こんなふうに、今では猫の腎臓病について一通りの説明をすることができますが、私は数年前までは猫の腎臓病の現実をまったく知りませんでした。なぜなら、私は獣医師ではなく、人の病気を治す医師だからです。人の医師である私がなぜ、猫の腎臓病の治療薬の研究・開発に取り組んでいるのか。ここに至るまでには長い道のりと、いくつもの偶然の出会いがありました。
すべては未知のタンパク質分子、AIMの発見から始まった
私は、今は研究生活を送っていますが、もともとは臨床医として患者さんと向き合っていました。その時、いろいろ検査をしてようやく診断がついても治療法は対症療法のみという、「治せない病気」「治らない病気」がまだまだたくさんある現実に直面しました。腎臓病はその代表的な疾患の一つです。そんな病気を解明したい。私は病気の発生や進行のメカニズム自体が解明されていないことが治せない原因の1つであると考え、30年ほど前に臨床の現場を離れて、基礎研究の道に進んだのです。
研究を続けていく中で、1990年代に血液中に含まれる未知のタンパク質の分子を発見しました。人には体内に侵入した病原体や異物から体を守るさまざまな種類の免疫細胞が備わっていますが、その中に、細菌や異物を食べて体内から排除する「マクロファージ」という細胞があります。私が発見した分子は、どうやらこのマクロファージを長生きさせる(死ににくくさせる)役割があることがわかり、「マクロファージの細胞死を抑制する分子」という意味の英語「Apoptosis Inhibitor of Macrophage」の頭文字をとって「AIM」と名づけて、1999年に論文を発表しました。
AIMが実際に体内でなんの役に立っているのか、最初のうちはよくわかりませんでしたが、研究を続けていくうちに、動脈硬化の発生に関与していることや、脂肪細胞の脂肪を分解することなどが判明しました。けれども、私の目標である「治らない病気」の解明にはまだなかなか結びつきません。
そこで、発想を変えて「治らない病気」の共通点について考えてみると、腎臓病やアルツハイマー型認知症などの病気は、体から出た何らかの「ごみ」が溜まった結果、発症するということに気づいたのです。たとえば、腎臓病では腎臓の尿細管に細胞の死骸が溜まって詰まることで腎機能が低下します。アルツハイマー型認知症はアミロイドβというタンパク質の断片が脳内に溜まることが原因だと言われています。つまりは、体内の「ごみ掃除」の機能を高めれば治せるようになるのではないかという結論に至ったものの、手がかりはなかなか見いだせずにいました。
しかし、さらに研究を進めていくと、なんと私が発見したAIMにこそ、「体内のごみ」を掃除する役割があることがわかりました。AIMがごみにくっついて目印になることで、マクロファージに食べられやすくしていたのです。ならば、AIMを増やすことで体のごみ掃除が活性化され、治らない病気を治せるかもしれない! ここにたどり着くまでに、AIMの発見から十数年の歳月が流れていました。
獣医師との運命的な出会いから猫の腎臓病の解明へ
AIMの研究をする中で、実験で使用しているマウスや人以外の動物のAIMはどうなっているのだろうかとふと思いつき、犬や猫の血液を調べてみました。犬からは人と同じように検出できたものの、猫からは検出できませんでしたが、この時、私は「猫はAIMを持っていないんだ」と感じた程度で、特に追究することはありませんでした。
それから3年ほど経ったある日、一般市民向けに肥満や生活習慣病、AIMの治療効果などについての講演を行いました。ここでほんの小ネタとして「猫にはAIMがないらしい」というひと言を紹介したことが、私が猫の腎臓病治療薬を開発するきっかけになるのですから、縁とは不思議なものです。
講演後、たまたま講演を聞きに来ていた2人の獣医師から、「猫にAIMはないのですか?」という質問を受け、ペットブームで犬や猫でも肥満や生活習慣病が増えていることなどを立ち話する中で、猫には腎臓病も多いけれど原因がよくわかっていないことを知り、とても興味を持ちました。私はちょうどその頃、人の腎臓病とAIMの関係について本格的な研究を始めたところだったので、運命的な出会いのようにも感じたのです。
AIMを持たない猫に腎臓病が多いということは、何かしらの因果関係があるはずで、AIMを用いることで猫の腎臓病は治せるかもしれない。それは人の治療にも役に立つはずだと直感が働き、この獣医師たちと協力しながら、猫のAIMを徹底的に研究することになったのです。そこから、獣医系大学の先生やほかの臨床獣医師たちの協力も得ながら、猫の腎臓病のメカニズムの解明に努めました。
猫のAIMについて改めて調べてみると、たまたま試薬に反応しなかっただけでAIMを持ってはいること、ただしAIMが生涯を通じて機能していないことがわかり、猫の腎臓病の根本的な原因はAIMの機能不全にあることが判明しました。腎臓は糸球体、ボウマン嚢、尿細管で構成されるネフロンの集合体です。糸球体でろ過された血液(原尿)が尿細管を経て尿となることで、血液中の老廃物や不要物は余分な水分とともに排泄されます。この時、尿細管にごみが溜まるわけですが、人やマウスではAIMが機能することによってごみが取り除かれます。言うなれば、トイレの排水管が詰まったら即座に掃除するようなものです。