臓器移植に代わる再生医療
広義において再生医療とは、病気や事故により損傷をきたし、通常では再生しない組織や機能を再生させる医療のことをいう。この意味においては従来からの多くの医療が再生医療の範疇に含まれ、臓器移植もその内の一つと見なすことができる。しかしながら多くの場合、再生医療はドナー不足などの問題を抱える臓器移植を代替する医療として認識されており、狭義において臓器移植とは区別されている。特に、近年におけるES細胞・iPS細胞関連研究の躍進による影響もあり、再生医療とは、患者本人もしくは他人から採取された細胞(ES細胞、iPS細胞を含む)を移植することに基づくものを指す場合が増えている。
再生医療の恩恵の一つは、臓器移植におけるドナー不足などの問題を解消し、すべての患者を対象とした一般的治療を実現できるということである。例えば、ES細胞やiPS細胞から作製した心筋細胞を用いて重症の心不全を治療することが可能になれば、心臓移植を代替する治療法となるだろう。
もう一つの恩恵は、薬を必要としない根本治療を実現できるということである。例えば、インシュリンを分泌する細胞を糖尿病患者に移植し生着させることができれば、患者はインシュリンを注射し続ける苦しみから解放されるだろう。
何の細胞をどのように移植するか
再生医療本格化へ向けての二つの課題として、治療効果のある細胞をいかにして作るかという点、および作った細胞をいかにして効果的に移植するかという点が挙げられる。細胞作製に関しては、不妊治療における余剰胚から採取されるES細胞、および成人の細胞から人工的に作製されるiPS細胞は、無限に増殖しあらゆる細胞へ分化するという性質をもつため、細胞源としての再生医療への応用がとりわけ大きく期待されている。ES細胞・iPS細胞から安全で治療効果のある細胞を作るための研究が世界中で精力的に行われており、またこれらの細胞を臨床で使用するための安全性に関する基準作りなどの法整備が日本でも急ピッチで進められている。
一方、細胞の移植法についても急速に研究が進展している。細胞の移植法として最も簡単なものは、細胞が浮遊する液体を注射により移植する方法であるが、この方法は細胞の流出や壊死により細胞が移植部位へ生着しづらいという問題がある。そこで、あらかじめ細胞から人工的に組織を構築してから移植するという技術が発展してきた。この技術は組織工学と呼ばれ、当初は体内で分解される材料で作製した足場組織の中に細胞を導入するという方法論に基づくものであった。
しかし近年、足場組織を一切使用せずに100%細胞から成る組織を構築する、日本発の革新的技術「細胞シート工学」が開発され、すでに臨床の場においても大きな成果を上げ始めている。
細胞シート工学の可能性
細胞シート工学は、温度応答性培養皿の開発により生まれた。この培養皿は、細胞を培養・増殖させる37℃では細胞が接着し、20℃になると細胞がはがれるという性質の表面をもつ。移植に用いる細胞をこの培養皿の上で37℃で培養・増殖させることにより、シート状の組織(細胞シート)が作製される。その後、温度を20℃に下げることにより、細胞シートは無傷のまま培養皿から回収される。細胞シートの片面には接着性のたんぱく質が保持されているため、移植の際には組織に張り付けるだけで、縫合を必要とすることなく迅速に移植部位に生着する。また複数の細胞シートを重ねることにより、三次元的な移植組織を構築することも可能である。
細胞シート移植の優位性を示す臨床応用の一例として、角膜再生医療が挙げられる。病気や事故で角膜が混濁して視力を失った患者に対しては、アイバンクの角膜を移植する治療法が一般的だが、ドナー不足や拒絶反応の問題が存在する。そこで、患者自身の口の中の粘膜から採取した細胞で細胞シートを作製し(口腔粘膜細胞シート)、これを混濁した角膜の表面に置き換えて移植するという治療法が開発された。すでに国内外の臨床研究・治験において多くの患者の視力を回復させており、2011年にはEU(欧州連合)加盟国において、株式会社セルシードによる角膜再生医療用細胞シートの販売が開始される見込みである。
その他、心筋が拡張しその収縮力が低下する拡張型心筋症に対し、筋肉のもとになる細胞(筋芽細胞)で作製した細胞シートを移植する心筋再生医療や、内視鏡手術により食道がんを切除した後の傷口に口腔粘膜細胞シートを移植して創傷治癒を促進し、術後に起こる食道の狭窄を防止する食道再生医療の臨床研究が国内で始まっている。
今後、ES細胞・iPS細胞を用いた移植用細胞の作製が可能になっていくとともに、細胞シートを用いた再生医療の適応疾患もますます拡大していくだろう。すでに臨床応用が始まっている角膜、心臓、食道といった臓器につづき、3年以内には肺や歯周、5~10年以内には軟骨や膵臓、肝臓への応用が見込まれている。
厚生労働省の調査によると、近年の医薬品・医療機器における日本の貿易赤字は年間2兆円を超えている。近い将来、市場規模50兆円に達するとも言われる再生医療関連産業において、日本がどれだけ先導的役割を果たせるかは、今後の日本経済に多大な影響を及ぼす事柄であることも忘れてはならない。