殺虫剤を継続的に使用すると殺虫剤抵抗性がついて効かなくなりますが、その機構としては主に(1)殺虫剤が作用する昆虫の神経や受容体のたんぱく構造が変化して、殺虫剤が作用しなくなる、(2)皮膚の構造が変化して、殺虫剤が皮膚を透過しにくくなる、(3)虫の体の解毒酵素が強くなり、体内に浸透した殺虫剤を速やかに無毒化する、の三つが挙げられます。ちなみに、これらの機構は病原体の感染機構とは異なりますので、抵抗性を獲得した蚊が病原体をより感染させやすくなるということは一般的にはありません。
だから、うっとうしい
蚊の羽音を私達が不快に感じるのは、「羽音→知らないうちに吸血される→激しいかゆみ→眠りが妨げられる」という忌まわしいサイクルの記憶が頭のなかに染みついて、羽音を聞いただけで条件反射的に不快感が湧いて出てくるのではないか、と私は思いますが、どうでしょう?蚊の羽音の周波数はおおよそ300~600ヘルツといわれています。デング熱を媒介するネッタイシマカの場合、メスの羽音が約400ヘルツ、オスの羽音はそれより少し高い約600ヘルツです。ところが、2匹の蚊が数センチ内に近づきながら飛翔すると、それぞれの羽音の周波数は1200ヘルツ前後にまで上昇し、 まるでハーモニーを奏でるようにお互いを同種として認識し、交尾に至るようです。これは2009年にアメリカのコーネル大学の研究者によって明らかにされ、『サイエンス』誌に掲載されました。
ちなみに、最近、コンビニなどで若者たちの「たむろ」を防ぐためにモスキート音(モスキートリングトーン)という、大人には聞こえにくいとされる不快な音が用いられることがありますが、これは1万7000ヘルツ前後の周波数で、蚊の羽音よりもはるかに高音で性質の異なる音になります。
こうして血を吸う
蚊が吸血するのにかかる時間は、種類によって違います。一般にヒトスジシマカは1~3分程度、アカイエカではもう少し長く、5分程度かそれ以上かけて吸血しますが、同じ種類でも個体差があります。多くの人がもつイメージとしては、目に見える1本の針のような口が皮膚に刺さって吸血されるというものだと思います。しかし、実際にはこの口器はさらに細く6本の構造物からなる刺針部と、それを収納する鞘(さや。下唇とも呼ばれる)からなっています。刺針部には血液を吸い取るストローの役目を果たす管や皮膚に穴を開けるドリルの役目をする器官が含まれます。鞘は吸血時にくの字にたわんで刺針部を支え、それ自体が皮膚に刺さることはありません。肉眼で見える針のような口は実際には皮膚に刺さっていないのです。ドリルの役目を果たす器官には微妙なギザギザがあり、これを振動させて口針を差し込むことで痛みを与えることなく血管を探ることができます。吸血時には唾液(だえき)が注入されますが、この唾液の働きは痛さを和らげるというよりは、むしろ血管を拡張させるとともに血液の凝固を抑制し、吸血させやすくしていると考えられます。最近では蚊の口の構造をまねて、刺しても痛くない注射針が開発されています。
蚊に刺されてかゆくなるのは、吸血時に注入される唾液に対するアレルギー反応が引き起こされるためです。引っかいてできた傷に細菌が入ることで、水ぶくれができ、さらにかゆみをもつ「とびひ」になる可能性もあります。この細菌は感染力が強いため、体の他の部分に広がったり、接触で他の人に移すこともありますので、蚊に刺された場合はかきむしらず、ひたすら我慢するか、抗ヒスタミン入りのかゆみ止め薬をつけるなどして対処することがすすめられます。
刺されやすいのはこういう人
血液型と吸われやすさについて聞かれることが時々あります。これまでに報告された関連論文をひも解いてみると、O型の人が一番吸われやすいという研究結果がいくつか見つかります。しかし、これらの論文には、実験の信頼度を示す実験誤差が示されていなかったり、示されていても大きかったりして、確信がもてるものではないように個人的には感じています。O型血液は他のどの血液と混ざっても凝集しないため、蚊にとってリスクが少ない。だから、蚊はO型を好んで吸血する、というもっともらしい解釈もできなくはありませんが、もしそうであれば、他の血液と混ざったときに凝集してしまうリスクが最も大きくなるであろうAB型を回避するような傾向が出ると考えられます。しかし、過去の論文の結果はそうなっていません。今のところ、血液型を判別することによって蚊が受けるメリットは、科学的に説明できるものがありません。
多くの蚊の誘引源として共通するのは二酸化炭素と熱です。あとは吸血源動物の体臭が関与します。夏の夕方(ヤブカの活動時間帯)、激しい運動をした後(呼吸=二酸化炭素、汗=体臭)、ビール(炭酸=二酸化炭素)でも飲みながら庭でバーベキュー(熱、二酸化炭素)などという状況は、蚊にとっては鴨がネギをしょってやってくるようなものです。
