「無期限活動休止」の衝撃
サザンオールスターズ、2009年以降は無期限で活動休止――去る5月、彼らのデビュー30周年という節目に発表されたこのニュースは、衝撃を与えつつ列島を駆けめぐった。大手新聞に全面広告が掲載されたほか、スポーツ紙やテレビも大きく報道。事務所が都内で配布した告知チラシも5万部が3時間ではけてしまい、旧譜CDやカラオケのランキングは大幅にアップした。所属するアミューズの株価は年初以来の最安値に落ち、日本ビクター株も一時急落する騒ぎとなった。メディアはそろってサザンを「国民的バンド」と形容していたが、確かにこの称号に真にふさわしいグループは、今、彼ら以外に思いつかない。1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューして以来、「いとしのエリー」など数々のヒットを放ち、20周年に出したベスト盤アルバム「海のYeah!」は440万枚を売り上げた。さらに2000年には「TSUNAMI」が約300万枚と、彼らの自己最高というだけでなく、オリコンでのシングル歴代3位の大ヒットとなり、日本レコード大賞を受賞。同年、リーダー・桑田佳祐の出身地である茅ヶ崎市の市民5万人の署名に応え、「凱旋ライブ」を行ったことも話題を呼んだ。
30年間トップを走れたのはなぜか
サザン(だけ)がこうして30年の長きにわたり、第一線のミュージシャンとして活躍できた理由はどこにあるのだろうか。その最大の要因は、よくいわれるように、洋楽と歌謡曲を斬新な形で融合させた、彼らの高い音楽性にあるだろう。1970年代初頭には「日本語ロック論争」があり、日本語でロックを歌うのはなじまないという主張も根強かった。その後、矢沢永吉らのキャロルが、まずロックンロールの曲を作り、日本語の歌詞を英語風に巻き舌で歌い、字余りを簡単な英語で埋める、という手法をとってみせた(恩蔵茂「ニッポンPOPの黄金時代」KKベストセラーズ)。
この路線をサザンはさらに過激化したといえる。ロックのサウンドに乗せることを優先したため、デビュー曲「勝手にシンドバッド」は速射砲のような早口ボーカルで歌詞を聞き取れず、テレビ番組でテロップが出たことも。ランニングに短パンといった姿で出演したこともあり、当初はコミックバンド扱いだった。
こうした革新性の一方で、サザンというバンドには一種の安定感や保守性もある。楽曲面では、デビュー翌年に紅白初出場をもたらした「いとしのエリー」のように、王道をいく(歌詞もちゃんと聞き取れる)バラードにも強い。
また青山学院大学のサークル仲間出身というのが重要だという人がいたが、確かにその通りで、青春時代のイメージを長く維持・投影しやすくしている大きな要因だろう。中心にいる桑田・原由子夫妻も、古典落語の愚夫賢妻パターンというか、「やんちゃな夫+しっかり者の妻」という、日本人が一番安心できるイメージをかもしだしている。
「夏の渚の恋」を浮かび上がらせる歌詞
次に、サザンの――実質的には桑田の――歌詞が描きだす世界について考えてみよう。サザンといえば「夏の代名詞」ともいわれる。実際、シングル+アルバム収録曲を総計すると、その約4割に「夏」「海」に関連する言葉が含まれている。コミックソングや音楽をテーマにした曲(「レゲエに首ったけ」「Dear John」など)、最近では社会批判性のあるメッセージソング(「Computer Children」「政治家」など)も多いが、それら特殊ジャンルを除くと、「夏」「海」の出現率は約半数にのぼる。やはり最大のテーマは「夏の渚の恋」(それも湘南の)なのだ。
ここで少し流行歌・歌謡曲史をさかのぼると、戦前にはこの種の歌は皆無で、青春は文字通り春のイメージで捉えられるのが普通だったし、海はほぼ港を意味していた。そこに1955年の石原慎太郎の小説「太陽の季節」が初めて「若者=夏=渚」という図式を持ち込み、広範な文化的影響を与える。その後60年代前半の和製ポップス、特に桑田も大好きと語っているザ・ピーナッツ「恋のバカンス」により、「夏の渚の恋」の歌が急速に浸透していく。
70年代に入ると、欧米から数年遅れて日本でも性解放が進展する。男女のアイドルは「ひと夏の恋→(初めての性体験の暗示)→別れ」という「夏の渚の恋」の過程を歌い始め、ついにはベッドシーンの描写まで登場(74年の郷ひろみ「花とみつばち」など)。
これに対し、ニューミュージック勢は意外と後れをとり、性的色彩が希薄なばかりか、演歌のような「ジェンダー交差歌唱」=CGP(cross-gendered performance)(北川純子編「鳴り響く性」勁草書房)、つまり男性歌手が女性の立場で歌うヒット曲が多かった(73年のかぐや姫「神田川」など)。失恋の悲しみなどの表現には、依然として「女々しい」という否定的イメージがつきまとっていたためだろう。
情熱と醒めた自意識が桑田の歌曲を進化させる
だが、桑田は、同時代のアリスやツイストにもあったCGP曲を歌わず、男性のリアルな心情を率直に表現した点で画期的だった。恋愛と性の解放度でも常に最先端を走り、デビュー曲からして「ゆきずりの一夜の恋」の歌である。「エリー」のような純愛ソングもあるが、アルバム曲までみると、男性が複数の女性の間で迷うような歌詞がきわめて多い。さらに特異な個性は、「夏の渚の恋」の情熱と同時に、その不安定さに対する醒(さ)めた自意識が常に底流にあること。「思い過ごしも恋のうち」というタイトルが象徴するように、恋に溺れる自分を第三者的に見つめる視線があるのだ。そのため「男は立て」「恋をするほど女の泣き顔に醒める」のように、「男」「女」という一般名詞が歌詞のなかで頻繁に使われる。この根底にある鋭い知性ゆえに、特に80年代後半の1回目の活動休止以降、社会批判的なメッセージが自然に浮上してきた。また「夏の渚の恋」の歌も、いわば哲学的な深まりをみせる。「TSUNAMI」もそうだが、一見ラブソングにみえて、実は自己の核にある「永遠の夏」的なものを問う中年男性の自意識が真のテーマだと思われる。サザン(桑田)の歌詞世界は加齢および時代とともに進化していったのであり、このことが世代を超えて支持を獲得した要因の一つではないだろうか。
さて、前作「DIRTY OLD MAN~さらば夏よ」から2年が過ぎ、8月にはサザンの(当面の)ラストを飾るシングルとライブ「真夏の大感謝祭」が控えている。この唯一無二の偉大な「国民的バンド」が最後にどんな世界をみせてくれるのか、注目したい。