幸福消費市場
幸福とは何か。たとえば巷(ちまた)には、幸福になるためのハウツー本があふれている。ある者は仕事の「スキルアップ」を説き、またある者は「婚活」を推奨、はたまた別の者は「パワースポット」詣での効能を説く……といった具合に。ジャンルは違えど、これらは等しく「幸福消費市場」の商品である。多くの人が「普通の幸福」を得るため「普通以上の努力」を要する時代の反映ともいえる。女の幸せの異常な値上がり
とりわけ「女の幸せ」は、現在異常な値上がりを起こしている。何しろ、この厳しい状況にもかかわらず、結婚に仕事に子ども、さらには自己実現までそろえて、ようやく「完璧」といわれるのだから。だが現実には、晩婚化・非婚化が進む一方で、雇用環境はいまだ劣悪。女性被雇用者の過半数は非正規雇用で、給与所得者の7割近くは年収300万円以下である。しかも、たとえ頑張って出世しても、婚期が遅れれば「負け犬」と呼ばれる不条理が待っている。残念ながら、まだまだ日本では、「人間としての魅力」が、そのまま「女としての魅力」にはつながらない。経験と経年は、むしろマイナスに作用してしまう。それは、一般に男性が恋愛・結婚市場で女性を選ぶポイントは、まだまだ「若さ」と「可愛さ」だからである。女性がせっせと「自分磨き」をすればするほど、皮肉にも縁遠くなる悲劇がそこにある。余談だが、女性が幸福消費市場のうち、占いやスピリチュアルなど超自然的パワーにひかれやすいのは、現実的・合理的な努力が、男性に比べ相応な成果を得られにくいからではないだろうか。
幸せコストの元本割れで無頼化する女子
そう。今この国では、女の人生、努力が報われないことが多すぎる。拙書「無頼化する女たち」(洋泉社刊)で論じたのは、まさにこの点である。女性たちは、「元気」というよりは、報われなさゆえに、やさぐれて「無頼化」しているのではないか。「無頼化」とは、昨今女性に見られる二つの特徴を総称したものである。それは、(1)「自分磨き」に代表される自立志向の高まりと、(2)キャバクラ嬢ファッションの一般化や、「鉄子」「歴女」など、従来男性向けとされてきた趣味領域への進出に象徴される、伝統的文化規範からの逸脱傾向を指す。私はこの問題を「ハッピーリスク」の観点から論じた。この造語は、幸福になるためにかけたコストが「元本割れ」する確率を意味する。近年、グローバル化や日本型雇用慣行の解体などにより、従来の「普通の幸せ」は軒並み高騰、ハッピーリスクも急上昇した。男性一人の稼ぎで妻子を養うべしとの暗黙の了解は崩れ、女性の「結婚を前提とした人生設計」もまた根本から見直しを迫られている。したがって無頼化は、過酷な現実への「適応」結果ともいえる。
カツマーにもカヤマーにもなれない…
経済評論家の勝間和代が多くの女性ファンを獲得した、いわゆる「カツマー」現象は、この傾向を読み解く好例である。向上心の旺盛な女性たちは、「普通にしていては幸福になれない」思いから、新しい女性成功者のロールモデルを求めた。そこには、母親や先輩など身近な女性がモデル足り得ない現状が指摘できる。ただ、勝間の「自己啓発によって成功(=幸福)」という主張を、完全に遂行し得るエリートは、現実には一握りにすぎない。現実と理想像のあまりの乖離(かいり)から、香山リカの批判本「しがみつかない生き方」はベストセラーとなり、「カヤマー」も流行語となった。だが、今の日本の問題は、「しがみつかざるを得ないが、“勝間和代”にはなれない人たちが大勢いること」であろう。現状の全面肯定とサバイバルゲームへの徹底的な参加(勝間)か、あるいはそこからのリタイア(香山)か。その二択しかない状況は非常に乏しい。背景にあるのは、普通の幸福が値上がりしたことによる不安の広まりである。これは、旧来のセーフティーネットや相互扶助機能(家族や地域社会など)が、急速に「代替なき縮小」をみた結果ともいえる。
無頼化の裏で保守化傾向も
とりわけ女性は、社会より私的領域(家族)に保護されてしかるべしとの社会通念が根強い。たとえば、育児の現場はいまだ専業主婦を前提としており、企業は既婚女性を安心してリストラできる対象とする。管理職への出世の道は険しく、そもそも不況下で就職の門戸も狭い。就労に希望をもてないことから、近年若い女性の専業主婦願望が再燃するなど「保守化」傾向も見られる。たとえば、内閣府の「男女共同参画白書 2009年版」によれば、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」といった考え方について、20代女性は、4割近くが「賛成」と答えた。不思議なことに、これは30~50代の女性よりも高い数値なのである。彼女たちは、カツマーにもカヤマーにもなれない層ともいえる。刻苦勉励による成功より、ひたすら稼ぎのいい男性の獲得を目指す若い女性が多いのは、それだけ社会への期待が薄れてきたせいでもある。
安心欲求が満たされない
無頼化と保守化は一見正反対だが、切実な「安心欲求」の表れという意味では同根といえる。だが、歴史の針は逆戻りしない以上、保守化は幸福へのチケット足り得ない。むしろ、かつての「幸福な家族観」の前提条件が変化した以上、旧来の「正規雇用者の夫に専業主婦の妻」という普通の家族観にこだわるのは、危険かもしれない。たとえば、若年男性の雇用環境悪化により、「結婚=男性の経済力に依存した生活」という価値観は、女性の「生涯未婚リスク」を高めた。また、専業主婦志向は夫のリストラなどによる「家計破綻(はたん)リスク」も高めた。結婚を最終ゴールとした人生設計は、望む条件の相手と結婚できなかった場合の「人生設計破綻リスク」も高めた。幸福のリスクマネジメント
今の日本は、誰しもがそれぞれの人生に合わせた「幸福のリスクマネジメント」を要請される社会である。人は何のために選択を繰り返すのかといえば、「幸福になるため」にほかならない。結婚も非婚も、子どもを産むのも産まないのも、当の女性自身の幸福を、第一義とすべきである。さて、最初に述べた「幸福とは何ぞや」の問いには、いまだ答えは出ていない。古くは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは幸福を徳と結びつけて論じ、エピクロスは精神的な快と考えた。紀元前から問われ続けているにもかかわらず、一向にファイナルアンサーが出ていない、それが「幸福」である。ましてや変化の激しいこの時代のただ中で、旧来の幸福像にこだわることは、それだけ高リスクなことと心得たい。
だから女性たちよ、いや、変化の波にもまれるすべての人たちよ、貪欲であれ! 何に? 幸福に! あなた自身の幸福に! そのために、汝自身を知れ。かつて「一般的に幸福を約束してくれたはずのもの」にこだわることは、今や高ハッピーリスクなのだから。