日本が克服した1970年代の大気環境
1970年7月に、東京都杉並区の高校で、体操中の生徒がめまいのような症状を起こして倒れる事件が起こった。これが、日本で初めての光化学スモッグによる被害である。このように、70年代までの日本は、高度経済成長と相まって光化学スモッグの発生などの大気汚染が深刻な問題であった。光化学スモッグは、工場や自動車から排出された窒素酸化物(NOx)や揮発性有機化合物などの大気汚染物質が、光を浴びることによって生成し、オゾン、アルデヒド、パーオキシアセチルナイトレート、 過酸化物などの総称とする光化学オキシダントを生成する。光化学オキシダントの濃度が0.1 ppmを超えると、粘膜に強い刺激を与えるため、目や鼻、喉が痛くなるといった症状を引き起こす。また、植生にも大きな影響を与える。
しかしながらこの問題も、大気汚染防止法等の法規制、排煙脱硫、排煙脱硝技術を始めとした大気環境保全技術の開発、企業の積極的な協力が実り、解決がなされてきた。図表1は、東京都での光化学スモッグ注意報の発令日数と、光化学オキシダント濃度の変化であり、両値とも1970年から80年代にかけて減少しているのが分かる。
光化学スモッグが再発し始めている
ここ数年、大都市や関東地方を中心に、光化学スモッグが再発している。再発の原因としては、紫外線量の増加、沿岸部でのビルの乱立による弱風化による汚染物質の滞留時間の増加、ヒートアイランド現象の影響、地球温暖化問題が関連していると考えられている。一方で、2007年5月に長崎県の五島列島を始めとした九州北部の地域で、大気中の光化学オキシダント値が基準値の0.120ppmを超え、光化学スモッグ注意報が発令された。近隣に大気汚染を引き起こす原因物質を排出する、大規模な工業地帯などがないにもかかわらず、である。
かつては工業地帯や大都市で観測された高濃度の光化学オキシダントが、ここ数年は九州北部の離島や地方都市で観測されるようになった。明らかに、大都市圏での再発原因とは異なっていると考えられる。
明らかになりつつある越境汚染の可能性
中国の砂漠地帯から巻き上げられた黄砂粒子は、韓国、日本、太平洋、北アメリカまで運ばれて沈降する。日本に飛来して沈着する黄砂は、中国や韓国の都市域や工業地帯の上空を通過するので、汚染大気中の微量成分を吸着したり、あるいはそれらと化学反応したりしている可能性がある。東京大学と名古屋大学の研究グループが、08年3月中旬に東京に飛来した黄砂を、1粒ずつ質量分析法により成分分析をした。その結果、中国で採取した黄砂からは土壌のケイ酸塩由来の信号(SiO2、SiO3)が強く観測されているが、東京で観測された黄砂粒子では、これらの信号のほかに、大気汚染物質である窒素酸化物や硫黄酸化物に由来する信号(NO2、HSO4)から確認された。
窒素酸化物や硫黄酸化物は、酸性雨の原因物質でもあり、中国沿岸部や韓国・日本の工場地帯や人口密集地体から排出され、それが飛来途中のアルカリ質である黄砂粒子に吸着された可能性が高い。
最近の富士山頂での大気観測結果によれば、光化学スモッグの原因物質である揮発性有機化合物のトルエンが、東京・新宿の三倍以上の濃度で観測されている。この結果は、大気汚染物質が偏西風に乗り、遠く離れた地域から運ばれてきた可能性を示唆している。
越境汚染対策に不可欠な国境を越えた協力体制
国立環境研究所の研究グループは、07年5月8日~9日の九州から東日本で観測された光化学スモッグは、中国から排出された大気汚染物質の影響が、原因の25%以上であると報告した。中国や日本での大気汚染物質の排出量や風向・風速、気温、日照量などの気象データを基に、シミュレーションを行った結果である。九州地方での影響の度合いは、さらに40~45%と高い値であった。中国を始めとしたアジア諸国では、近年急速に工業化が進んでいるが、製鉄所、発電所、工場などで公害防止施設が未設置であることが多いため、大量の大気汚染物質が排出される。大陸から排出される窒素酸化物や硫黄酸化物は、日本の排出量に比べ20倍以上である。
長距離越境大気汚染の防止対策を講じる上では、大気環境保全技術を持つ日本から公害防止技術を所有していない発展途上国への技術の移転や経済支援などの、積極的な協力体制を築いていくことが重要である。