無印(ノーマーク)の地震が発生した
2008年6月14日土曜日の朝8時43分ころ、東北を中心に東日本を揺らせた岩手・宮城内陸地震は、土砂崩れなどにより死者13人、行方不明10名の犠牲者(08年9月4日現在)をもたらした。これはマグニチュード7.2の地震で、規模は阪神・淡路大震災(1995年 兵庫県南部地震)の7.3にほぼ匹敵する。そのような大地震が、事前にまったく無印の陸地で起こったことは、地震関係者に衝撃をもたらした。阪神・淡路大震災は、既知の「要注意」活断層で発生しており、この規模の地震はその後の国全体の調査で、ほぼ把握されていると思われたからである。ただし、マグニチュード7未満の浅い地震であれば、陸地でもノーマークもやむをえないというのが、従来の見解である。
07年の中越沖地震や能登半島地震、04年の中越地震は、いずれもマグニチュード7.0未満であった。なお、08年7月24日午前0時過ぎに根室から東京近郊までを揺らした岩手県沿岸北部の地震は、深さ108Km、マグニチュード6.8で、震源が深く、岩手・宮城内陸地震等のような浅い地震とは、まったく異なるタイプの地震である。
予測可能な地震と、困難な地震
それでは陸地で、マグニチュード7.0以上のノーマークの浅い地震は、起こっていないのだろうか?実は00年に起きている。マグニチュード7.3の鳥取県西部地震がそれである。幸い死者はゼロであったものの、倒壊家屋は435棟、負傷者182名であった。このケースでは、活断層の発達が未成熟な地域で起きた地震といわれた。すなわち「中国地方は特殊」で、マグニチュード7.3でも活断層による予測は不可能、とされたのである。
ところが今回の岩手・宮城内陸地震はマグニチュード7.2であり、もはや「特殊」という例外は通じないだろう。果たして阪神・淡路大震災級の地震の可能性は、日本列島のどこでもありうる、ということなのだろうか?
地震の震源と断層
日本各地はプレートの動きによって東西に圧縮され、その力によって陸地が破壊されて地震を起こす。これが浅い大地震の原因である。岩手・宮城内陸地震では、岩手県奥州市・一関市から宮城県栗原市へと南北に延びる線から、地中深く、西へと傾く面が破壊した。そして、西の山側の地塊が東の平野に迫り上がる動き、すなわち逆断層運動が生じた。この南北に延びる線に沿って各所で割れ目、段差、土地の傾斜が現れた。
地下の破壊した面が地表に達したことを示している。これより西、すなわち地下の破壊面の直上は、まさにナマズの背中に相当する。一関西観測点では、地表で4Gという大きな衝撃(落下傘降下で着地時)の揺れが記録されている。一関市厳美町や栗原市栗駒・花山地区などの山間部で、山崩れ、地滑りが発生した。
活断層とは、目に見える地震の傷跡
地下の破壊面が地表に達した場所で、段差やずれが生ずる。しかし長期間経てば、段差やずれは崩れて土砂に埋まり、見えなくなる。その前に、次の地震が起これば、段差やずれが少しずつ残り、地形として見える。これが地震の傷跡という活断層、すなわち地震が起こる、生きている断層である。
活断層を示す地形もまた、生きている。長期間地震が起こらなければ、地形は消える。繰り返しの地震で、消えずに残る。過去の地震の化石であり、将来そこで地震が起こる目印でもある。大地震は、繰り返し同じ破壊面で発生する。これが地震の原理原則である。
岩手・宮城内陸地震が予測できたかどうかは、この地震が活断層で起こったかどうかで決まる。活断層で起きた地震であれば、そこで起こる地震が事前に予想可能であったはずである。
必要な全国を網羅した活断層調査
活断層はどのようにして見つけるのだろうか? 生きている地形である活断層は、新しい地形の傷として見える。扇状地や河岸段丘、海岸段丘など、過去数万年~数十万年にできた新しい地形に段差やずれを作っている。空中写真を駆使して、鳥観的に地形を見ることで、活断層が見つかる。阪神・淡路大震災後の活断層調査のおかげで、活断層を見つける技術は大いに向上した。この新しい技術を用いて、名古屋大学・東洋大学・弘前大学のグループが挑戦したところ、この地震で段差や割れ目が見つかった地域で、長さ3~4kmの活断層が発見された。事前の調査があればで、地震の発生は予測できたのである。
その規模はどうか。地下の構造を示す地質情報からは、マグニチュード7.0。さらにこの断層の北にある北上低地西縁断層帯という活断層から分岐した断層であると考えれば、マグニチュード7.3。場所も規模も、ほぼ予測可能であった。
筆者も調査グループに参加して、この活断層の掘削調査を行った結果、今回の地震も含め、少なくとも過去に4回活動した断層であることが明らかになった。見かけは小さくとも、立派な活断層であったのだ。
全国を網羅する新しい活断層調査が望まれる。