「仕分け」を科学技術のあり方を考える好機に
先の「事業仕分け」に、筆者は研究者・科学者の立場から“仕分け人”として参加した。方法としての問題点はあるが、少なくとも筆者の専門である生命科学での予算配分への疑問を解消するきっかけになることを願ってのことである。「事業仕分け」で大型の科学技術予算にムダが指摘されたことから、日本の科学技術政策が市民の関心を得た。もっとも、ムダの指摘に対し、予算の削減は許せないという立場からノーベル賞受賞者や大学学長らが記者会見したために、話題は予算だけに集中し、「科学技術政策」そのものが議論の対象にはならずに終わったのが非常に残念である。これを日本の科学技術のあり方を考える機会にしない限り、どれほどの予算をつけようと、それが有効に機能し、我が国の科学技術が伸びていくことは期待できない。
「事業仕分け」によってこれまでの問題点を指摘し、有効な科学技術政策が機能するきっかけとし、仕分けの必要のない政策を考えることにつなげなければ意味がない。
科学技術基本法の制定(1995年)以来、学術研究のすべてが、予算配分も含めて「科学技術」という言葉にくくられていることにまず問題がある。自然科学の基礎研究も人文・社会科学も総合科学技術会議という場だけで扱っていることが引き起こすひずみがある。「役に立つ」か否かの判断が最優先され、「考える」ことの大切さが無視されてしまっている。新しい基礎研究を見守る眼に欠けているのである。科学(時により広く学術)という言葉を公の場に呼び戻さなければならない。
長期的展望に立った日本の姿づくり
科学や科学技術を不要と考える人はいないだろうが、社会のありように左右されて、ゆがんだ姿で存在してはいけない。社会が異常なまでの経済優先と競争に価値を置いた時、研究も「選択と集中」という名のもとその影響下に入り、短期間(5年以内)で役に立つか(経済効果が出るか)否かが判断基準になってしまった。生命科学の場合、短期での実用化など不可能とわかっていながら、産業化につながると申し立てることで社会での存在感を示すという状況が続いた。現状のままでは成果が上がらないだけでなく、研究者を育てず、研究者コミュニティーを壊しかねない危険を抱えている。今必要なのは、まず国の姿を描き、その中での科学や科学技術のありようを考えることである。科学や科学技術が国の姿をきめるのではないのだから。鳩山由紀夫首相は、「コンクリートから人へ」という方向を出し、これは間違っていないと思うのだが、具体策が見えないのが悩みである。当面は研究者が新しい方向を意識し、今必要なこと、可能なことをよく考え具体的な提案をしていくことで、国の姿づくりにも貢献する意気込みを持つことだと思う。
基礎研究とプロジェクト型研究、それぞれの戦略を
では今後、どのように科学研究を進めていくのがよいのだろうか。生命科学の場合、基礎研究においては従来の物理的世界観のみでなく、「多様性に根ざした生物的世界観」を取り入れた、息の長い研究が不可欠な状況にある。これを支える体制として従来の科学研究費の充実が望まれる。法人化と共に大学の運営費が減額されていることにまず問題があるが、現状の中で研究を継続していける最低限保証を考えなければならない。そのうえで活発な個人の研究を支え、新しい芽を引き出すことが、今求められている。それが社会に厚みのある学問を存在させ、未来をつくるからである。重点的資金については、研究者による評価に基づく現行システムを有効に生かし、継続性を大切にし、個人のアイデアに重点を置いた研究システムを確立する必要がある。
また一方で、プロジェクトとして取り組むべき研究には、社会および研究それぞれの現状分析による課題の把握が不可欠である。両者をつき合わせて、今最も重要な課題を探す必要がある。このような過程がこれまでの政策決定には欠けていた結果、恣意的と言わざるを得ない課題設定がなされ、これがムダにつながった例が少なくない。研究費の額より分配の問題が大きいのである。
プロジェクト研究を着実に進める政策をつくり、実行に持っていくには、そのための組織が必要である。プロジェクトの課題設定には、政策および学問分野の両者にかかわる専門家が携わることが不可欠である。そこで中心になるのは、本質を見つめ、広い視野を持ち、公平で行動力のある人(複数)である。すべてを要求するのは無理と言われるかもしれないが、少なくともそうであろうとする人でなければならない。筆者はそのような人のもとで仕事をした経験があり、それは納得のいくものだった。そのような人が、研究と政策それぞれの専門家(官僚を含む)の力を生かし、現状分析から生まれた課題をもとに全体像を組み立てていくという過程があって初めて意味のある研究が進められる。
“人”を育てるシステムづくり
研究を進めるにあたって最も重要なのが人であることは言うまでもない。政府は、大学院生10万人、ポストドクター(博士研究員)1万人、留学生30万人、などと目標数値を掲げ科学振興政策を打ち出した。しかしその後の安定した雇用先を確保するまでにいたらず、若者の未来が見えない状況であり、この改善は不可欠である。明確な課題設定とともに研究者数、その配置なども、思いつきでなく的確にすることは政策の基本である。研究に対する厳正な評価の重要性も改めて言うまでもない。現状は、マイナスの評価をしないという前提で動いているが、プロジェクトの選択、研究の進め方、成果の評価こそ、研究を有効に継続させる鍵である。試行錯誤のうえそれが結実しなかったとしても、マイナスを生かすことの体験は重要である。評価をしたという記録を残すためだけの評価は時間のムダである。
人を大切にし、基本を大切にし、豊かな知が存在する社会をつくることが、科学や科学技術の役割であるという基本認識で、多くの人がなるほどと思う研究が進められることを願っている。
総合科学技術会議
内閣総理大臣を議長に、関係閣僚、有識者議員などで構成される。科学技術の振興を図るため、内閣総理大臣の諮問に応じて、予算を含めた基本的な政策に関する調査審議を行う。2001年発足。
ポストドクター
大学の博士課程終了の研究者。博士号を取得したにも関わらず、大学や民間企業などへの就職口は少なく、その知的能力を社会で有効活用できていないという問題が起こっている。