そうした流星群によって形作られているかに見える現代日本演劇の中で、意外にもジャニーズこそが、最も根源的な形で「現代の歌舞伎」たりえているように思われる。エンターテインメントとしての可能性はまだまだ広がることだろう。しかし一方、これがジャニー喜多川という、ずば抜けた才能と経験をもつ個人の仕事としてのみ存在するのか、優れた「作品」を重ねて新しいジャンルとして確立するのかは定かではない。
そうであって欲しいし、またそうであるために、「作・構成・演出」に新たな、そして多彩な才能を結集して、より豊穣な劇世界を構築することは考えられないだろうか。そして、これだけ多くの観客の支持を受けている以上、演劇のもつ教育的役割にも配慮し、言葉を大切にする姿勢を貫いてもらいたい。幕開き早々に「がんばらさせて頂きます」という言葉を聞くのは違和感がある。未来を担う若者に、時の総理大臣の口真似などさせるべきではないだろう。
帝国劇場
東京都千代田区にある客席数約2000の大劇場。1911年に完全なプロセニアム・アーチ(額縁舞台)を持つ日本初の本格的劇場建築として横河民輔の設計で開場。関東大震災で類焼・改築され、66年に近代的ビルの中に東宝グループの劇場として新築再開場。近年は首都圏の代表的なミュージカル劇場としての位置を占め、「レ・ミゼラブル」などが繰り返し上演されるほか、ジャニーズ事務所によるKinki Kidsの堂本光一主演の「SHOCK」シリーズが人気を集めている。
ジャニー喜多川
Johnny Kitagawa。ジャニーズ事務所社長。1931年10月23日、アメリカ、カリフォルニア州生まれ。62年にジャニーズ事務所を創業後、ジャニーズ、フォーリーブス、たのきんトリオ、シブがき隊、少年隊、光GENJI、男闘呼組、忍者、SMAP、TOKIO、嵐など数多くの男性アイドルグループを育ててきた。ギネス社は、2000年から10年までに8419回と最も多くのコンサートをプロデュースした人物として、12年版のギネスブックに記載。同時に1974~2010年に、同事務所所属の40組以上のグループの232曲をNo.1シングルとした人物としても認定された。
ギネスブック
Guinness Book of Records
イギリスのギネス社が毎年刊行する珍しい世界記録を集めた本。
テルマエ・ロマエ
2008年2月より「コミックビーム」(エンターブレイン)に連載されているマンガ。作者はヤマザキマリ。主人公のローマ帝国の浴場設計者ルシウス・モデストゥスが、突然、現代日本の温泉や風呂場にタイムスリップ。日本の風呂文化からさまざまなアイデアを得て、再びタイムスリップしてローマに戻り、斬新で快適な浴場をつくりあげるというストーリー。2010年に、書店員が選ぶマンガ大賞2010(第3回)と、第14回「手塚治虫文化賞」短編部門を受賞。
スーパー歌舞伎
歌舞伎俳優の市川猿之助が1986年から始めた、けれんの多い演出が特徴の新作歌舞伎。
コクーン歌舞伎
東京の渋谷で東急グループが中心となって運営する文化施設Bunkamura内の劇場シアターコクーンで行われる歌舞伎公演。1994年の「東海道四谷怪談」に始まり、串田和美演出・中村勘九郎(現中村勘三郎)主演で現代感覚による古典の解釈に基づく大胆な演出で人気を集め、歌舞伎の新しい観客層の開拓に貢献してきた。第2回の公演「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」は2004年の平成中村座ニューヨーク公演に発展した。
蜷川幸雄
1935年10月15日、埼玉県生まれ。劇団青俳を経て、72年に清水邦夫らと演劇集団櫻社を結成。演出家として小劇場演劇を代表する一人となる。その後、大劇場の演出も数多く手がけ、商業演劇に小劇場の猥雑なエネルギーを注ぎ込み、混沌とした世相を反映した演出により高い評価を得る。俳優の魅力を引き出すことに長け、特に平幹二朗や麻実れいを擁して現代演劇の最高水準といえる舞台を作りだし、藤原竜也や小栗旬の才能を見いだした。代表作は、「王女メディア」(77年)、「近松心中物語」(79年)、「身毒丸」(95年)、「グリークス」(2000年)、「NINAGAWA十二夜」(05年)など。04年文化功労者。10年現在、彩の国さいたま芸術劇場芸術監督、桐朋学園芸術短期大学学長。
野田秀樹
1955年12月20日生まれ。76年、東京大学在学中に劇団夢の遊眠社を結成。81年に紀伊國屋ホールに進出。83年に岸田國士戯曲賞を受賞し、同時受賞の渡辺えり子(現・えり)らとともに、小劇場演劇新世代の旗頭となる。86年に日生劇場で演出した大地真央主演「十二夜」は日本における斬新なシェイクスピア演出の先駆けとなった。92年夢の遊眠社解散後、文化庁在外研修制度でロンドンに留学。帰国後、企画制作会社NODA-MAPを設立し、これを拠点に多彩な演劇活動を展開する。2001年には新国立劇場で「贋作・桜の森の満開の下」を上演。「THE BEE」(日本バージョン、ロンドンバージョン)で、08年朝日舞台芸術賞グランプリ、および読売演劇大賞に輝いた。中村勘九郎(現・勘三郎)と組んだ歌舞伎座の「野田版 研辰の討たれ」では歌舞伎界に新風を吹き込み、08年8月の歌舞伎座では、オペラの「アイーダ」を翻案した「野田版 愛陀姫」の作・演出を手がけた。
劇団☆新感線
1980年、大阪芸術大学舞台芸術学科の学生により旗揚げ。演出家いのうえひでのり(1960~)が、一貫してリーダーとなり、85年からは中島かずき(1959~)が座付作者として加わる。古田新太、橋本じゅん、橋本さとし、筧利夫、渡辺いっけい、高田聖子、羽野晶紀、粟根まこと、右近健一、こぐれ修ほか多数の個性派・実力派俳優を輩出。ヘビメタルをベースとしたロック・ミュージカルという路線がユニークであり、かつ笑いを追求するコテコテの関西テイスト、くどいまでのギャグとスピード感のあるアクションで飽きさせずに見せるサービス精神と、竹田団吾(1961~)による衣装デザインに代表されるビジュアル感覚が成功し、商業化に乗って拡大してきた稀有な劇団の例である。21世紀に入ってからは多くのスターを客演に迎えての大規模なプロデュースに転換。吉本新喜劇とジャニーズの特長を巧みに取り入れ、独自のテイストに融合させた。
ミュージカル・テニスの王子様
許斐剛(このみ・たけし)作の人気漫画を原作とするミュージカル。天才中学生プレーヤー越前リョーマを中心とする青春学園チームが数々のライバルチームと対戦し、全国優勝するまでを連続公演で描く。アニメや映画、ゲームへの展開を経て、2003年に舞台化。演出・振付の上島雪夫、音楽の佐橋俊彦、作詞の三ツ矢雄二を中心とした制作チームは、様々な技巧を駆使してテニスの試合を活気あふれるミュージカルとして表現することに成功。先進的なメディアミックスとして評価される一方、公演ごとにストーリーが進み、若手タレントの登竜門ともなったイケメンのオーディション・キャスティングを行うという巧みな戦略によって、若い女性のリピーターを増やした。