様々な場所に巣を作れるキイロスズメバチにとって、日本家屋は格好の立地条件を満たしており、屋根の軒下、屋根裏、床下、雨戸の戸袋など、いたるところで巣が見つかっています。食べ物についても、家庭から出る生ゴミなどは豊かな栄養源となっており、野山よりも多様な食材にあふれています。
さらに、天敵のオオスズメバチが都市部に適応できないことも好条件で、私たちがキイロスズメバチのために安全安心な生活空間を創造してしまったような皮肉な格好になっているのです。野山では「負け組」だったキイロスズメバチは、高い増殖力をもって生き延びてきましたが、都市部でもその増殖力をセーブするようなことはしません。一つの巣から時に1000匹もの新女王バチを生産する高い生殖能力と、住環境や食環境に制限がかけられず、天敵もいない都市部での増加は驚異的であり、まさに「都市適応型スズメバチ」といわれる所以(ゆえん)です。
生態系におけるスズメバチの立ち位置
スズメバチの幼虫や蛹は、良質なたんぱく源です。自給自足の生活を送っていた私たちの先祖にとって、イノシシやシカなどの肉を手に入れるのに比べれば、たんぱく源としての昆虫には手が届きやすかったはずです。日本には今でも長野県などを中心にイナゴやザザムシ(ヒゲナガカワトビケラの幼虫)などを食する「昆虫食文化」の名残があります。中でもスズメバチの幼虫や蛹は栄養満点の食材と言え、かつてその巣はハンティングの対象であったと考えられます。現代人にとって恐怖の的となっているスズメバチも、つい数百年前には立場が逆で、ヒトがスズメバチの強力な捕食者であったと考えられ、毒針を使った集団的な防衛行動の進化は、その捕食者に対する適応と考えられるのです。スズメバチの毒液の成分と効果、ヒトの頭や目など急所を狙った攻撃、免疫機構を逆手にとった蜂毒アレルギーの発症など、いずれもがスズメバチが進化の過程で獲得した「ヒトに対して効果的な防衛戦略」と言えます。両者の生態系の中における「食う者と食われる者」のせめぎあいの歴史の深さを感じざるを得ません。
一方、自然界においてスズメバチは主に昆虫類を捕食して生活しており、彼らの獲物は草木や樹木を食い荒らす農業・森林害虫がほとんどです。生態系のバランスを保つ捕食者として重要な機能を担っている側面も理解し、この「怒らせると怖いが、頼りになる緑のパトロール隊」との共存の道をはかるべきとも言えます。
スズメバチから身を守る基礎知識
もし、スズメバチの巣を見つけても、興味本位で近づくのは厳に慎むべきです。9月も半ばを過ぎれば、キイロスズメバチの巣の中には500匹を超える働きバチがいると考えられます。身の回りをまとわりつくようにスズメバチが飛ぶようなことがあれば、知らず知らず巣に近づいている可能性が高いので、もと来た道をゆっくりと後ずさりして、その場から離れることが賢明です。そうすれば、その警戒も解かれ、事なきを得られます。
郊外に出かけるときには、身なりにも気を配りたいものです。まず、服装ですが、刺激を受けて興奮したスズメバチは黒くて光るところを狙い撃ちする習性があるので、白い帽子をかぶり、着衣も白系の色の淡いものを選ぶのがよいでしょう。さらに、スズメバチは非常に鋭敏な嗅覚をもっており、香り物質によってコミュニケーションをとっているので、香りの強いものを身につけると、その香りの中にスズメバチを刺激してしまう成分が含まれている可能性があることも念頭に置いてください。
スズメバチの巣が自宅で見つかった場合、今の時期は素人の手で駆除することはきわめて危険、こじれると隣家に迷惑をかけてしまうことも懸念されます。巣の駆除を請け負う専門業者に依頼して撤去するようにしたいところです。高額な駆除費用を一部補助してくれる自治体もあるので、相談してみるのも一案でしょう。
万が一にも刺されてしまった場合には、できるだけ迅速にその巣から遠くに逃げましょう。安全な場所に避難したら、刺された患部を指でつまんで圧力を与えると、針の穴から血液と一緒に毒液が出てくるので、冷たい流水で洗いながら体外に毒を絞り出します。また、毒液を簡単に抽出できる器具がアウトドアショップなどでも購入できるので、備えて置くとよいかもしれません。
全身にかゆみが走りじんましんが出る、息苦しい、ふらふらするなどの全身症状が出た場合には、アナフィラキシーショックが発症した可能性が高く、医師による一刻も早い診断と治療が必要となります。蜂毒によるアナフィラキシーショックは、発症までの時間が非常に短いのが特徴で、数十分程度で意識を失い、死に至る場合もあります。もちろん、アレルギー反応である以上、抗原に対して過敏になる人とならない人があるので、心配な方は、皮膚科やアレルギー内科で、蜂毒に対する抗体量やリスクを診断してもらうとよいでしょう。
新たな外来種も侵入中
2012年、長崎県対馬において、韓国から侵入したとされるツマアカスズメバチが見つかりました。その後次々と巣が発見されて定着が確認、15年1月には環境省により特定外来生物に指定されることになります。体のサイズはキイロスズメバチ程度で小型の部類に入るものの、巣の大きさは長径1メートルを超え、繁殖力や攻撃性が高く、危険な種として知られています。対馬ではニホンミツバチの養蜂に極めて深刻な被害をもたらしているとともに、ヒトに対しての被害も発生しています。
韓国から対馬への移入は、船などで移送される物資の中に女王バチが紛れ込んで、巣作りが成されたことによるものと考えられますが、当の韓国にも侵入種として分布を拡大した経緯があります。15年9月には福岡県北九州市でも営巣が確認され、16年5月には宮崎県日南市で女王バチ1頭が捕獲されるなど、予断を許せない状況となってきました。
現在のところ、この外来スズメバチの日本国内での分布拡大を食い止める方策として、巣作り前の女王バチの捕獲と殺虫、巣の早期発見と駆除、生殖虫(オスバチと新女王バチ)を巣立たせない、といった対処療法的な手段が必要です。ツマアカスズメバチの蔓延化を防止するためには水際での対応が重要で、これからの動向を注視しなければなりません。