鉄腕アトムの呪縛
日本には「アトムの呪縛」が存在するという指摘がある。
日本はアトムの影響を受け過ぎて、あの理想像から抜け出せないのではないか、すなわち、アトムとは異なる理想像を思いつかないのではないか、という危惧である。ロボットに限った話ではなく、影響力のある「目標」の存在によって、他の目標に目が向かなくなるということは、あり得る。
アトムの影響力は大きいので、当然、その負の面は存在するだろう。ただし、有力な目標が存在しない状態よりは、存在する状態のほうが、その目標に向けて前進できるだけ、はるかに望ましいと思う。アトムは、正の面が負の面を上回っていると、筆者は考えている。
鉄腕アトムはともかくとして、日本は人間型ロボットの研究開発に偏っている、という指摘もある。これは国内外のロボット専門家からも、ときどき言われていることである。確かに、人間型ロボットの研究は、日本が非常に進んでいる。これは前述したように、人間型ロボットに対するアレルギーが少なく、むしろ親近感を抱いている国民性から来ていると思われる。
なぜ「人間型」にこだわるのか?
とは言っても、みんなが人間型ロボットを作っているのではなく、ロボット研究者のごく一部が作っているに過ぎない。多くの研究者は、人間型ではないロボットを作っている。ロボットは機械の一種であり、機械はその使用目的に応じて、最適な形や大きさがある。
たとえば瓦れきの山の中を移動するのに、無理をして人間型ロボットを使う必要はない。人間がそうであるように、人間型ロボットも移動がむずかしいからである。キャタピラーなどを用いたロボットのほうが効果的なので、そういうロボットを作ればいい。
ではなぜ人間型ロボットを作っているかと言えば、家庭に入るロボットを考えているからである。家庭は人間向きにできているので、人間型のほうが行動しやすい。人間が使っている道具、たとえば椅子、取手、階段などを使いこなすには、人間型のほうが楽である。
さらには、人間とうまくコミュニケーションをするにも、人間型のほうがいい。人間はなんといっても、同じ人間と一番うまくコミュニケーションできるように、できているからである。
人間型ロボットが日本を救う
日本が人間型ロボットで突出しているのは、ビジネスとしても悪くない。西欧圏が人間型ロボットに対して、引き気味の間に研究開発を進めて、実用化にこぎつければ、テレビやビデオなどの家電製品のように、各家庭に普及する可能性がある。
良い製品であれば、西欧圏を含めて、外国でも受け入れられるはずである。よく言われているように、日本がこれから外国に対抗して生きていくためには、これまでもそうであったように、科学技術を先行させて活用していくしかない。他に対抗できる手段がないので、選択の余地はない。勝負できそうな科学技術の、数少ない有力候補の一つがロボットである。
幸いなことにいま現在は、ロボット研究で日本はアメリカといい勝負をしながら、トップを走っている。ロボットというのは、さまざまな要素技術を有機的に組み合わせて作るものなので、総合化が得意な日本人に向いている。
優秀な研究者も、数多く存在する。これまで製造工場で使われている、産業用ロボット以外に、ビジネスとして成功したロボットは、ほとんどないが、近い将来に日本から、人間型ロボットがビジネス化されることを期待している。
人間型ロボット開発の問題点
人間型ロボットを作るのは、夢があって大変面白い。それが研究開発の原動力になっているのは良いことである。ただ、開発したロボットをどう使うかとなると、明確な目標があるわけではない。抽象的に「鉄腕アトム」と言っているに過ぎない。
アトムは人間のようなロボットなので、人間ができることは、およそ何でもできるはずである。人間はさまざまなことができるので、具体的にどう使うかを絞り込むことはむずかしい。それは人間が何のために生きているかを、絞り込むのに似ている。それが人間型ロボットの研究開発が抱えている問題である。
筆者らが、ロボカップという、サッカーをプレーするロボットの研究開発プロジェクトを進めているのは、明確な目標を一つ設定したいと考えたためである。2050年までに、通常のサッカーのルールで、人間のワールドカップ優勝チームに勝つことのできる人間型ロボットを作ることを、目標としている。
ロボカップは一つの例であり、人間型ロボットの明確な目標は他にも設定できる。明確な目標さえ設定できれば、時間はかかっても、いつかは達成できるはずである。およそ人間にできることはロボットも、いつかはできるようになるはずである。
鉄腕アトムはいつ実現できるのか
「鉄腕アトムはいつ実現できるのか」という質問に対する回答は、できたロボットが何をできることをもって「アトム」と見なすかにかかっている。
筆者の考える「鉄腕アトム」の定義は以下の通りである。
ある人間型ロボットが(人間として)職場や学校で人間の間で過ごし、付き合いのあった人間に、ロボットであることが一定期間(たとえば1年間)露見しなければ、人間のようなロボットが実現したと見なす、というものである(人工知能が実現したとも見なせる)。
この定義は厳しいものなので、21世紀中には、あるいはドラえもんの誕生日とされる2112年までには、実現できることを願っている。
ロボカップ
(Robo Cup)ロボットによるサッカーのワールドカップ大会。ロボット工学と人工知能の融合、発展のために自律移動ロボットによるサッカーを題材として、日本の研究者らが提唱。1997年に名古屋で第1回大会。西暦2050年に、人間の世界チャンピオンチームに勝てる自律型ロボットのチームを作ることを目指している。
人間のチームに勝つ
ただ単に人間に勝つのであれば、フィジカル面で、人間より強くて、速く動けて、強く蹴るロボットを作れば済むが、人間と同じ条件で人間に勝つことが重要である。ブルドーザーやバイクなどのように機械的に優るのではなく、人間と協調することである。