大きな柱を失った歌舞伎界
2013年4月2日、新しい歌舞伎座のこけら落とし公演がはじまる。舞台や楽屋なども収容する29階建てのビル(歌舞伎座タワー)を背負った正面は、白壁に堂々とした破風を構えた瓦葺きの屋根など、3年前に解体された、いわゆる4代目の歌舞伎座とほとんど変わらぬ面影がよみがえり、歌舞伎ファンならずとも懐かしさが胸にあふれ、まもなくここで繰り広げられる舞台への期待が湧き起こってくることだろう。しかし、この3年間に、歌舞伎界は柱とも頼む多くの人々を失った。その惜別の念を改めてかみしめずにはいられない。
長老として円熟の芸を見せてきた中村富十郎、中村芝翫、中村雀右衛門には、新しい檜(ひのき)舞台の上で伝統の規範を示してほしかった。何よりも市川團十郎、中村勘三郎こそ、ここで21世紀歌舞伎の担い手となるはずではなかったか。悔やんでもせん無いことではあるが、400年を超える歴史の中で、歌舞伎は幾多の危機を乗り越えて今日まで生き続けてきたのも事実である。坂田藤十郎を筆頭に、尾上菊五郎、中村吉右衛門、松本幸四郎、片岡仁左衛門、市川左團次、坂東玉三郎、坂東三津五郎といった人々が、まずこれからの時代をリードしてくれるはずであり、それに続く世代にも、期待される才能は決して少なくない。
5代目歌舞伎座のお披露目
ところで、建物としての歌舞伎座は、1889年開場の初代から、火災や戦災などによる数度の建て替えを経て、これが5代目ということになる。いずれも日本風の外観をもちながらも、基本的には近代建築であり、江戸時代の歌舞伎小屋の構造を継承しているわけではない。17世紀以降、ヨーロッパ各地に次々と造られて劇場建築の基準となった、いわゆるオペラハウス型の集大成として1875年に完成したパリのオペラ座(ガルニエ宮)とほぼ同時代の産物なのである。洋風の器に和風の装いを施し、そこで伝統を受け継ぎつつ新しい命を与えるという、日本の近代文明の在り方を象徴しているともいえる。今回の建て替えに際し、石原慎太郎前東京都知事が、ガラス張りのモダンなデザインにすべきだと述べたとされ、批判を浴びるという経緯もあった。それ自体は一個人の教養とセンスの限界を示すものでしかないにせよ、歌舞伎座が江戸ではなく近代を反映し、三宅坂の国立劇場が校倉(あぜくら)造りを模したデザインになっていることなどを考えれば、そこにより本質的な議論があっても良かったのではないだろうか。
何よりも、仮に今パリのオペラ座を改修する必要が生じたとして、それを現代的なオフィスビルに建て替えるという発想は、まず考えられないだろう。国家や都市というロケーション、建築としての構造と建設の背景、上演されるジャンルとそれを支えるシステム、そもそもの経営基盤など、まったく別物であることは言うまでもない、だが、その当たり前の前提を問い直すことから未来は始まるのである。
民衆の伝統文化を守れ
オペラやバレエは宮廷文化の中から生まれ、封建的な社会経済体制の中で、莫大な富を注ぎ込んで作られて来たものである。それは旧体制に代わる近代国家にとっても必要不可欠なものとされ、国家事業として受け継がれた。それに対し、歌舞伎はあくまで民衆のものであり、権力による弾圧はあっても援助などは受けずに発展してきた。そうした中で、江戸の人々は士農工商を問わず、そして明治以降の市民もまた、自らの財を傾け感性を磨き、思いのたけを注いでこれを愛し守り育ててきたのである。そうした祖先を持ち、それを受け継いでいる我々も、このことはもっと誇りに思ってもよいだろう。そして、歌舞伎座の歴史と軌を一にするようにして、一民間企業でありながら、400年の伝統ある演劇を預かり支えるという国家事業に匹敵する仕事に取り組んできた松竹もまた、称賛されてしかるべきである。
邦楽への無関心、育成への不安
だが今、確実に、そして厳然として時代は変わりつつある。ピアノやバレエを習い、ギターを奏で、様々なダンスやカラオケに興じる若者たちの中で、歌舞伎の基本である邦楽や日本舞踊に親しむ者がどれだけいるだろうか。なにがしかの体験なしに、劇場でたまさか鑑賞するだけで、真に歌舞伎を愛する目の肥えた観客になれるのだろうか。
また少しでも興味を持つ者に門戸は開かれているのだろうか。幼い頃から稽古に励まなければ、本物の役者にはなれないのだろうか。
現在、国立劇場の研修制度で、俳優、竹本(歌舞伎で演奏される義太夫節)、鳴物(歌舞伎の下座音楽)などを担う人材を育成しているが、意欲と才能のある若者を惹きつけるだけの将来性が示されているだろうか。そして、名門の家に生まれ、幼時からの訓練によって特別な能力を保持していると思われる若手の俳優たちが、本当に抜きんでた技量と自覚を有しているのだろうか。
歌舞伎は本当に大丈夫なのか
1年以上にわたった旧歌舞伎座のさよなら公演、そしてこれから続く開場記念公演、いずれも特別の料金設定がなされている。御祝儀相場が終わり、通常の昼夜2部制で標準的な料金となった時、それが観客にとってリーズナブルなものであり、劇場に通いやすい時間設定であり、あるいは少々無理をしてでも毎月、そして何回でも見たいと思う舞台であるのだろうか。そうした結果、相応の有料入場者が毎公演確保されたとして、それでもビルのテナント収入を前提としなければ経営が成り立たないというのが、伝統芸能・歌舞伎の現状なのであろうか。入場料収入だけで賄えない支出の妥当性は観客を納得させるものであろうか。
我々が歌舞伎の良き観客であろうとする時、優れた伝統文化を持つ日本国民であることを誇りに思う時、こうした事柄から目を背けることはできない。
そうして初めて、一知半解で文化予算削減を口にする為政者を批判する権利も生まれるのである。
東側から歌舞伎座を眺めると、正面から続いた白壁と瓦屋根がぐるりと敷地を取り囲み、そこから高層ビルがそびえ立っている。見方によってはビルが劇場を貫いている。これを異様と見る感覚もあるだろう。いつしかそれにも慣れて、日常の風景に溶け込んでいくのだろうか。その時に、この劇場に関わるすべての人々、そしてもちろんここに集う観客にとって、誇りを持って語れる劇場であってほしい。