演劇ファンの求めるものとは?
演劇を支えているのは「観客」である。なかでも「ファン」と呼ばれるリピーター、サポーターの存在を軽視してはならない。彼らは何を求めて足繁く劇場に通うのだろうか。有名タレントや話題性で集客を図る公演、衝撃的なメッセージや前衛性で評価を得る舞台も多いが、真の演劇ファンは、時間と空間を共有することによって得られる人間らしいコミュニケーションと、自らの想像力を広げ心を解放することのできる場を求めているのではないだろうか。現在の世相において、そのような場はますます必要である。劇場は、いつ行っても暖かく迎えられ、帰るときには心が洗われているような所でなければならない。
“世界”を共有できない不幸
古代ギリシャ悲劇から、シェイクスピアの時代、能楽・歌舞伎など、ある時代にある地域の人々が見る演劇は、ほとんどの場合一種類のみであり、その背景にある歴史・文化は全員に共有されていた。特に日本の芸能は、「源氏物語」「平家物語」「忠臣蔵」といった“世界”を前提に、繰り返し様々なバリエーションを奏でることによってつづられてきた。民衆は演劇を通じて文化の伝統を学び味わいつつ血肉化し、次代に伝えてきたのである。今日の社会において、それは完全に分断化された。いながらにして古今東西の演劇の粋を味わえるという幸福の裏に潜んだ、根深い不幸である。
宝塚とスタジオライフ
そんな中で、例外的に“世界”の構築を成し遂げつつある劇団がある。すなわち、宝塚歌劇団とStudio Life(スタジオライフ)である。それぞれ95年と25年の歴史を持ち、社会的認知度には大きな開きがあるものの、舞台に立つ演技者が、女性だけ、男性だけという特色を持つことは、偶然ではあるまい。宝塚歌劇団が、長い歴史の中で安定した上演様式を確立し、「フランス革命」や「ハプスブルク帝国」などを背景とした一定の“演劇世界”に連なる作品を多く上演し、再演を繰り返すことによって、観客が共通理解のもとにその世界の展開を楽しめるようにしてきたことは、よく知られている。
スタジオライフ的“行き方”
一方、スタジオライフの場合は、少女漫画の舞台化という路線を軸に、小説や海外作品の中から、一定の美的感覚に沿った題材を選び出し、ある極限状況におかれた愛の形を繰り返し追求してきた。再演も非常に多く、配役は常にダブル・トリプルキャストで臨んでいる。長い作品を第一部・第二部として連続上演したり、一つの原作から作った二通りの脚本や、似通ったテーマの二作品を並行して上演するという試みもある。そうすることによって観客は、次第にその演劇世界に溶け込むとともに、万華鏡のように展開するバリエーションを楽しむことになるのである。文芸耽美路線を貫く
スタジオライフは、1985年に劇団円出身の河内喜一朗(現代表)と倉田淳(現在すべての作品の脚本と演出を担当する唯一の女性劇団員)を中心に設立された。当初は女優もいたものの、突然の退団によりやむなく男優が女性の役を演じたことは、偶然とはいえ貴重な鉱脈を掘り当てたということもできよう。その道はやがて、萩尾望都作の少女漫画「トーマの心臓」(96年)の舞台化に至り、大きな花を咲かせる。以後、男優によってあらゆる役を演じる“文芸耽美路線”の劇団として、着実にファンを増やしてきた。全寮制の男子校を舞台とした「トーマの心臓」が、その特色を最大限に生かした代表作であることは当然だが、他にも「死の泉」(原作 皆川博子)、「白夜行」(原作 東野圭吾)、「OZ」(原作 樹なつみ)、「アドルフに告ぐ」(原作 手塚治虫)、「フルーツバスケット」(原作 高屋奈月)などの名品がある。2009年6月17日から7月12日まで、かつては「新劇の聖地」と呼ばれた東京・新宿の紀伊國屋ホールで、そして7月18・19日には新神戸オリエンタル劇場で、「リリーズ」を上演する。カナダの人気作家ミシェル・マルク・ブシャールのベストセラーで、「百合の伝説・シモンとヴァリエ」という題で映画化もされている。中核にあるのは、イタリアの詩人ダンヌンツィオが書き、三島由紀夫が翻訳もした「聖セバスチャンの殉教」である。これを上演する試みを、とある刑務所の中で囚人たちが芝居で回想するという複雑な劇中劇の構造。そこから過去に封印された過酷な愛の物語が立ち現れてくる。
消費される演劇への抵抗
現代日本演劇は、リアリズムからの脱却をめざして以来、ともすれば題材や表現に奇抜さ・過激さを求めて試行錯誤を繰り返し、観客もまたそれを消費するのみという傾向があるが、スタジオライフは男優のみの劇団であることによって、かえって劇的虚構性を獲得し、言葉の深い意味と透徹した美意識を純粋に追求することを可能にした。そのスタイルのもとに、社会の偏見や戦争といった過酷な状況の中で、求められ貫かれる「愛」の姿を描き続け、明確な“演劇世界”を構築しつつある稀有(けう)な存在と言えるであろう。シェイクスピア
William Shakespeare
エリザベス朝演劇を代表するばかりではなく、今日世界で最も親しまれているイギリスの劇作家(1564~1616)。ロンドンで最古の劇場The Theatre(後に移築されてグローブ座となる)の座付作者として活動。英国史を題材にした「リチャード3世」などの史劇、「十二夜」「夏の夜の夢」などの喜劇、恋愛悲劇の傑作「ロミオとジュリエット」や四大悲劇と称される「ハムレット」「オセロ」「リア王」「マクベス」、そして晩年の円熟を示す「冬物語」「テンペスト」といったロマンス劇など多様な作品を残した。いずれも人間の本性を鋭く分析しながら、想像力に富んだ自由で大胆な展開で見る者を捉える。様々な解釈・演出が可能で映画化された作品も多数。(イミダス2009「演劇」より)(鈴木国男)
宝塚歌劇団
阪急東宝グループの創始者、小林一三(1873~1957)によって作られた女性だけでレビューや演劇を上演する劇団。1914年に第1回公演を行って以来95年に及ぶ、日本の近代的劇団組織としては最長の歴史を誇る。当初は鉄道の集客が目的であったが、24年に宝塚大劇場、34年に東京宝塚劇場を開場し、観客増によるコストダウン、西洋音楽や電気照明・音響・舞台機構の活用にいち早く取り組み、市民層に親しまれるミュージカルの先駆けとなる。また男役を中心とした独自の演技スタイルや花・月・雪・星・宙(そら)という5つの組(ユニット)に分かれて公演を行いながら、次々とスターが交代していくというシステムなどで根強い人気を得ている。2009年1月からは、大劇場公演を年間10興行に増やし、各組が宝塚と東京に2回ずつ登場することになる。(イミダス2009「演劇」より)(鈴木国男)