このことから、アメリカのデイトン大学の研究チームが、ナノカーボンの一種であるカーボンナノチューブを縦に並べてヤモリの指先の毛の構造を模したフィルムを開発、さらに日本の日東電工と大阪大学も、カーボンナノチューブを用いてヤモリの手に近い粘着力を実現した「ヤモリテープ」の共同研究を進めている。このテープが製品化されれば、強力な粘着力を有しながら、はがしたいときに簡単にはがすことができる。また、コンクリートや石、木材などどんなものにも接着できるので、岩場やビルでの災害救助にも役立つ。映画「スパイダーマン」の世界が現実のものとなるかもしれないのだ。
カタツムリの殻が汚れない秘密
カタツムリはいつもジメジメした場所にいる。それにもかかわらず、殻の表面はなぜかきれいだ。カタツムリの祖先は約6億年前に誕生し、その殻は大理石と同じ成分のアラゴナイトとたんぱく質で出来ている。たんぱく質は汚れの原因となる油と相性が非常に良いのに、カタツムリの殻が汚れにくいのは、殻の表面に数百ナノメートルからミリサイズまでの広範囲な階層で溝が作られているからだ。その溝に薄い水膜ができる仕組みになっているため、油をはじくのである。このカタツムリの表面構造をまねることで、汚れがつきにくい外壁タイルが開発され、実用化されている。タイルのほかにもキッチンシンクに応用することで、掃除に使う洗剤の量を大きく減らすことに成功している。その他、エコロジー、環境負荷低減という観点からは、アワフキムシをヒントに、水をほとんど使わない泡のお風呂などが開発されている。カメムシの仲間であるアワフキムシの幼虫は木の枝などに泡で巣を作り、その中で生活する。この巣は見た目よりも頑丈で、風雨によって吹き飛ばされることもなく、日照りで干からびることもない。
この仕組みをヒントに開発された泡のお風呂は、保温性に優れる泡で身体を温め、泡がつぶれる際に発生する超音波で身体を洗浄する。従来のお風呂が200~300リットルの水を使うのに対して6~8リットルで済み沸かすお湯も少なくて済むので、エネルギーの大幅な節約にもなる。水圧がかからないので高齢者や身体障害者にも優しい入浴が可能だ。
ほかにも、トンボの翅の表面にある凹凸構造を模した、風速20センチで回り始めて風速80センチの風で発電する直径50センチのマイクロ風車や、アワビの殻を模した、軽くて硬く、熱に強く、錆びず、しかも割れにくいセラミックスなど、バイオミメティクスを基にしたさまざまな製品や材料が、現在、日本をはじめ世界各国で研究開発されている。
精神欲を満たすネイチャー・テクノロジー
ここまで、さまざまなバイオミメティクスの技術を紹介してきた。とはいえ、私は単に自然のメカニズムを模倣するだけでは、地球温暖化防止や環境負荷低減は不十分だと考えている。世の中には省エネ家電などエコ商材が溢れているにもかかわらず、この数年で家庭のエネルギー消費量は増えており、環境負荷は逆に上がっている。その理由は、エコ商材が消費の免罪符になっていることや、エコ商材が最適に使われていないことなどが挙げられる。そもそも、地球環境の劣化の根本原因は、人間の際限のない物欲と、それを支えるテクノロジーの肥大化にある。それが、資源・エネルギーの枯渇、生物多様性の危機、温暖化に代表される気候変動、水や食料の偏在、人口増大などというリスクを生み出した。この人間活動の肥大化を、我慢を強いることなく、生きることを楽しみながらも、いかに縮小させられるか。これこそが地球環境問題の大命題であり、その解が、今求められている新しいテクノロジーの形である。
そこで、“物欲”をあおるテクノロジーから、自然の完璧な循環を基盤とし、“精神欲”をあおるテクノロジーへと移行する手段として、私が提唱しているのが、「ネイチャー・テクノロジー」である。
ネイチャー・テクノロジーとは、「自然に学ぶものづくり」を指すが、単なるバイオミメティクスではない。最も小さなエネルギーで、完璧な循環を作り上げている自然のメカニズムを手本とし、最適にデザインし直されたテクノロジーである。
生物は利己的でありながら、完璧な循環を見事に両立させている。つまり、ネイチャー・テクノロジーとは、自然の循環のように持続可能で、なおかつ豊かな暮らしを実現できるこれからのものづくりのあり方であり、価値観のパラダイムシフトを求める概念なのだ。その点で、バイオミメティクスはネイチャー・テクノロジーの一部として捉えることができるだろう。
しかも、ネイチャー・テクノロジーの基盤は日本にある。自然を人間の下に置き、自然を支配しようとしてきた欧米の近代テクノロジーの思想とは異なり、日本では昔から自然を崇め、自然と和合して生きることを楽しんできたからだ。
これからの時代に求められるネイチャー・テクノロジー。2012年7月からは、文部科学省の新学術領域研究として「生物多様性を規範とする革新的材料技術」が設置され、ネイチャー・テクノロジーに関する国を挙げた組織的な研究が本格始動している。このプロジェクトでは、今後5年間で、バイオミメティクスに関するデータベースを構築するとともに、生物学と工学の両方に精通した人材の育成を目指している。近い将来、ネイチャー・テクノロジーは、エネルギー・環境問題の解決に寄与するパラダイムシフトをもたらすことになるだろう。