ただ嫌われるだけでもない
多くの人々にとって「不快」で「うっとうしい」蚊ですが、中にはその美しい外観ゆえに蚊の専門家から好かれるような種類もいます。キンパラナガハシカという、竹やぶなどに生息する蚊は腹部が金色に輝き、頭頂部が瑠璃色に装飾された非常に美しい形態をしています。専門家の中にはこのグループの蚊を好んで収集する人たちもいるのです。また、蚊は生態系を支えるうえでも、非常に重要な役割を担っています。たとえば、食虫性のコウモリは一晩に数百匹から多いときで1000匹以上もの蚊を捕食しているといわれています。ヒナコウモリの仲間でフロリダに生息する集団は、年間に15トンもの蚊を捕食していると予測した調査結果もあります。蚊はこれらコウモリをはじめとして、昆虫類を捕食する生物の生命維持に重要な役割を果たしているのです。あまり知られていないことですが、コウモリは世界で1000種近くが報告され、これは哺乳動物全体の実に4分の1に相当します。
仮に蚊がこの世からいなくなり、それとともに哺乳類の4分の1が地球上から姿を消してしまった場合を想像すると、蚊の存在の大きさが理解できるのではないでしょうか。そう考えると、あなたが今晩受けるかもしれない蚊の一刺しなんて、ほんのささいなこと……というわけにもいきませんかね(笑)。
日本脳炎(Japanese encephalitis)
東南アジアや南アジアを中心に分布するウイルス感染症で、ときに重篤(じゅうとく)な急性脳炎を引き起こす。潜伏期は6~16日で、高熱、頭痛、嘔吐(おうと)、目眩(めまい)などに続き、意識障害や筋肉の硬直、麻痺やけいれんなどをともなう。脳炎を起こした場合の致死率は20~40%にも及ぶ。黄熱と同じく、フラビウイルス属のウイルスによるもので、ブタなどの家畜に感染することでウイルスが増殖し、それを吸血したコガタアカイエカに刺されることでヒトに感染する。
ウエストナイル熱(West Nile fever)
アフリカ、ヨーロッパ、中東、中央アジアなど、広範囲に分布するウイルス感染症。名前は、ウガンダのウエストナイル地方で最初の患者が見つかったことにちなむ。潜伏期は3~15日で、発熱、頭痛、背中の痛み、筋肉痛などをともない、約1%の患者がまひや昏睡(こんすい)、けいれんなどの髄膜炎(ずいまくえん)や脳炎を発症する重篤(じゅうとく)な症状を見せる。このウイルスに感染した鳥類からの吸血時にアカイエカなどが感染し、その蚊に刺されることでヒトが感染する。
デング熱(dengue fever)
中央アメリカ、南アメリカ、東南アジア、南アジア、アフリカ、オーストラリアなどの熱帯・亜熱帯地域に分布するウイルス感染症。非致死性の軽症型と致死性の重症型がある。前者は「デング熱」と呼ばれ、感染から3~7日後に発熱や頭痛、眼窩痛(がんかつう)、筋肉痛などをともなうが、1週間ほどで回復する。後者は、平熱に戻りかけたときに鼻血や吐血、下血などを発症する出血性の「デング出血熱」と、血液中の血漿(けっしょう)の漏れだしが進行してショック症状を引き起こす「デングショック症候群」とに大別される。デングウイルスによるもので、これには四つのタイプがあるが、どの型でも同様の症状を示し、ネッタイシマカとヒトスジシマカによって、ヒト~蚊~ヒトのサイクルで感染が広がる。
チクングニア熱(Chikungunya fever)
西アフリカ、中央アフリカ、南アフリカ、東南アジアなどに分布するウイルス感染症。潜伏期は3~7日程度で、発熱、関節痛、発疹、倦怠感(けんたいかん)などをともなうが、致死性ではない。チクングニアウイルスに感染しているヒトから吸血することでヒトスジシマカやネッタイシマカがウイルスに感染し、その蚊がさらに他のヒトを刺すことで感染が広がっていく。
黄熱(yellow fever)
アフリカや南アメリカなどの熱帯・亜熱帯地域に分布するウイルス感染症。潜伏期は3~6日で、軽症であれば発熱、頭痛、嘔吐(おうと)などをともなうものの、数日で回復する。重症になると、さらに目眩(めまい)や高熱、脈拍数の低下、黄疸(おうだん)、下血などをともない、致死率は20%に及ぶ。サル日本脳炎と同種のフラビウイルス属のウイルスによるもので、このウイルスはサルとヒトを宿主とし、ネッタイシマカによってランダムに媒介され、感染が広がる。
マラリア(malaria)
熱帯・亜熱帯における代表的な感染症で、マラリア原虫によって引き起こされる。発熱、倦怠感(けんたいかん)、関節痛、嘔吐(おうと)、下痢などの症状をともない、死に至ることもある。ハマダラカの唾液腺(だえきせん)には、マラリアの原因となるマラリア原虫の「胞子」が集まっており、ヒトを吸血するときに注入する唾液と一緒にこれが体内に侵入。肝細胞で増殖したうえで、血液中に放出されることによって発病する。