宇宙ではみるみる骨や筋肉が減少
11年4月12日、ソ連(現ロシア)のユーリ・ガガーリン(1934~68)による初飛行から50年が経過し、宇宙飛行はもはや人類にとって未知の領域ではなくなった。「人間は宇宙でも生きられるのか」という問いから始まった宇宙医学も、現在では「宇宙飛行士の健康を維持し、パフォーマンスを高める技術をいかに向上させるか」にシフトしている。そして2000年に運用が始まったISS計画で、スペースシャトルをはるかに上回る長期間の宇宙滞在が実現すると、さらにいろいろなデータが集まるようになった。とりわけ、地上と大きく異なる微小重力、閉鎖空間、放射線環境という特殊な環境が体や心におよぼす影響については、いま最も盛んに研究が進められている。
たとえば重力がなくなると、人間の体はどうなるか? 地上で1Gの負荷を受けていた骨や筋肉が、ものすごい速さで減少し始める。とくに骨はカルシウムが溶け出して全体的にスカスカ状態となり、新しい骨細胞もできにくくなって、地上で体を支えていた大腿骨などは、わずか1カ月間で平均1.5パーセントも骨密度が減ってしまう。これは、高齢者の骨粗しょう症患者の10倍の速さ。つまり、宇宙ではみるみる骨が老化してゆくのだ。
同じように筋肉も、負荷が減った足のほうからやせていく。ふくらはぎの筋肉などは1日に約1パーセントずつやせ細り、毎日2時間の運動をしても6カ月間で平均10~20パーセント、最大では30パーセントも減った、という研究報告があるほどだ。一方、腕や肩など上半身の筋肉は船内作業で頻繁に動かすため、比較的減りにくい。それでも地上で普通の生活を送る60~80歳の高齢者が、20年間で平均40パーセント筋肉が減少するのに比べると、微小重力がいかに体に影響をおよぼすかがわかるだろう。
微小重力に起因する不快症状
さらに宇宙空間では、体液シフトといって、地上では足に集まっていた血液などの体液が、頭のほうに集まるようになる。そのため宇宙で長期滞在した飛行士は、一様に足がやせ細り、英語で「バードレッグ(鳥足)」と表現される体形になってしまう。地上に帰還した後で歩けずに転んだり、骨折する人も少なくない。そこで、こうした医学的リスクを軽減させ、宇宙飛行士のパフォーマンスを最大限発揮させるため宇宙医学の出番となる。現在、JAXAではアメリカ航空宇宙局(NASA)との共同プロジェクトで、「骨粗しょう症治療薬で骨量減少を予防できるか?」という実験を行っている。この研究では、骨粗しょう症の標準治療に使われるビスフォスフォネート(BP ; bisphosphonate)という薬を毎週1回服用、もしくは打ち上げ前に静脈内に注射することで、飛行中の骨量減少がどれだけ抑えられるか、というデータを集めている。
もちろん薬だけでは効果が少ないので、カルシウムやビタミンDなどを補強した機能性宇宙食、骨や筋肉を刺激する運動プログラムも採り入れる。すると、どうやら骨量減少を抑制できることがわかってきた。この研究は将来的に、高齢者や女性の骨粗しょう症治療に活用できるかもしれない。
骨や筋肉が減少するのと同時に、重力の負荷から解放されると背骨の椎間板が膨らみ、S字の湾曲が少なくなるので、宇宙では一般に3~5センチ背が伸びる。一方、生体内部で何らかのバランス維持機能が狂うせいか、宇宙で生活を始めて1週間のうちに、3人に2人ぐらいは重だるい腰痛を訴えるようになる。
多くの宇宙飛行士が一度は悩まされる、宇宙酔いも同様だ。こちらは腰痛より症状が現れるのが早く、たいていは宇宙空間に入って1~2日で出現し、目まいや頭痛、吐き気をともなうことがある。腰痛も宇宙酔いも、1週間以内で自然に治癒してしまう。おそらくは微小重力の環境に体が適応するためではないか、と考えられている。
宇宙で体内時計はどうなる?
ところで、軌道上のISSは90分間で地球を1周する。だから地上のように、24時間周期で昼と夜がやって来ることはない。では、そうした環境下で長期間生活した場合、私たちに備わっている周期的な生理変化(概日リズム)はどうなってしまうのか? 宇宙医学ではそんな研究も行っている。本来、人間の体内時計は1日25時間周期なのだが、朝、太陽光を浴びることで24時間にリセットされている。宇宙空間では、このリセット作業が難しい。そこで、どれだけ生体リズムが狂ってしまうのかを調べるため、宇宙飛行士にホルター心電計という携帯型の計測装置を付けてもらい、24時間の心電図をとって不整脈、狭心症などの変化とともに自律神経のリズムを調べている。これまでの解析結果によれば、打ち上げ前には体内時計がずれていたが、宇宙での生活を始めてしばらくすると、きちんとリセットされて、24時間の概日リズムが保たれている、という予想に反した結果が得られつつある。
それはなぜか? 宇宙へ行く前の飛行士は、訓練地や打ち上げ地に向かうため飛行機でしばしば長距離移動しなければならず、時差ぼけに加え、夜中まで残業するので体内時計が乱れている。ところが宇宙へ行くと、食事や運動が規則正しくなり、飛行士の体調に合わせてその日のスケジュールを組み立てるので、とにかく毎日の生活時間がきちんと計画的に管理されている。さらに、ストレスともうまくつき合えるよう、トレーニングや支援システムが充実していることも影響していると考えられる。
実はこの実験は、白夜や極夜を経験する南極地域観測隊の隊員に対しても行ったが、やはり同様の結果が得られた。
このように宇宙医学は、ある意味で究極の予防医学である。リスクを予想して、それに対してどう軽減するかを確立するもので、そういう点では今後の高齢者介護や、東日本大震災のような災害下での医療技術にフィードバックできる可能性は大きい。
最後に、飛行士に付着して宇宙ステーションへと持ち込まれた細菌やカビは、重力で床に落ちることなく、常に空気中を漂流している。たとえば白癬などの原因となる真菌類は、地上では床に落ちて人間の足に寄生し水虫を発症させるが、宇宙空間では上半身の皮膚や口の中に取り付く危険性があり、その実態を調べている。入浴もできない閉鎖環境での長期滞在においては、空気や水の中に含まれる微生物の衛生管理は欠かせない。
JAXAは日本人飛行士の長期宇宙滞在に際し、下着や体操服といった宇宙船内着を産学連携協力によって開発した。その技術を活用した抗菌・消臭効果のある下着やTシャツは、すでに一般の人々の生活にも活用されている。