オスでもあり、メスでもあり、まったりな一生
私たちはナメクジという生きものをどれだけ知っているのでしょう? 植木鉢やシートをどけると、ひっそり隠れていたり、雨上がりであれば葉っぱや壁に張りついたりして、粘液の跡を残しながらゆっくりと這っているところを見かけるような生きもの。そのくらいの認識ではありませんか。そもそも、ナメクジはカタツムリと同様、陸にすむ貝の仲間です。先祖は水中で生活していました。彼らの体の約90%は水で、やわらかい体や皮膚を摩擦や乾燥から守るために粘液をまとい、何かの影となる湿っぽい場所でひっそり暮らしています。雨上がりに壁などを這っているナメクジを見ることがあると思いますし、湿ったところによくいるので、ナメクジは雨の多い梅雨や夏が好きだと思われがちですが、実はこれは誤解です。彼らは雨上がりの湿気の多い環境が好きなだけで、暑さは大の苦手です。逆に寒さには強く、札幌の厚い雪の下でもナメクジは生きています。
また、「ナメクジは塩をかけると溶ける」と思われていますが、塩に水分を吸収されて小さくなってしまうだけで、体そのものが溶けてなくなるわけではありません。
ナメクジはオスでもありメスでもある雌雄同体(しゆうどうたい)ですが、基本的には交尾をして次世代を作ります。現在日本でよく見られるチャコウラナメクジの場合、体の右側にある生殖孔をくっつけるように向かいあって交尾します。精子をお互いに交換し、自分の卵子と受精させてから一度に20個ほどのタマゴを産みます。
寿命は種によって違いますが、数カ月から数年程度で生涯を終えていきます。
ナメクジは「食う食われる」といった激しい生存競争の中に身を置いているわけではありません。雑食でキノコや野菜など何でも食べますが、野外でよく食べているのは落ち葉で、食生活は質素です。ちなみに、ナメクジの種のほとんどは、他の生き物を襲って食べることはしません。
逆にナメクジを捕食する生き物としては、コウガイビル(山にいるヒルとは違う仲間で、プラナリアの仲間)、またはサルやカエルがナメクジを食べるという報告はあるものの、ナメクジの個体数を大きく減らしてしまうほどではないので、人間以外にこれといったナメクジの天敵はいないようです。
ナメクジは害虫?
梅雨になると、ナメクジ用殺虫剤を見かけるようになります。ナメクジはたくさん農作物を食い荒らしたり、何か人間に直接的な害を及ぼすいわゆる「害虫」というより、どちらかというと姿を見ると嫌な気持ちになる「不快害虫」になります。たとえば、キャベツを丸ごとナメクジが食べつくすわけではありませんが、買ってきたキャベツを台所で調理しようと葉をむいたときにナメクジと対面してしまうと、多くの人は嫌な気持ちになり、キャベツを食べる気さえなくしてしまうかもしれません。また、果物にナメクジの這った跡がついてしまうと、それだけで売り物にならなくなるそうです。では、ナメクジを有効利用する方法はあるのでしょうか? 同じ陸貝であるカタツムリの粘液を使った美容パックやクリームが販売されています。殻のあるカタツムリより殻のないナメクジの方が、高い保湿力のある粘液をもっていそうですが、ナメクジに良いイメージがないので、なかなか実用化は難しそうです。
その昔、日本ではナメクジを使った民間療法があったようです。つぶして湿布の代わりにしたり、丸のみにするとのどや声が良くなるなど、いろいろなことにナメクジを使っていたようですが、寄生虫や衛生面を考えると、残念ながらお勧めできません。
ナメクジの世界は「置き換わる」
日本でもっともよく見かけるナメクジはチャコウラナメクジという種で、彼らはもともとヨーロッパに生息していましたが、第二次世界大戦後の再興に向かう1950年頃に日本に侵入しました。実は、それ以前に定着していたのはキイロナメクジという、やはりヨーロッパ原産の外来種で、明治時代の開港を機に日本に侵入して、全国に広がりました。ところが、そのキイロナメクジは、チャコウラナメクジの侵入ののち、すっかり姿を消してしまいました。これは「ナメクジの置き換わり」といって、日本に侵入した新たな外来種が、その後に入ってきた外来種にその地位を奪われてしまうという珍しい現象です。
キイロナメクジが入ってくる前にも、日本には在来種のナメクジがいました。大きければ20センチにもなるヤマナメクジと、体の両脇に1本ずつ線が入った、そのものズバリの「ナメクジ」という種で、両者は今でも日本に生息しています。ナメクジとヤマナメクジのどちらが「先住」だったのか気になるところですが、化石のような標本すらなく、遺伝学上のルーツの追跡は困難です。「ナメクジ」という種名から考えると、こちらの種がより一般的だったと推測されます。江戸時代の『児雷也豪傑譚(じらいやごうけつものがたり)』という物語の中にはナメクジ使いのキャラクターも登場し、その錦絵にはナメクジに見えるものが描かれています。
「置き換わり」はなぜ起こる?
「ナメクジの置き換わり」はなぜ起きたのでしょう? チャコウラナメクジは攻撃的な生きものではなく、キイロナメクジを直接襲うようなことはありません。大きさにしても、チャコウラナメクジのほうが小さいくらいです。種の間で生じる生存競争でなければ、環境要因が第一に考えられます。ヤマナメクジやナメクジは自然の多いところにいるものです。戦後の荒れ果てた日本が整備され、都市化し、高度経済成長と同調していくような劇的な環境変化がキイロナメクジにとっては不利に、チャコウラナメクジにとっては有利に働いた結果なのではないでしょうか。キイロナメクジは外国では今でも生息しています。手に入れて実験を積み重ねれば、理由が追跡できるかもしれませんが、ナメクジの輸入には法律上の困難もあり、実現できていません。
また、日本にはもともとナメクジの種が少ないことも、外来種への「置き換わり」が起こりやすい要因と考えられます。
巨大ナメクジが国内に侵入している
今、新たな外来種のナメクジが日本に侵入し、生息域を広げています。マダラコウラナメクジといって、這ったときに20センチにもなることがある、またもヨーロッパ原産の巨大ナメクジです。2000年ごろ、茨城県で大きなヒョウ柄のナメクジが見つかり、05年に、それがマダラコウラナメクジだと研究者により発表されました。その後、マダラコウラナメクジは、福島県、長野県、北海道でも発見され、生息域を広げています。地域的な関係、季節や気候などの環境条件の違いを考えると、茨城県を起点に広がっているのではなく、複数の侵入ルートがあり、地域ごとに別々に侵入している可能性が高いと考えられます。
どのようにマダラコウラナメクジが日本に入ってきているのか、その侵入ルートは明らかになっていません。過去には、アフリカマイマイのように食用として輸入し、繁殖させたものが広がった陸貝がいますが、マダラコウラナメクジではその可能性は低いでしょう。日々日本にはたくさんの植物や物が輸入されています。これらにナメクジやその卵が紛れ、気づかれないまま国内へ持ち込まれていると考えられます。そして、日本国内の物流の速さを考えると、マダラコウラナメクジが、すでに日本のさまざまな場所に侵入していてもおかしくありません。