他にも、生まれつき男女両方の特徴を備えていたりして、身体的に男女の判別がつきにくい人々を「インターセックス(性分化疾患)」といいます。インターセックスの人々が、自分自身の性別をどのように捉えるかは様々ですし、さらに性的指向も人それぞれです。
強固なジェンダー規範のもとに生まれ育った私たちは、つい性を固定したものとして捉えがちです。しかし、実際にはセクシュアリティーは一生の中で揺れ動く可能性のあるものです。だからこそ、それを表す言葉も多様なのです。
高校生のころの私には、自分自身のセクシュアリティーを十分に説明する言葉がありませんでした。しかし大人になるにつれ情報を得て、言葉を知り、自分のことを理解できるようになりました。多くのセクシュアル・マイノリティーの人々が、このような経験をしていることと思います。たとえば「私はレズビアンじゃないけど男性のことも好きにはなれないみたいだし……。何だかモヤモヤするなあ」と思いながらも、ジェンダー規範に従った女性として生活せざるを得ない状態で過ごしてきたのだが、「Aセクシュアル」「ノンセクシュアル」という言葉を知って初めて「ああ、そういうことだったのか」と納得するというケースもあるでしょう。言葉や情報を知らないために、自分のセクシュアリティーを理解できず苦しみ続けることもあるのです。
また、「男性はこうあるべき、女性はこうあるべき」という固定観念がもしも存在しない社会であれば、セクシュアリティーについて一つひとつ説明する必要さえないはずだともいえると思います。
ゲイの方が可視化されているのはなぜ?
現在、テレビでは“オネエタレント”と呼ばれるゲイやトランスジェンダーなどの方々が大活躍しています。でも、レズビアンのタレントさんは、ほとんど見掛けません。同性愛者であることをカミングアウトしている有名人は、女性よりも男性の方が圧倒的に多いです。LGBTのコミュニティーの中でも、レズビアンよりゲイの方が人数が多い印象を受けます。これはレズビアンの絶対数がゲイよりも少ないということではなく、社会的な抑圧が働いている結果なのではないかと考えています。日本の社会では、働いてお金を稼ぐのはずっと男性の役割でした。新宿二丁目の同性愛者向けのバーやクラブも、ほとんどがゲイ男性向けです。なぜなら、お金を稼げるのも使えるのも男性たちだったからといえます。一方女性は、家庭に入り子どもを産み育てる役割を担うのが通常でした。親から「早く結婚しなさい。家庭に入るのが女の子の幸せなのよ」というプレッシャーを掛けられている人は、現在も多くいらっしゃるでしょう。このような背景から、女性は自分自身のセクシュアリティーを抑圧せざるを得ないケースが多いのだと思います。それには、社会の中での男性と女性の性役割の非対称性が関係していると思います。
レズビアンの存在が見えにくいのは、セクシュアリティーの問題というよりも、社会構造の問題だと思います。たいていの職場では男性の方が多いですし、管理職に至ってはほとんどが男性です。世界経済フォーラム(WEF)は世界136カ国を対象に、男女格差を縮小する能力を評価しランク付けした「国際男女格差レポート2013」を先日発表しましたが、日本は136カ国中105 位でした。日本における女性の生きづらさが今なお解消されていないことが指摘できます。そしてその男女間格差は、LGBTの中にもやはり存在しているのではないかと思うのです。
自分の中の「差別意識」と「枠」を乗り越える
2013年3月に、私はパートナーの女性と東京ディズニーシーで結婚式を挙げました。もともとディズニーが大好きな私は、シンデレラ城で結婚式を挙げられるプランがあると知って、自分たちもできるかどうか東京ディズニーリゾート(TDR)に問い合わせました。TDRは、同性同士であることは問題ないと回答をくれたのですが、衣装のことが問題になってしまいました。「一般来場者の目に触れるので、一人はウエディングドレスで、もう一人はタキシードにしてほしい」とリクエストされたのです。女性同士ではあっても見た目は男女の結婚のように見せかけてほしい、ということです。ツイッターやブログにこのいきさつを書いたところ思いの外反響があり、注目されることになりました。1週間後には、TDRから衣装に関する要請を取り消すという連絡がありました。このような経緯で、二人ともウエディングドレスに身を包んで素晴らしい式を挙げることができました。結婚式の時、多くの方々から「おめでとう!」と声を掛けられました。本当にうれしいことです。でも実は、はじめ私は素直に「ありがとう」と言えなかったんです。なぜかというと、「これは結婚式であって、“結婚”じゃない」と思っていたから。自分の中に、すごい差別意識があったということにこの時気づかされました。性別や法律に縛られていたのは、他でもない私自身だったのです。セクシュアル・マイノリティーである自分を受け入れるということは、自分自身の差別意識とも向き合い、自分が自分にはめている枠さえ乗り越えていこうとすることでもあります。
私とパートナーには、子どもがほしいという希望があります。私たちは女性二人のカップルなので、最初、精子バンクを利用することを検討していました。ですが、話し合いの末、その方法は採らないという結論に達しました。というのは、精子バンクでは、国籍や目の色、肌の色など細かい条件が選べてしまうからです。
「やっぱり日本人の方がいいのかな」「それってどうしてかな?」「でも、ダブル(国際児)も可愛いよね」「じゃあ、白人にする? それとも黒人?」「黒人を選ばないのは、なんで?」……。選択を迫られる度に際限なく疑問が湧き上がります。
「あまりにも親と違う肌の色の子が生まれたら、小学校でいじめられるんじゃない?」「でも、それってそもそも、レズビアンの子はいじめられるんじゃないか、というのと同じじゃない?」
生まれてくる子どもの国籍や肌の色を選択するという行為には、自分たちの中に潜む差別意識が関係してしまう。私たちは、そう考えざるを得ませんでした。レズビアンというマイノリティー性があるからこそ、気づくことも考えることも多い。どんな問題もとことん話し合えるパートナーに巡り合えたことは、とても幸せだと思っています。
日本では現在、同性婚は認められていません。2001年にオランダが世界で初めて同性婚を認めて以来、現在までにベルギー、カナダ、フランスなど世界15カ国で同性婚が法的に認可されるようになりました。アメリカでは13年6月に、結婚を男女間に限定する連邦法を「違憲」とする判決を連邦最高裁が下しました。アジアでもベトナムや台湾では法制化に向けた動きが活発化しています。世界的な潮流である同性婚を日本でも実現させるべく議論を深めていくことが必要だと考えています。