38億年の歴史に学ぶ
地球上の生物は、誕生以来約38億年の歴史を通して、最も小さなエネルギーで駆動できるメカニズムや、無駄のない循環システムを創り上げてきた。そこで、自然のメカニズムやシステムに学び模倣することで、エネルギーを使い過ぎず、環境負荷の少ない技術やものづくりが実現できるのではないかという発想から、生物模倣、すなわちバイオミメティクスに熱い視線が集まっている。実はバイオミメティクスの歴史は古い。1935年に、絹糸をまねた合成繊維であるナイロンが発明されたのが始まりだ。バイオミメティクスという言葉そのものは、50年代の後半に生まれている。命名したのはオットー・シュミットというアメリカの神経生理学者で、イカの神経細胞を模倣して電気回路を作った。
一方、我々にとって最も身近なものに、「マジックテープ」(クラレの登録商標)の名で知られる面状ファスナーがある。これは、表面がトゲで覆われているオナモミなどの植物の実が、衣服や動物の体毛にくっつくことをヒントに開発されたバイオミメティクス製品だ。40年代に、スイス人がトゲの先がフック状になっていることを顕微鏡で発見したのがきっかけだ。
フクロウとカワセミと新幹線の関係?
新幹線にもバイオミメティクスが導入されている。まず、走行中の騒音を減らすため、フクロウの羽根を模して作られたパンタグラフだ。時速200キロメートルを超える高速域において、新幹線の騒音の主な音源は、電気を架線から取るためのパンタグラフ。それに対し、日本野鳥の会の会員で、JR西日本に勤務し、長年にわたり新幹線の騒音解消に取り組んできた仲津英治さんは、ある時、「フクロウは自然界で一番静かに飛ぶことができる」と聞き、フクロウの羽根の仕組みを研究しようと思い立った。
フクロウは木の上から地上の獲物を目がけて勢いよく舞い降りるが、その際の羽音はとても静かだ。仲津さんは、その秘密がフクロウの翼の中でも、一部の羽根のふちについている「くし」の歯のようなギザギザにあることを知る。このギザギザが、羽根のまわりにできる空気の渦を小さくすることで、大きな音が発生しないようにしていることがわかった。そこで、パンタグラフの支柱部にフクロウの羽根と同じギザギザを施すことで低騒音化を実現したのである。
また、列車が高速走行で狭いトンネルに突入すると、出口で大きな音が発生することがある。これは「トンネルドン」と呼ばれる現象。トンネル内の空気を高速で走る列車が押し込んでいくことで、圧縮された空気が猛スピードで出口に押し寄せ、勢いよく出てしまうのが原因だ。
この現象を防ぐため、仲津さんたち開発チームは、今度はカワセミに着目した。スーパーコンピューターを使って「トンネルドン」を起こさない新幹線の先頭車両の最適な形を計算したところ、導き出された形はカワセミのくちばしにそっくりだったのだ。カワセミは空中から抵抗の大きな水中に向かって高速で飛び込み魚を捕まえるが、その際、ほとんど水しぶきをあげない。その理由は鋭い流線型のくちばしにあった。飛び込んだときの水の衝撃をうまく逃がしているのである。
こうして97年、フクロウの羽根をヒントに開発されたパンタグラフとカワセミのくちばしにそっくりな先頭車両を装備した、時速300キロメートルでも静かな500系新幹線が、仲津さんたちの手によって誕生したのである。
ナノの世界から生まれる新技術
さらに現在、バイオミメティクスはナノテクノロジーの発展をきっかけに、新たな次元へと突入している。ナノとは10億分の1サイズのことで、ナノテクノロジーとはナノサイズの極微細なものを見たり作ったりする技術のことだ。近年、高分解能を誇る電子顕微鏡がより身近なものになり、植物や昆虫などの詳しい構造がわかるようになった。さらに、その構造がどのような機能を果たしているのかも、徐々に明らかになってきた。そうして、2000年ごろから、生物の構造を模した新しい材料の開発が、欧米を中心に盛んになっていったのである。
例えば、「南米の宝石」と呼ばれる、見る角度によって色が変わるモルフォチョウの翅(はね)の鱗粉(りんぷん)の構造を模した素材や、蛾の複眼を模倣した無反射フィルム、壁や天井を自由に走り回れるヤモリの指先の粘着毛を模倣したテープ、カタツムリの殻を模した汚れにくい外壁材、サメやイルカの肌を模倣した流体抵抗を軽減する水着やスキーのアルペン競技ウエアなどが開発された。
モルフォチョウは青く輝く美しい翅で知られているが、この青色発色の秘密は、光の干渉を引き起こす「構造色」にある。鱗粉の表面には規則正しい微細な「ひだ」のような凹凸があり、この凹凸の間隔が青色光の波長のちょうど半分であるため、反射光が強め合って青色のみが強調されるようになっている。
このように構造色は見る角度や光の強度によって発色が変化するため、現在、車や建造物の塗料、繊維、光学ディスプレーなどに応用されている。色素や顔料による発色とは異なり、紫外線による脱色がないので、製品の色を長持ちさせることができるうえ、染料のように大量の水を使ったり、化学塗料のように化学物質を使わずに済むので環境にも優しい。
また、夜行性の蛾の複眼は光を反射しない特殊な構造をしている。複眼の表面は幅300ナノメートルという無数の突起で覆われており、外から取り込んだ光を反射させない。それにより、月の光の反射を抑え、外敵から身を守っているのである。このモスアイ構造(モス moth=蛾)をヒントに開発されたのが、テレビやコンピューターのモニター画面の映り込みを防止する無反射フィルムだ。三菱レイヨンと神奈川科学技術アカデミーが世界で初めて開発した。ナノ単位の突起構造は撥水(はっすい)効果もあり、汚れのつきにくいガラス窓などへの応用も考えられている。
「スパイダーマン」も夢じゃない?
ヤモリは指先から粘着性の物質を分泌していないにもかかわらず、天井を自由に走り回れる。これは、指先にある「ラメラ」と呼ばれるひび割れ構造のおかげだ。その内部には、長さ100ミクロン、直径5ミクロン程度の剛毛が数十万本も密生している。剛毛の先端はさらに100~1000の枝毛に分裂しており、個々の枝毛の先端は皿状の構造になっている。皿状構造の直径は約200ナノメートル。この皿状の構造が、「ファンデルワールス力(りょく)」という分子と分子の間にはたらく小さな引力を生み、天井などの面に張り付いていると考えられている。