制服天国ニッポン
日本人ほど制服好きの国民はいない。町に、学校に、職場に、さまざまな場所に制服が氾濫(はんらん)している。来客が少なく、社内外の人間を識別する必要があまりないような職場でも、女性は事務服に身を包み、飲食店やサービス業は、店の個性を反映した色とりどりの制服を導入している。
こうした着用義務のある真性制服とは別に、疑似制服も目につく。
就職活動時に学生が着るリクルートスーツ、子どもをお受験させる母親のお受験服、冠婚葬祭の場面に登場するブラックフォーマル。着用を命じられているわけでもないのに、なぜか好きこのんで利用されている疑似制服=制服風ファッションの多さは、他の国ではあまり例がない。
女性社員の事務服も、正確には疑似制服に近い。多くの会社が経費を浮かせようと制服廃止の動きに転じているにもかかわらず、いまだに制服が存続しているのは、着用者である女性が積極的に制服制度を支持しているからだ。これは、制服がない学校に通っているのに、なぜか制服風のファッション、いわゆる「なんちゃって制服」を普段着として着用する女子中高生や、判で押したように似たような色と形のスーツを着ているサラリーマンとよく似ている。
「思考停止」とロールプレイ
いくらでも自由な格好ができるのに、なぜ制服や制服めいた服装に手を出してしまうのだろう。理由はいくつか考えられる。一つは、洋服を選ぶ手間や頭がいらないこと。次に、失敗が少ない格好であること。アパレルメーカーや流通側の企業努力により、「このシーンではこういうスタイルが当然」と刷り込まれている影響もあるだろう。いずれにしても、制服とは、思考停止で無難な結果が得られるローリスクハイリターンな選択である。もう一つ大きな理由として考えられるのが、与えられた役割をこなすこと(ロ-ルプレイ)に喜びを感じるという私たちの性質だ。職場では「清楚(せいそ)なお嬢さん」を、学校や町では「元気で可愛い女子中高生」を、彼女たちは嬉々(きき)として演じている。あなたはどうだろうか。てきぱき働くキャリア社員、有能な上司。振られた役を演じるのは嫌いではなく、むしろ好んで買って出て、役に染まりたいと考える。そんな人はきっと多いのではないだろうか。
何かの役を演じる時、その役割にふさわしいコスチュームは欠かせない。それが制服であり、疑似制服なのだ。最近は、東京ディズニーランドに遊びに行く時、高校時代の制服を引っ張り出して着用する大学生や、日光江戸村にわざわざ羽織袴(はかま)で出かける若者が多いという。非日常的な遊びの空間に行くのであれば、こちらも思いっきりそのテーマパークにふさわしい「客」になろう。非日常的なコスチュームで、現実離れした時間と空間を楽しもう。その感覚は、子どものころに誰もが興じたであろう「ごっこ遊び」そのものだ。
「ごっこ遊び」から文化へ
現在のコスプレブームは、この「ごっこ遊び」の拡大進化系だと私は見ている。頭をからっぽにして役になりきって遊ぶのは楽しい。役によって自分の性格や口調が変わったりする。そこにコスチュームが加われば鬼に金棒。役を演じる醍醐味(だいごみ)はさらに増す。誰もが経験のあるこの「ごっこ遊び」ゴコロを刺激したのが、日本が世界に誇る魅力的なアニメやマンガだ。波瀾万丈(はらんばんじょう)のストーリーとキャラ立ちした登場人物に刺激された人々は、役割を演じるために服装やメーキャップを進化させ、子どもの「ごっこ遊び」をコスプレ(コスチュームプレイ)の域にまで高めて、独自の文化に育て上げた。
そして今、世界が日本のコスプレ文化に熱狂している。タイ、台湾、中国などアジア各国をはじめ、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアでも、若い世代がコスプレに夢中だ。世界主要都市で開催されているアニメやマンガの見本市には、熱心なコスプレイヤーが大量に出現している。「ごっこ遊び」の楽しさは世界共通のはず。受け入れる土壌はどの国にもあった。日本はその土壌を耕したに過ぎない。
よく、日本は子どもの国、ヨーロッパは大人の国、成熟の国と言われる。だがそれは、西洋諸国には童心を受容し、磨いていく文化がなかっただけではないのか。確かに「ごっこ遊び」は子どもっぽい。それを苦々しく思う向きも多いのだろうが、無難志向で子どもっぽく制服好きだからこそ、新たな文化を生み出せたのだとプラスに考えたい。日本がリードするコスプレ文化は、いま確実に世界を席巻し、根を下ろし始めた。「幼稚」が「老成」を駆逐している。もはやコスプレは産業だ。