宇宙基本法成立でようやく解かれた「呪縛」
2008年5月末に、宇宙基本法はようやく成立した。与野党の超党派議員による検討のうえで提出され、衆参両院で自公民の賛成多数で成立した「議員立法」である。この宇宙基本法成立がもたらすものを一言で言えば、日本の宇宙活動がようやく世界標準になることであろう。すなわち、科学探査のみならず、衛星やロケットの開発における自由度と範囲が拡大され、それによって、これまで萎縮しきっていた日本の宇宙産業の活性化が期待できる。
法案の成立当時は、ほとんどのメディアが「宇宙の軍事利用解禁」という見出しで報じ、さながら日本の宇宙活動が軍事路線を歩み出したかのような論調だった。“平和”の定義を“非軍事”に限定してきた1969年の「宇宙の平和利用に関する国会決議」から、宇宙基本法により“非侵略”とし、偵察衛星など防衛目的の宇宙活動を容認することになったからである。
しかし現代の国際環境や、後に述べる「宇宙活動の本質」に照らせば、これが世界標準といってよい。「軍事路線」は、いささか誇張が過ぎ、一般の人に誤解を与える。
技術とは両刃の剣という「デュアル・ユース」
鍛冶や研磨の技を追求すれば、優れた包丁や日本刀を生み出す技術につながる。豊かな食文化に包丁は不可欠であり、日本刀は武器の歴史の代表だった。技術というのは、往々にして民生用にもなれば軍事用にもなり、二元的な使い方という意味においてデュアル・ユース(dual-use)の特性を持つ。宇宙技術も例外ではない。生まれたときからデュアル・ユースである。輸送系の技術はその代表で、気象衛星を運ぶロケットにもなれば、核弾頭を搭載したミサイルにもなる。カーナビなど位置情報確認機能の心臓部であるGPSは、巡航ミサイルの誘導システムの流用である。
軍事用と民生用は表裏一体であり、一方の技術が高性能化すれば、自動的に他方の技術も伸びる。ただし、その技術を軍事用として実用化するか否かは別問題である。しかしこれまでは、“表裏一体”で技術が伸びることが、すなわち軍事化であるかのように見られてきた。そのために技術を生み出す力がありながら、開発の範囲が限られていた。
宇宙空間に打ち上げたカプセルを、軌道上での材料実験などの後に、大気圏に再突入させて地上で回収することさえ長い間できなかったのは、それが大陸間弾道ミサイルの技術につながるとして、日本政府によってつぶされてきたからだった。
宇宙基本計画から生まれる宇宙産業への期待
宇宙基本法の成立によって生じる最大の変化は、初めて宇宙開発に関する“司令塔”ができることである。かつて日本の宇宙開発計画の指針を示す「宇宙開発政策大綱」は、総理大臣直属の行政機関である総理府の、宇宙開発委員会によって策定されていた。しかし2001年の省庁再編にともない、宇宙開発委員会は、文部科学省の一審議会に格下げされた。したがって宇宙開発委員会がカバーするのは、その管轄下にある宇宙航空研究開発機構(JAXA)のかかわる開発計画という狭い範囲に限定されてしまった。宇宙活動のなかでも“科学研究”にウエートがおかれたのは、自然のなりゆきである。
それ以外の活動については、新たに設置された内閣府の総合科学技術会議が担当することになったが、これもまた“科学技術”に関する審議が中心であった。そのため宇宙産業や安全保障までもカバーして、広く日本の宇宙開発政策を策定する機関がなくなったのである。
このような状況のなかで、宇宙基本法は成立した。それもタテ割り省庁によるものではなく、超党派議員たちの法案提出による議員立法だった。その基本法には、省庁のタテ割りを排し、内閣府に総合的宇宙政策を担当する「宇宙局」の設置がうたわれている。
したがって基本法成立に基づいて策定されることになる「宇宙基本計画」は、これまでの文部科学省的な科学研究偏重から、宇宙産業の活性化に向けた具体的な分野へも大きく踏み出すことが期待される。
ISS(国際宇宙ステーション)からJSSへ
現段階(2008年夏)では、宇宙基本計画はまだ検討中であるが、少なくとも日本としては国際宇宙ステーション計画に対するかかわり方を明確にし、他の参加国に対して積極的に働きかけてゆくことになるだろう。たとえばISSの小型化である。冷戦下のレーガン政権時代に、西側諸国の結束とソ連に対する抑止力としてスタートしたISS建設計画の目的は、すでに消失している。科学研究や工学実験の場としては有効であるが、現計画ほどに大規模である必要性はない。
さらには建設計画の遅れから、初期の段階で設置したモジュールの経年劣化が始まるうえに、大型構造物の輸送可能なスペースシャトルが、2010年で撤退するのである。
宇宙ステーションというインフラを長期にわたって有効活用するためにも、小型化してゆくべきであろう。その場合、最も大きく、最も新しく寿命の長いきぼう(JEM)を持つ日本こそが、ISSをJSS(Japan Space Station)としてリフォームし、維持管理の中心となるべきである。
「静かな抑止力」から機能する安全保障
宇宙活動は、産業誘発や科学研究、技術開発、軍事活動支援など、さまざまな領域にまたがっている。それが宇宙活動の本質であり、世界標準の感覚である。これまで日本の宇宙活動は、「次世代への夢」という抽象的な領域に押しやられていたが、宇宙基本法成立により、ようやく本来あるべき宇宙活動に向け、国家戦略として動き出す。
むき出しの軍事だけが安全保障ではない。生まれながらにしてデュアル・ユースの特性を備えた宇宙活動は、それ自体が、科学、技術、産業の高いポテンシャルの証明であり、同時に「静かな抑止力」である。
宇宙基本法
日本国が宇宙開発分野で行うべき事業の、理念及び基本方針を定める法律で、研究開発中心から国民生活の向上や経済社会の発展、安全保障にまで踏み込んだ領域を可能としている。
GPS
(global positioning system)
全地球測位システム。アメリカ国防総省が軍事用に開発した衛星測位システムで、4基以上の衛星の信号を同時に受信することで、位置を正確に測定できる。1993年以降無償で民生用に開放され、カーナビゲーションシステム(カーナビ)などの分野で利用されている。
国際宇宙ステーション(ISS)
International Space Station
日本、アメリカ、ロシア、欧州各国、カナダ、ブラジルの16カ国が参加している国際宇宙ステーション計画。1992年の完成予定であったが、実際の組み立ては98年に始まり、2010年の完成を目指している。08年に日本の宇宙実験棟「きぼう」の取り付けが始まり、09年に完成する。
きぼう(JEM)
(Japanese Experiment Module)
ISSに接続される日本宇宙実験棟。宇宙飛行士が長期間活動できる日本では初めての有人施設。船内実験室、船外実験プラットフォーム、船内保管室、船外パレット、ロボットアーム、衛星間通信システムの6つの要素からなる。2008年3月から、スペースシャトルで3回に分けて運ばれ、09年に完成する。