脳信号を解読できるか?
昨今のテクノロジーは、脳から直接情報を読み出し、機械やコンピューターを動かすほどの高みに到達している。この技術は、一般にブレイン・マシン・インターフェース(BMI:brain-machine interface)と呼ばれ、脊髄損傷や筋萎縮性側索硬化症などで身体を動かせなくなった人たちが、義肢を動かしたり意思を伝達したりできるようになるための技術として研究が進められている。一方で、BMIは、健常者に対しても、考えただけで機械を動かしたり情報を伝達したりできるようになる新しいインターフェースとなる可能性を秘めている。しかし、BMIを構築するためには、脳信号を計測して機械に送信するだけでは不十分である。一般に脳信号のパターンは複雑で、一見してその意味を読み取ることは難しい。だが、脳信号を身体や心の状態を表現する暗号(コード)と見なすと、これを解読(デコード)することで、その意味を理解することができる。このブレイン・デコーディング(brain decoding)によって得られた情報を用いれば、ロボットやコンピューターを制御することも可能となる。
脳の信号を精緻に計測する
脳活動の計測方法を大別すると、脳の中で神経細胞の活動を直接的に計測する「侵襲型」と、頭蓋(ずがい)の外から脳の信号を計測する「非侵襲型」の2種類に大別される。侵襲型は外科的手術が必要になるため、主にラットやサルなどの実験動物を用いて研究されており、脳に多数の微細な計測用電極を埋め込んで神経細胞の電気的活動を計測する方法がよく用いられる。一方で、非侵襲型は外科的手術が必要ではないため、主にヒトを対象として研究されており、頭皮の上に電極を置いて脳波を計測する脳波計(EEG:electroencephalograph)や、脳の活動に伴う血流の変化を計測する機能的核磁気共鳴画像(fMRI:functional magnetic resonance imaging)、あるいは近赤外分光法(NIRS:near infra-red spectroscopy)などがよく用いられる。計測した脳の信号を解読する
計測した脳の信号を機械に伝達して利用するためには、それが何を表しているのかを解読(デコード)しなければならない。しかしまず、脳の信号をデコードするためには、被験者の知覚や運動などの状態と、そのときの脳活動のパターンを対応づける必要がある。たとえば、ロボットアームを左右に動かすことのできるBMIを作りたい場合を考えよう。手順としてまず、BMI使用者が手を左右方向に動かしている、あるいは想像しているときの脳活動パターンを計測しておく。そして、その計測信号をもとに、機械学習アルゴリズムを用いて解析することで、脳活動パターンを入力すると、手の運動方向が出力されるコンピューター・プログラム(デコーダー)が自動的に学習される。
このように構築されたデコーダーを使うことによって、脳活動のパターンのみから使用者の運動意図を解読できるようになる。たとえば、その情報をロボットアームに送れるなら、使用者が想像しただけでロボットアームを動かすこともできるようになる。デコーダーは、使用者の知覚や運動の状態に自然に対応した脳活動パターンを読み取るように構築されるので、BMIを使用するための特別な訓練を要求しない。
脳でロボットを動かす
2000年初頭、アメリカのミゲル・ニコレリス教授らの研究グループは、サルが自身の脳活動だけを使ってロボットアームを自由に動かせることを示し、脚光を浴びた。この研究では、腕の運動に関連のある脳部位に微細な電極を埋め込み、数百個の神経細胞の活動を同時に計測する、侵襲的手法が用いられていた。ここで計測した信号をリアルタイムで解読することによって、ロボットアームの3次元動作が可能となったのだ。しかし最近では、神経細胞から解読した運動指令によって、ロボットアームなどではなく、直接、サル自身の腕の筋肉を刺激して、その手を動かすことができることも示されている。脊髄損傷等で障害を受けた運動信号の伝達経路をバイパスする方法として有用であり、現在、注目を浴びている。一方、非侵襲的手法については、ドイツのクラウス・ミューラー教授らの研究グループが、ヒトの脳波を用いてコンピューターをコントロールするBMIの開発を進めている。06年には、ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパンと筆者らの共同研究グループが、ロボットにジャンケンをさせることのできるBMIを開発し、発表した。ヒトのジャンケン動作中の脳活動パターンをfMRIで計測・解読し、ほぼリアルタイムで、ロボットに被験者と同じジャンケン動作をさせることに成功した。
(後編に続く)