津波を伴う巨大地震
地震の大きさは震源域の規模を表す指標、マグニチュード(以下M)で比較できる。確かな記録が残る、地球上で過去最大の地震は、「1960年チリ地震」で、M9.5。2004年のクリスマス休暇にインド洋の大津波を起こし、20数万人が犠牲となった「スマトラ島沖地震」は、史上第3位のM9.0~9.3であった。日本周辺で史上最大と考えられるのが、「1707年宝永南海・東海地震」である。四国南西端の足摺岬沖から、静岡県の駿河湾までが震源域となった巨大地震で、死者2万人などの被害記録からの推定では、M8.6とされている。
しかし、近年、古文書の記録には残っていないものの、17世紀初頭に北海道の十勝海岸から釧路、根室を襲った巨大津波が地質調査から明らかにされた。のみならず、これまで調査された東北、常磐、九州などでも巨大津波の記録が次々と発見されている。数百年に一度、想像を超える津波が日本各地を襲っていたのだ。実際、歴史上、1万人を超える死者が確実に出た地震は4つ、うち3つまでが津波による被害である。「tsunami」が国際語となる背景には、このような歴史があったのである。
平安時代の大津波
清少納言の父、清原元輔が詠み、百人一首にも採られた「契りきなかたみに袖をしぼりつゝ末の松山波越さじとは」という和歌がある。ここに登場する「波」も大津波だった可能性がある。候補に挙げられるのが、平安時代に東北地方の太平洋岸を襲った「869年貞観(じょうがん)大津波」。城郭等が多数倒壊、津波が城下を襲い、「溺死者千」と「日本三代実録」に記録されており、当時の国府であった多賀城付近まで津波が押し寄せたらしい。
歌枕の「末の松山」は仙台の北、多賀城市八幡の宝国寺裏、現在の海岸線から約2.5kmの位置にあり、標高は8mほど。大津波にもかかわらず末の松山が水没せずに残ったのかもしれない。この貞観11(869)年は、5月の大津波に加え、6、7月には都で疫病が流行、これがもとで祇園祭が始まったと伝えられる。
この津波によって陸上に打ち上げられて、残された砂の地層が地下に埋まっており、これを発掘して津波による浸水域を推定することができる。当時の海岸線は現在より約1km陸側にあったが、これによって、海岸から3kmも離れた地点まで津波が襲ったことがわかる。仙台平野のおよそ半分にあたる広大な地域が津波に襲われる様子は、想像しただけで恐ろしい。
この貞観大津波の研究から、津波によって運ばれた砂・砂利・岩塊・貝殻等(津波堆積物)の調査が日本で始まったと言ってもよい。津波は仙台平野のみならず、三陸海岸から常磐海岸まで押し寄せたらしい。岩手県の大槌湾から福島県相馬まで、この津波の堆積物が見つかっている。
M9クラスの大地震と大津波
最も詳細な津波堆積物調査が行われたのが、北海道十勝海岸から、釧路、根室にかけての地域で、日本では過去最大のM9.0、スマトラ島沖地震クラスが推定された。これらの地域で知られていた最大の津波は、「1952年十勝沖地震」(M8.2)によるもので、高さは最高6m。一方、十勝海岸では高さ15mの崖の上に、M9.0の地震による津波で運ばれた黒い砂利を見ることができる。さらに、同様な大津波が過去繰り返しこの地域を襲ったことが、明らかとなっている。その間隔はおよそ400~500年。そして、地震が発生した17世紀初頭から、ほぼ400年が経過した。
中央防災会議は「500年間隔地震」と名付けて、各地の津波高を推定し、被害想定を行って注意を呼びかけている。推定全壊家屋5600棟、死者720~870人。北海道の太平洋沿岸地域は「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震防災対策推進地域」に指定された。
三陸沿岸の調査はまだ不十分だが、岩手県の宮古から大船渡まで、約500~1700年の間隔で大津波が記録されている。また、磐城海岸でも300~700年の間隔で大津波があった。茨城では江戸時代の延宝年間、1677年に大津波があったことが記録に残っている。房総半島では1703年の元禄関東地震による大津波が沿岸を襲い、多数が犠牲となった。供養碑が各地に残っている。
巨大南海地震
西日本を中心に被害をもたらす南海地震の研究も進んでいる。「1707年宝永南海・東海地震」による津波は、特に四国西岸とその対岸にあたる九州で高く、多数の犠牲者を出して集落の存立をも脅かした。各地で亡所、欠所、すなわち消滅した集落が記録されている。古地震調査の結果も、1000~数千人の死者を出した「1946年昭和南海地震」や「1854年安政南海地震」の津波とは比べものにならないことを示す。九州の大分県佐伯市米水津(よのうづ)では、安政では4mだったが、宝永の津波は10mの高さに達した。また、この地区の竜神池で行われた津波堆積物調査の結果、宝永の地震だけでなく、「1361年康安(正平)南海地震」や「684年天武(白鳳)南海地震」も、同様の大津波をもたらしたことが判明した。それだけでなく、過去4000年にわたって9回大津波が繰り返され、その間隔が約350年、あるいは約700年であることもわかった。
つまり、南海地震は100~150年の間隔で繰り返すが、うち3回に1回、あるいは6回に1回、四国西部から対岸の九州に大津波をもたらすものが発生する。この不思議な性質の鍵は、足摺岬沖にあるらしい。昭和の地震や安政の地震では、足摺岬沖のプレート境界は破壊せずに持ちこたえたことが津波や測量結果などから推定される。この部分のプレート境界が破壊されたとき、巨大津波が起こるのではないか。宝永地震から300年以上経過した点から考えると、次の南海地震は大津波を伴う可能性が高い。
数百年に一度という繰り返しは人間の一生から見ればまれではあっても、想像を絶するような大津波に各地が襲われる可能性が地震国・日本にはある。警報が発令されても多数が避難しない現状で、いつ狼が来るのだろうか。