しかも、時間をかけてセメント様物質を分泌し、口器を皮膚にしっかりと固定するため、特に口器が長い種の成虫がしっかりと食い付いてしまった場合はなかなか外すことが難しくなってしまいます。無理をして引っ張ると、口器が皮膚の中に残って肉芽腫を形成し、異物感が残ったり、長期に痒みが生じたりすることになったり、細菌感染することがあります。
刺されたときはどうすればよい?
もし、体にマダニが食い付いているのを見つけてしまった場合はどうすればよいか? まずは、マダニに咬まれたとしても感染症にかかる確率は低いため、パニックになる必要はないことを理解してください。私たち専門家でさえ、野外で病原体をもったマダニを見つけることは容易ではないのです。医学会では予防的投薬は勧められていません。ただし、2週間ほど継続的に体温測定し、記録することが推奨されています。これは、マダニ媒介性疾患の多くは、症状として「高熱」が報告されているからです。一方、体に付いたマダニを確実に取り除くには、皮膚科へ行って局所麻酔をしてもらい、外科的に皮膚ごと切除してもらうことです。しかし、病原体は時間とともに体に注入され、感染症を患ってしまう危険性が高まってしまいます。病原体をもっているマダニの確率は非常に低いとはいえ、早く取り除くことが病気の感染リスクを低下させることは間違いありません。
バターがあなたの命を救うかも?
私がもしマダニの被害に気づいたら、まずは「ワセリン法」を試すでしょう。この方法は兵庫医科大学の夏秋優(なつあき・まさる)先生があみ出したもので、マダニ全体にワセリンを塗り、30分ほど放置するだけで、皮膚からマダニを比較的簡単に外せるようになるというものです。ワセリンがない場合はバターや軟膏でも大丈夫だそうです。そのほか、ペットに付いたマダニを外すために「Tick Twister(フランスのO’TOM社製品)」なる器具が販売されています。これをマダニと皮膚の間に刺し込んで、左右に回すことでマダニが外れやすくなり、ヒトにも効果があるとされています。また、体から外すことができたマダニは決して憎いからといってひねりつぶしてはいけません。病原体を媒介するマダニの種類はだいたい決まっているため、専門家に見てもらうと、種によって感染症のリスクが判定できる場合があるのです。
一方、ワセリン法やTick Twister法が通じるのは、口器が短い種類や幼虫、そして食い付いてまだ時間がたっていない(1~2日以内)場合の話。長い口器をもつマダニ種が奥深く刺し込んで、がっしりと皮膚に固定してしまった場合は、どう頑張っても取り除くことはできません。やはり、皮膚科医に診てもらうしかないでしょう。
感染を防げ!
国立感染症研究所昆虫医科学部では、マダニによる被害を防ぐために、パンフレット「マダニ対策、今できること」をホームページ上で公開しています(http://www.niid.go.jp/niid/images/ent/PDF/madanitaisaku20131105.pdf)。そこでは、マダニから身を守るために、野山を歩くときには長袖長ズボンを着用すること、シャツの袖口やズボンのすそを手袋や靴下の中に入れること、そして屋外活動後はマダニが体に付いていないかを確かめるためにシャワーや入浴をすることを勧めています。また、蚊やアブ同様に、虫よけ剤はマダニにも効果があることがわかっていますので、靴やズボンに使用することで、足元から上ってくるのを防ぐことが期待されます。衣服に付いてしまったマダニは粘着テープなどを使うと効率よく除去することができます。
昆虫ではないマダニですが、有機リン系やピレスロイド系の殺虫剤に効果があることもわかっており、殺虫剤によっては草地に散布してから1カ月以上、マダニの密度を低く抑え続けることが私たちの調査でわかっています。
おわりに
まだまだわからないことが多いマダニの世界ですが、近年増加傾向にあるマダニ媒介性疾患について一つだけ言えることは、最近マダニとヒトとの距離がどんどん縮まっているということです。農村の過疎化が進み里山が荒廃してきたり、マタギの高齢化によってシカやイノシシの密度が適切に管理されなくなってきたりした結果、野生動物の生息域が広がり、人間の生活圏に重なりつつあります。一方、地球温暖化によってイノシシのように寒さに弱い野生動物の生息地が北上しつつあり、それにともなって、やはりマダニの分布域が変化してきています。このような環境の変化はマダニによってもたらされる病原体とヒトとの距離も縮め、予期せぬかたちで影響を及ぼしてきています。しかし、大切なのは先にも述べたように、決して過剰に反応するのではなく、マダニによってもたらされる感染症を理解し、正しく恐れ、対応していくことです。私たち研究者も、このように近くなってしまったマダニと今後どう付き合っていくべきか、日々研究を続けているところです。
マダニ媒介性脳炎
「中部ヨーロッパ脳炎」と「ロシア春夏脳炎」が知られる。ともに潜伏期間は1~2週間ほど。前者は、発熱や頭痛、筋肉痛などの症状が現れる第1期と、解熱後に数日を置いて、けいれんや目眩(めまい)、知覚異常などの中枢神経に症状が現れる第2期の「二相性」の病状を呈し、致死率は低いが、感覚障害などの後遺症をもたらすケースが多い。後者は、発熱、頭痛、嘔吐などの症状から、精神錯乱、昏睡、けいれんなどの症状が現れ、致死率は30%に及ぶ。病原体はマダニ媒介性脳炎ウイルス。
日本紅斑熱
潜伏期間は2~8日で、発熱、頭痛、倦怠感とともに四肢末端部を中心に発疹が現れ、刺し口周辺が赤く腫れる。白血球や血小板が減少する症状も見られる。病原体はリケッチアの一種リケッチア・ジャポニカ。
ライム病
潜伏期間は数日~数週間で、発熱、頭痛、倦怠感、関節痛、刺し口を中心に紅斑が現れる「ステージI」、神経症状や心疾患、関節炎、筋肉炎などの症状が現れる「ステージII」、数カ月~数年かけて重度の皮膚症状や関節炎が慢性化する「ステージIII」に至る。病原体は細菌のボレリアで、数種が知られる。
野兎病(やとびょう)
潜伏期間は3~7日で、頭痛、筋肉痛、関節痛の症状とともに発熱が長期に及ぶ。刺し口付近のリンパ節が腫れたり、膿んだりする疼痛もともなう。病原体はグラム陰性小短桿菌。
Q熱
急性型と慢性型がある。前者は潜伏期間が2~3週間で、発熱、頭痛、倦怠感、関節痛、呼吸器症状などインフルエンザ様であるほか、肺炎や肝炎をもたらすこともある。後者は症状が6カ月以上にわたるもので、動脈炎、骨髄炎、髄膜炎、肝炎などに及んでいく。病原体は細菌のコクシエラバーネティー。
クリミア・コンゴ出血熱
潜伏期間は2~9日で、発熱、頭痛、筋肉痛、関節痛などの症状のほか、肝臓や腎臓の不全や消化管出血などに重症化するケースもある。病原体はクリミア・コンゴ出血熱ウイルス。