1例ずつ間違いが起こりましたが、かなり高い感度と特異度で、がんと非がんを分けられたと言えます」(星野氏)
今回のサンプルには、16種類のがんが含まれ、機械学習によりかなりの確かさでがんと非がんを区別でき、さらに5種のがんについては、その種類を正しく分類できたという。
新しいがんのマーカーが見つかる
今回の研究のポイントは二つあるという。
「一つは、エクソソームから得られたがんの種類を見分けるマーカーは、従来のがんのマーカーではなかったということです」(星野氏)
がんの兆候を示す腫瘍マーカーには、細胞増殖に関わるKRAS遺伝子、CEA(消化器がん、肺がん、乳がんなど)、PSA(前立腺がん)、CA125(卵巣がんなど)といったタンパク質が多数知られ、すでに利用されている。しかし、今回エクソソームから得られたのは、これまで知られていなかったタンパク質だった。
興味深いことに、一つのタンパク質が、一つのがんの種類に対応するのではなく、複数のタンパク質の組み合わせが、一つのがんに対応していたことがわかったのだという。一対一ではなく、多対一だったわけだ。こうした複数の組み合わせは「パネル」と呼ばれる。
宅配の小包にマスクだけでなく、アルコール消毒のウェットティッシュが入っていれば、飛沫感染だけでなく、接触感染もする感染症が社会に流行していることがわかるようなものかもしれない。他の商品の情報も得られれば、そのパネルから、病原体を特定することもできるだろう。
がんは全身を変化させる
もう一つのポイントは、「がんは体内にシステミック(全身)に変化を引き起こす」ことだと星野氏はいう。
がん細胞に由来する物質は、いわばがんの直接的な証拠である。しかし、今回の研究で、エクソソームから見つかったタンパク質のパネルは、必ずしもがん細胞に由来するものではなく、正常な細胞からも出ているものだということがわかった。つまり、がんが体内のどこかにあると、全身の細胞がその存在に反応するのだ。パンデミック後の社会の変化が宅配の小包の中身に反映するのと同じ理屈である。
それでは、がんか非がんか、そしてがんの種類と対応するのは、どんなタンパク質なのか。
「比較的多いのは、免疫グロブリン(抗体)です。体内にがんができると、免疫細胞が反応するのです。これ自体は以前から知られていました。しかし今回わかったのは、がんの種類ごとに反応の仕方がちがい、細胞から産生されるエクソソームもちがうということです」(星野氏)
われわれの体は、異物に対して、全身で、細やかな闘い方をしているということだろう。
「⾎液中のエクソソームを使ってがんを調べる試みは他にもあり、がん細胞由来のエクソソームを使おうとすることも多いようです。しかし、エクソソームは全身のあらゆる細胞から出ており、がん細胞由来のエクソソームだけを取り分けるのは⾄難の業です。私たちが突き止めたのは、わざわざがん細胞由来のエクソソームを使わなくても、すべての細胞由来のエクソソームの情報を元に、がんか非がんか、そしてがんの種類を見分けられるということです」
エクソソームの「取れ高」を増やす
星野氏は、大学時代の同級生が骨肉腫にかかったのをきっかけにがん研究に目覚めた。同級生の見舞いのために通った病室で、骨肉腫にかかった子供たちと出会ったという。骨肉腫は幼い子に比較的多く見られるがんである。同級生は足を切断した後、退院して元気にしているが、病室の子供たちの多くが亡くなった。「小さな子が亡くなるがんがあることにショックを受けた」。
東京理科大学から東京大学大学院へ進み、さらに米コーネル大学で、小児がんを研究するデイビッド・ライデン教授の研究室へ留学した。2015年11月には、ライデン教授と共同で、がん細胞由来のエクソソームを調べることで、転移先を予測できるとする研究成果を、英科学誌Natureで発表した。エクソソームの表面にあるインテグリンと呼ばれるタンパク質を調べることで、あるパターンのインテグリンを持つエクソソームは肺に取り込まれ、また別のパターンのインテグリンを持つエクソソームは肝臓に取り込まれるといったことがわかったのだ。がん細胞は、将来の転移先にエクソソームを送り込んで、転移の準備をするのである。インテグリンは、小包に貼りつけられた「送り状」だったわけだ。
がんが原発巣にとどまっているだけなら手術で切除するか、抗がん剤や放射線で叩くことで治療が完了するケースは多い。しかし、がんは原発巣を離れ、他の臓器に転移する。がん患者の死亡原因の9割は転移によると言われるように、がんの本当の怖さは転移にあるのだ。転移の兆候や、転移先を知ることができれば、先手を打って治療ができる。星野氏らは、血液からがん細胞由来のエクソソームを採取する技術の開発に着手した。しかし前述の通り、全身から放出されるエクソソームの中から、がん細胞由来のエクソソームだけを取り出すことがなかなかできなかった。
ところが、今回の研究により、わざわざがん細胞由来のエクソソームを取り出さなくても、全身の細胞から放出されるエクソソームを取ってきて、そのタンパク質を網羅的に解析すればよいことがわかったのだ。さらに、エクソソームを取り出すのにも大きく役立つ成果が得られたという。
「血漿、胆汁、リンパ液から採取したエクソソームに共通して存在するタンパク質を探したところ、これまで知られていなかったタンパク質が13種類、そのうち2種類は、エクソソームの膜上にあることがわかりました。膜上にあれば、(そのタンパク質に結合する抗体を使って)エクソソームを引っぱり出せます。
特異度
検査の精度を示す指標。ある検査が、がんのない人を「陰性」と正しく判定する割合のこと。