幹細胞とは何か?
幹細胞とは、「自分自身で増える能力」と「機能をもった細胞に変化する能力」とをもった細胞のことであり、胚性幹細胞(ES細胞 : embryonic stem cell)と体性幹細胞とがある。人間は、1個の受精卵(細胞)から細胞分裂と細胞分化を経て形成されるが、この人間が形成されるまでの過程を発生といい、発生途上の生命体は、初期には胚、後に胎児と呼ばれる。この「胚」を構成する細胞がES細胞である。一方、ひとたび個体となった人間の身体においては、体性幹細胞が重要な役割を果たす。例えば、古くなった皮膚は垢となって剥げ落ち、毎日新しい皮膚が再生されているし、骨折した場合には新しい骨が再生される。こうした再生を担っているのが、体性幹細胞である。
ES細胞と体性幹細胞との大きな違いは二つある。一つは、変化できる能力の差であり、ES細胞は全身のあらゆる細胞へ変化することが可能で、それゆえに万能細胞とも呼ばれるが、体性幹細胞は限定した細胞へのみしか変化できない。もう一つは、ES細胞は試験管の中で半永久的に増え続けることが可能だが、体性幹細胞はそれが不可能な点である。
科学の世界が沸いたiPS細胞とは?
体性幹細胞や、もっと成熟した体細胞は、二度とES細胞のような万能細胞には戻らないと信じられていた。しかし1997年、細胞核を卵子へ移植する技術によって羊の体細胞から万能細胞ができ、そこから羊個体「ドリー」が生まれたと発表され、世界中の生物学者が驚嘆した。そして2006年、京都大学の山中伸弥博士のグループは、マウスの体細胞に数個の遺伝子を入れ、その機能を強制発現させるだけで人工的に万能細胞を作成することに成功、その成果を発表した。これを人工多能性幹細胞(iPS細胞 : induced pluripotent stem cell)という。翌07年、山中博士のグループ他複数のグループが、人の体細胞からもiPS細胞の作成が可能であることを発表した。
ES細胞やiPS細胞で何ができる?
ES細胞やiPS細胞(以下、両者を併せて「万能細胞」という)は全身のあらゆる細胞へ変化することが可能であるため、多くの研究者が、万能細胞から目的の細胞を作って治療に役立てる細胞移植治療を目指している。例えば、神経細胞を作ってパーキンソン病や脊髄損傷の治療に役立てること、心筋細胞を作って心筋梗塞治療に役立てること、すい臓細胞を作って糖尿病治療に役立てることなどが研究されている。なぜ万能細胞に期待するかといえば、人体から目的の細胞を取り出すことは容易ではなく、多くの場合不可能であり、取り出せたとしても数に限りがあり、かつ、試験管の中で増やすことも難しいからである。
人類史上初めて確立された細胞移植治療は輸血であり、現代では不可欠な治療法となっているが、献血に依存した輸血治療に問題がない訳ではない。最大の問題はウイルス感染の伝播である。感染初期には検査で「偽陰性」となることを完全には回避できないため、その危険性は常に付きまとう。だが、安全が確認できた材料から人工的に赤血球を大量生産できれば、献血に頼ることなく輸血が可能となる。それゆえ、体性幹細胞の一種である血液幹細胞や、万能細胞から赤血球を作る方法が研究されている。
最近では、マウスのES細胞から「赤血球を作る元になる細胞株」、すなわち赤血球を作る能力しかないが、試験管内で無限増殖して、赤血球を大量生産できる細胞株を作成することにも成功している。人の万能細胞からも同様な細胞株が作成できれば、感染症の心配のない赤血球を人工的に大量生産することができ、献血が不要な時代が到来するかもしれない。
万能細胞の応用を阻むものは?
万能細胞は試験管の中で半永久的に増えることが可能な細胞であり、その性質が応用への期待を集める理由だと前述した。しかし、この性質は両刃の剣でもある。人の身体に移植した後にも増殖を続けていくと、がん化能といって、がんに類似する状態となってしまうのだ。万能細胞の臨床応用に際して、今最も問題視されているのがこの問題であり、安全性を確保した万能細胞の作成技術が求められている。万能細胞をめぐり、日本は今、世界は今?
今のところ、iPS細胞の作成には、ウイルスベクター(遺伝子の運び役)などを用いて、外部から導入する外来遺伝子を強制発現させる必要があり、安全性に疑問が残る。また、高齢者の体細胞から作成したiPS細胞はがん化能が高いという結果も出ており、その意味でもES細胞の方が安全性の面で優れている可能性が高い。したがって、ES細胞の作成には生命の萌芽である「胚」を滅失するという問題があるものの、倫理的な配慮を確実に担保して、人のES細胞研究も着実に進められるべきものと思われる。一方、iPS細胞においては、新たな応用も試みられている。患者からiPS細胞を作成し、これを疾患原因究明研究や創薬研究に用いることが期待されているのだ。例えば、脳変性疾患の患者から神経細胞を採取することは不可能だが、皮膚細胞などを少し採取してiPS細胞を作成し、そのiPS細胞から神経細胞を作成して研究に用いることが可能である。多種多様にして類似する研究が、世界各地で一斉に始まっている。
万能細胞を簡単に効率よく作成する技術は日本発の技術である。多国間の研究競争が激化する中、国際的なイニシアチブをとるべく、国としても大きな支援体制を組んで研究の発展に取り組んでいる。その努力が実を結ぶ日も、遠くはないかもしれない。