみ取った生活ができるかといったら、やっぱり「家にいる」ことが基本になります。そうすると、訪問の看護師さんやヘルパーさんに支えてもらうことになるんですが、看護師さんは滞在できる時間が短く、24時間ひっきりなしにケアが必要な帆花の生活を支えていただくにはとても中途半端になってしまうんです。一方、ヘルパーさんは長時間いてくれるけれど、実施できる「医療的ケア」の内容は、帆花に必要なケアのうちの一部に限られてしまうんですね。一人の子どもが家で「生活」していく上で必要なケアをやっていただくのにも、これは「介護」ではなく「医療」でないとダメ、とか。せっかく介護職が「医療的ケア」を実施することが認められていても、本人の個別性と生活の実態に沿った支援を受けるのはかなりの至難の業です。
──サービスの種類や量が足りないというよりは、融通が利かなくて帆花さんの生活サイクルに合わせられない、という感じでしょうか。
西村 というより、ケア一つ実施するのにも、生活を組み立てていくのにも、「制度ありき」から出発するので、「本人不在」「生活不在」となっているのが悩みです。たくさんの職種の方々の支援が必要となる中で、「多職種連携(専門性の異なる人たちが連携してケアを提供すること)」ということも言われていますが、そこに本人の意思や、生活実態が反映されていないのでは支援は成り立ちません。
結局、それぞれの職種の「職務」と「責任」があるので、その難しい部分をなんとか調整して、ケアしてくださる方たちを「チーム」として回していく役割は、母親である私が担わざるを得ません。それでチームとしての体裁が保たれればまだ良いですが、帆花のいのちを守るのにどうしても必要なケアが「教科書と違うからできない」「そんなやり方では責任がとれない」と言われることもあります。ケアの個別性が認められず、そのケアを「やらなかった場合の責任」は放棄され、手を離されてしまうだけでなく、そもそも支援自体を引き受けてもらえないということも起きています。
最首悟さん
1936年、福島県に生まれ、千葉県にて育つ。東京大学大学院動物学科博士課程中退。同大学教養学部助手を27年間つとめた後、予備校講師、和光大学教授を歴任。和光大学名誉教授。東大助手時代から公害問題や、障害者と社会の在り方を問い続けている。主な著書に『水俣の海底から』(1991年、水俣病を告発する会)、『星子がいる』(1998年、世織書房)など。
西村理佐さん
1976年、神奈川県横浜市生まれ。大学時代は心理学を専攻し、心理カウンセラーを目指すも断念。同じ病院に勤めていた秀勝さんと院内の交流会で出会い、2003年、27歳の時に結婚。4年後の2007年、帆花(ほのか)ちゃんを授かる。自宅で育てることを決意して以来、病院で秀勝さんと「医療的ケア」の手技を学び、翌2008年の7月に帆花ちゃんが退院。家族3人、自宅での生活をスタートさせる。著書『長期脳死の娘とのバラ色在宅生活 ほのさんのいのちを知って』(発行:エンターブレイン、2010年)を上梓するなど、執筆活動や講演活動も。