美しい縞模様を形成する湖底の堆積物、それが「varve(ヴァーブ)」、年縞(ねんこう)である。年縞は様々な粒子が堆積することにより形成されるが、それらを解析することで一体何が分かるのか。さらには未来へとどう結び付いていくのか。水月湖堆積物第3次調査隊のリーダーである東京大学大学院・多田隆治教授に語っていただいた。
水月湖の年縞が“奇跡”と称される理由は?
地質時代においては、年代が古くなればなるほど、1年や10年という短い時間間隔で物事を捉えることが難しくなります。そうした中で、年縞というのは特別な存在で、1年単位の短い時間の目盛りを持っています。木の年輪を思い浮かべていただければ分かりやすいと思いますが、年輪でさかのぼれるのは1万数千年前までが限度です。それ以前は氷期に当たるため、樹木が少なく、また保存状態も良くないからです。そこで、年縞の登場となります。年縞は、季節によって異なる粒子が堆積することにより形成されます。たとえば、春先には繁殖したプランクトンや黄砂、夏には川から運ばれる泥や花粉、秋には落ち葉、冬にはゆっくりと降り積もった粘土や湖水中の鉄分という具合です。特に水月湖の年縞堆積物は、厚さ45メートルにわたり連続した年縞からなり、7万年前までという、これまで類をみないほど長い期間をカバーしています。それが“奇跡”と称される理由でもあります。水月湖は、周囲を高い山で囲まれ、風の影響を受けにくいこと、直接流れ込む大きな河川がなく、砂礫(されき)の流出が手前の三方湖(みかたこ)にトラップされていることや、底層が無酸素状態で底生生物が生息できず、堆積物が攪拌(かくはん)されなかったことなどが幸いし、こうした美しい年縞が保存されました。
この年縞堆積物を初めて完全に連続的に回収したのは、水月湖堆積物第2次調査のリーダーでニューカッスル大学教授の中川毅さんです。その前の第1次調査のリーダーは、当時国際日本文化研究センター(日文研)の助教授だった安田喜憲先生(現・東北大学大学院教授)でした。安田先生は、1993年に水月湖の年縞堆積物を初めて掘削した方で、「年縞」の名付け親でもあります。この第1次調査には、当時まだ学生だった中川さんや、のちの中川さんの研究のきっかけを作った、当時日文研の助手だった北川浩之さん(現・名古屋大学大学院教授)なども参加されていました。
年縞から過去の気象や災害を読み解く
その頃私は、安田先生が深くかかわっていた日文研の「文明と環境」というプロジェクトに参加していたこともあり、水月湖の年縞のことは知っていました。しかし、私自身が年縞に興味を持ったのは、水月湖ではなく、もっと昔、私の助手時代に研究対象とした秋田県の女川層という1500万年前に当時の日本海に堆積した地層が原点です。年縞に関しては、それを利用すると物質のフラックス(堆積速度)が求まり、それによって物質の循環が詳細に復元できることが最大の関心事でした。ここで、年縞からどのようなことが分かるのか、お話ししておきましょう。
まず、花粉やプランクトンの化石などから陸域の植生の変化や海流系の変化が分かります。年縞の厚さからは堆積物の流入速度が分かり、洪水などの災害の規模を知ることができます。近い過去でいえば、排水に混じった物質から、人間の活動がいかに湖や海を汚染したかもみてとれます。
さらに、私が専門とする古気候学の観点からいえば、年縞の厚さや構成物質は気象条件に左右されるため、その年の降水量や気温などが分かります。また年縞の構造や鉱物の種類の変化から、影響を与えた気候変動の周期性を知ることもできます。さらに、地震の規模やその周期も分かります。
さて、話を女川層に戻すと、女川層にみられる地層の堆積リズムの解析から、当時の環境変動では数千年の変動周期が卓越し、それにかぶさるように数万年の周期の変動が存在することが分かりました。さらにその数万年の周期が、ミランコビッチ・サイクル、つまり地球の公転軌道の形や、地球の回転軸の傾きなどによる日射分布の変化に対応する可能性が高いことを突き止めました。そして、この堆積リズムの成因を探るため、地層を構成する物質の化学分析や鉱物分析を行い、生物起源のシリカ(SiO2)と砕屑物の比が周期的に変化することで堆積リズムが出来ていることを突き止めました。しかし、それだけでは、そのどちらのフラックスが変動してリズムが生じたのかは分かりません。それを明らかにするには、生物源シリカフラックスと砕屑物フラックスを個別に求める必要があります。そこで年縞の出番です。
現在ほど高解像度、ミクロン単位で分析する技術がなかったため、1センチずつ地層を切り出し、その中の年縞を測っていくという方法を使って、それぞれの含有量と1センチの地層に含まれる年縞の数からフラックスを求めたのです。その結果、数千年の変動は、生物源シリカのフラックス変動で作り出され、数万年の変動は、砕屑物フラックスの変動で作り出されたことが分かりました。
西が先か? 東が先か?
2013年夏には、統合国際深海掘削計画に主席研究員として参加、日本海と東シナ海の計9地点を掘削しました。この航海には世界10カ国、34人の科学者が参加しました。私は、この掘削の解析結果から、梅雨や木枯らしに象徴される東アジアのモンスーン気候が、何が原因で、いつ頃から起きたのか。さらにその周期や変動の振幅などが時代とともにどう変化してきたかを明らかにしたいと考えています。その鍵となるのが、1980~90年代にウィリ・ダンスガードとハンス・オシュガーによって発見されたダンスガード=オシュガー・サイクル(DOC)です。DOCは、グリーンランドの氷床コア(氷床を掘削して採取した氷の柱)の解析から分かったもので、最終氷期(7万年前~2万年前)に、数百年~数千年の間隔で繰り返した急激な気候変動のことです。その回数は約20回、変動の温度差は10℃以上あり、わずか数年の間にこうした変化が起こったことは衝撃的でした。
このDOCを示すグリーンランドの氷床コアの酸素同位体比変動と、日本海の堆積物の縞模様の明暗が非常に似通っていることは、すでに1989年の日本海掘削の結果をもとに解明していました。つまり、グリーンランド周辺と、日本周辺の気候が同じようなパターンで変動していたのです。これまでは、グリーンランドでの現象が先に有名になったこともあり、西での現象が東に、つまり日本を含むアジアの気象に影響を及ぼしたとされてきました。しかし、今回の掘削データの解析から、もしかしたら、モンスーンのほうが起源であるということが明らかになるかもしれません。
奇跡の年縞が様々な分野の可能性を広げる
どちらが先かを判断するのに、水月湖の年縞は大きな意味を持っています。これまでは、数万年前に起きた事象の年代を判断するのに、千年を超える誤差が出てしまうのが普通でした。それを中川さんたちは、1年ごとの年縞を数え、また鍾乳石など他のデータとも照らし合わせることで、百年以内の誤差にしようと苦心しています。百年という時間は、今の我々にとっては長い時間ですが、それは数万年という期間に対してはほんの一瞬で、精度が格段に上がることを意味します。また、中川さんたちの姉妹プロジェクトとして私が進めている第3次調査の目的は、フラックスの復元に基づいて、観測記録のない過去の気候変動のメカニズムを解明することです。さらに、水月湖の年縞のシグナルを、日本海や中国、アジアの堆積物へと比較対象を広げることで、グローバルなシグナルを取り出そうと考えています。