瞑想とは何か
私が生活に瞑想を取り入れるようになってから15年ほど経ちます。きっかけは日々のストレス対策でした。最初のおよそ5年間は臨済宗のお寺が主催する坐禅会に通っていました。脳科学者としての専門的な興味から瞑想を始めたのではなく、「人生というものは思った通りにならないものだなあ」という平凡な悩みがあったときに、ふと瞑想を始めてみようと思ったのです。それから、瞑想は生活のルーティンになっていき、現在でも毎朝20分ほど、一人でただ座る、という瞑想を行っています。仏教では修行の一つとして、多くの流派で少しずつ違った瞑想が行われています。近年では、アップル社の故・スティーブ・ジョブズなど著名人が坐禅や瞑想をライフスタイルに取り入れていることが耳目を集めました。一方、脳科学の分野では、脳波測定や磁気共鳴機能画像法(fMRI)などの解析方法が急速に進歩し、瞑想が脳にもたらす効果を科学的に分析できるようになりつつあります。長い歴史のなかで人間が作り上げてきた脳トレーニングのメソッドが瞑想だとすれば、その仕組みや効果を明らかにするために科学の手法がやっと追いついてきた段階だと言えるでしょう。
脳科学の知見から明らかになってきたこと
瞑想に関する最初の興味深い科学的研究に、チベット仏教の修行者の脳活動の分析があります。修行者の脳波を解析したところ、ガンマ波と呼ばれる認知活動に関わる脳波の活動量が瞑想修行に費やした時間の長さに比例して増加していることがわかりました。これは集中力の増加に関係していると考えられます。その後の研究で、修行者の脳は、形にも変化が起きていました。思考や創造性を担う前頭前野の皮質が厚くなる構造変化が見られたのです。また、脳の部位間のつながり(ネットワーク)にも変化がありました。修行者の脳では、恐怖感や不安、喜びといった感情の働きに関わる扁桃体と、前頭前野の結びつきが強くなる機能結合も確認されています。この結果、感情を制御する能力が高まっている可能性が考えられます。研究対象となったチベット仏教の修行者は、1日に約10時間、3年間かけて1万~5万時間もの瞑想を行っています。彼らは徹底的な瞑想によって、自らの脳の活動の仕方を変化させているとも言えるでしょう。この研究データが明らかにしたのは、脳にはその活動によって神経細胞間の結合が変化する可塑性と呼ばれる現象が認められますが、瞑想によってそれを促進できる可能性があるということです。
瞑想のさらなる効果
瞑想にはストレス軽減のほか、痛みの緩和や、うつ病の再発率を下げる効果などがあると言われています。この現象についても脳科学の知見から説明することができます。うつ病の治療の一つに、磁気刺激や直流電気刺激を用いて直接的に脳に与える治療法が最近開発されています。瞑想はこういった最新の治療法と表裏一体的で、言ってみれば自分自身の力で脳を刺激し、ゆっくりと脳を変化させていく作業だと言えます。われわれの脳には変わる力があり、瞑想はそれを無理のない方法で促すのです。瞑想はアメリカでは精神医学の分野でも注目されており、投薬では改善しきれなかった患者の治療に瞑想が導入されるケースも増えています。投薬にかかる経済負担を軽減できることもメリットです。また、少年院や刑務所では、懲罰に代えて瞑想を取り入れ、問題行動の抑制に効果をあげているようです。
日常に瞑想を取り入れる
修行者ほどの本格的な瞑想をすることはできないとしても、私たちも日常的に瞑想をし、脳の可塑性に働きかけることが可能です。瞑想には様々な方法がありますが、なかでも生活に取り入れやすく、注目されているものに「観察瞑想」があります。観察瞑想とは、自分の感覚や行動、心に浮かんだ考えを観察する、というものです。たとえば、20分間座って瞑想をするとします。何も考えないというのは、やってみると難しいもので、ただ座っているだけでも、いろいろなことが頭に浮かびます。そういったとき、考えを追い出して無心になろうと努力するのではなく、観察瞑想では「考えが浮かんできたな」と、思考が浮かんだという事実それ自体を観察します。大事なのは、それに対して「これは良い考え、あれは悪い考え」といった評価や判断を下さないことです。
呼吸に対する意識も同じで、通常息を吸う、吐くことに注意を向ける「集中瞑想」が行われていますが、観察瞑想では呼吸過程自体を観察します。自分自身を含めたすべての事象を、ありのままに観察し、評価を下さない観察瞑想を続けていくと、どんなものごとも固定的ではないということを体得的に感じていくことができます。空に浮かぶ雲が形を変えながら消えていくように、この世界にはとどまり続けるものはありません。自分自身も同じで、状態や感情もまた、その時その時に変わっていくのです。
私自身、ストレスに悩まされた時期に瞑想を始めましたが、今思えば人間というものは悩み苦しむときには様々なこだわりに絡めとられています。うまくいかない理由を過去に求めたり、未来を良いものにしたいと願ったり。そして、そういった思いから離れられなくなってしまう。そのようなこだわりを手放すための方法の一つが瞑想です。
瞑想を始めるなら、まずはグループワークから始めるのがいいと思います。というのも、瞑想は定期的に行うほうが効果的ですし、自分一人より、他の人と一緒に行ったほうがモチベーションも持続しやすいものです。日本の場合、禅宗のお寺でやっている坐禅会もよいでしょう。アメリカから始まり、現在ではグーグル社など有名企業でも取り入れられている「マインドフルネス瞑想」も一定の効果があると思います。マインドフルネス瞑想とは、仏教的な上記の観察瞑想方法を取り入れつつ宗教色を減らし、瞑想を8週間のプログラムを中心にメソッド化したものです。その程度の期間があれば、誰でもある程度は瞑想が習慣化されるのではないかと思います。ただ、マインドフルネス瞑想は最近ブームになりつつあり、今後カルト集団が利用する可能性があるので、主催者の信頼性には気をつけたほうがいいでしょう。
「五蘊」と脳科学
最近私が興味深く感じることは、仏教における「五蘊(ごうん)」という概念と、脳の認識過程との関係です。五蘊とは存在の基盤となる五つの要素のことで、「色(しき)、受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)」からなり、「般若心経」にも出てきます。仏教では、「色」とは物質的なものとされています。私はこれを「対象」と捉えています。「受」は、なんらかの刺激を受け入れること、と説明されます。視覚について考えてみましょう。「受」は脳科学的に言えば感覚器の目を刺激した状態だと考えられます。次に「想」ですが、これは対象の情報が後頭葉の視覚野に入った状態を指すと考えられます。続く「行」は視覚情報を受け入れ、目を動かすなど、といった行動に移すことで、前頭葉が関与する脳機能です。そして最後の「識」は、具体的に認識したり、思い出したり、情報を解釈することで、これは側頭葉に関連した脳の機能に当たります。感覚情報は視覚に限らず、聴覚、嗅覚、味覚、触覚にも類似の情報伝達を行っています。
五蘊を脳科学的に解釈すると、対象(色)の刺激を感覚器で捉え(受)、感覚野で知覚し(想)、行動を起こし(行)、判断する(識)ことだと言えるのです。
瞑想では自分自身を含めたすべての事柄をありのままに受け止め、なおかつその善し悪しを判断しないことが大切だということはすでにお話しした通りですが、「色、受、想、行、識」の意味するところを踏まえておくと、瞑想への理解が深まるのではないかと思います。極言すれば、観察瞑想とは、対象を感覚野で知覚する「想」の段階で伝達を止めるトレーニングなのです。それより先のステップである「行」「識」には行かないように訓練するわけです。