ブラジル保健省によると、今年(2016年)1月から4月下旬までの間に、ジカウイルスに感染した恐れがある人は12万人に達したそうです。世界保健機関(WHO)も2月にこの病気を「国際的に懸念される公衆の保健上の緊急事態」と宣言しました。
経済や治安の不安定さも相まって、8月に開幕を控えたリオデジャネイロ・オリンピックが無事に閉会式を迎えることができるのか、世界中の人々にとって大きな関心事となっています。
それは「ジカの森」で発見された
ジカウイルスは、1947年にアフリカ、ウガンダのジカ森林で、黄熱の研究用に飼育されていたアカゲザルから発見されました。デング熱や日本脳炎が属するフラビウイルスの一種で、ジカ熱はわが国では狂犬病や鳥インフルエンザ、黄熱などと同じく、医師による届け出が必要な4類感染症に指定されています。おもな症状としては、高熱、発疹、関節痛、結膜炎などがありますが、多くの場合は症状が出ない不顕性感染で、症状があったとしても数日から1週間ほどで治まり、比較的軽いのが特徴です。
2015年以前は、アフリカ、東南アジア、太平洋諸島で症例が報告されており、これらの地域では散発的に流行が起こっていたものと思われます。しかし、症状が比較的軽いがゆえに、ほかの病気と区別がつかなかったり、病院へ行く人が少なかったりして、その実態が詳細に把握されることはありませんでした。
蚊によって媒介される
ジカウイルスはネッタイシマカを中心としたヤブカの仲間によって媒介されます。日本にはネッタイシマカは生息しませんが、14年にデング熱の流行で国内を騒がせたヒトスジシマカは媒介が可能です。昼間に盛んに吸血にやってくる縞模様の蚊で、秋田・岩手県以南の全国に分布し、ヒト嗜好性が高いのが特徴です。ヒトスジシマカは秋になると休眠卵を産み、厳しい冬を卵の状態で乗り越えます。一方、ネッタイシマカは越冬卵を産まないことから、日本のほとんどの地域で冬を越すことができないのです。
ジカウイルスと小頭症
ブラジルへの侵入後、この病気が恐れられるようになった最大の理由は、妊婦が感染した場合、その子どもが小頭症という、脳体積が小さく、知能の発達障害を伴う病気をもって生まれてくる可能性があるからです。ほかに、運動神経障害と筋力低下などをもたらすギラン・バレー症候群との関連も指摘されています。また、輸血や性交渉によっても感染しうることから、蚊に刺されなければよいというわけでもありません。症状が軽いがために、ウイルスの感染に気が付かず、他の人へ感染させてしまうことがあるのです。小頭症とジカウイルスとの因果関係については、ブラジルでは同じく蚊が媒介するデング熱が流行するため、その対策としてこの地域で限定的に放逐している遺伝子改変したネッタイシマカが原因ではないかとか、井戸や貯水設備に投与した、蚊の幼虫(ボウフラ)駆除薬が原因ではないかなど、さまざまな憶測が飛び交いました。しかし、サンパウロ大学やアメリカのチームが小頭症とジカウイルスの因果関係を結び付ける直接的実験証拠を5月『Nature』誌に発表したことを受け、アメリカ疾病対策センター(CDC)は「ジカウイルスが小頭症の原因である」と結論付けました。
なぜ、突然、重い症状が?
これまでも中南米以外の地域で流行があったにもかかわらず、ジカ熱と小頭症の問題が表面化しなかったのは不思議なことです。まず、科学者の多くが疑ったのが、ウイルスの変異です。しかし、これについては、複数の小頭症患者から分離したウイルスの遺伝子解析の結果、ウイルスの性質を変化させるような変異は起こっていないことが明らかになっています。その一方で、まだ結論が出たわけではありませんが、最近、アメリカのある研究者から興味深い仮説が提唱されています。小頭症をもった子どもの母親の血液を検査した結果、高い確率で「デング熱に対する高い抗体価」が認められ、デング熱に感染した際に獲得した免疫機構が、後のジカウイルス感染時に何らかの形で悪影響を及ぼし、小頭症をもたらしたのではないかというのです。
デングウイルスには大きく分けて四つの型が存在しており、一度感染した人が2回目に別の型のウイルスに感染すると、より症状が重いデング出血熱を患う場合があります。これも最初の感染で獲得した抗体が悪い方向に働く、いわゆるサイトカインストームによるものであるとされ、小頭症に関する仮説はこの現象を想起させます。もしそうであれば、デング熱流行国のブラジルで小頭症患者が多く発生したことも説明がつきそうです。今後の研究の進展を注視していく必要がありそうです。
どうやってブラジルに侵入した?
直接的証拠はないものの、上陸のきっかけとなった出来事を推測した文献があります。ブラジル保健省らが行った遺伝子解析の結果、「現在中南米で流行しているジカウイルスは、13年5月以降にブラジルに侵入した、たった一つのウイルス株に由来していると予想された」というものです。そこから推察すると、13年6月に開催されたサッカーの「FIFAコンフェデレーションズカップ」、もしくは14年8月に開催されたカヌーの「ヴァア・ワールド・スプリント・チャンピオンシップ」の際に持ち込まれた可能性が疑われます。実際、これらの大会では、ジカ熱が流行している太平洋諸島からの参加がありました。
リオ・オリンピックは安全か
新聞報道によると、6月末の段階で、オリンピックのチケットは3割程度が売れ残り、競技によってはディスカウントが始まったほか、パラリンピックについてはさらに深刻なようです。WHOは先日、「オリンピック期間中のリオデジャネイロは乾期に当たり、ボウフラが発生しにくいこと、そして今までのデング熱発生の季節消長から鑑みて、この間にジカウイルスに感染して、感染者が世界中にウイルスを拡散させる可能性は極めて低い」と発表しました。リオデジャネイロの8月は冬に当たり、蚊に刺されるリスクが低い季節であることは間違いありません。実際、患者発生数は2月を境に減り続け、5月中旬になると、ピークの10%にまで減少したそうです。
しかし、リスクが全くなくなるのは、乾期に本当に雨が降らなかった場合の話です。例えば、15年8月には約800人のデング熱患者がリオデジャネイロから報告されています。これは、前年の雨季に当たる3~5月、通常最もデング熱患者が出るとされる3カ月の合計患者数よりも多かったのです。