「お箸の国」でも日本は独特
フランス料理はナイフとフォーク、日本料理は箸である。和食に箸というのは日本文化の象徴のようである。しかし、箸は何も日本だけのものではない。中国や韓国でも台湾やベトナムでも使われている、東アジア圏の代表的な食事道具の一つである。ただし、その材料や使い方には違う点が少なくない。中国や韓国では象牙や水牛などの獣骨製やそれを模したプラスチック製、また青銅や真鍮(しんちゅう)、高級なものでは銀など金属製の箸が多い。テーブルでは縦向きに置かれる。
それに対して、日本では木製の塗り箸が普通で、食膳では内と外を分ける結界のように横向きに置かれる。そして、日本では各家庭で自分だけの箸が決まっている。いわばマイ箸である。それは夫婦でも親子でも共用はしない。同じ家族であっても他の人の箸は使わない。自分の箸は大事に自分だけが長く使い続ける。一方、料亭や駅弁では使い捨ての割り箸が普通である。つまり、内では長く使うマイ箸があるのに、外では使い捨ての割り箸、という不思議な対比が見られるのである。
マイ箸・マイ茶碗は「私の世界」
この内と外の対比をもう少し詳しく見てみると、完全な外の世界である大衆食堂などでは、かつて使い捨ての割り箸が一般的だったが、現在では費用の上でもエコロジーの面でも難しくなっている。だから誰彼となく使い回す塗り箸が使われることが多い。茶碗やコップも同じだ。自宅では自分の茶碗やコップが決まっており、食堂では共用の茶碗やコップが使われる。内ではマイ箸、マイ茶碗、マイコップであるが、外では共用の箸、共用茶碗、共用コップである。それに対して、先ほど述べたように、料亭や駅弁では使い捨ての割り箸が使われる。
なぜか。それは料亭や駅弁の場がまだ完全な外ではなく、自分の世界を保持できる内外の中間的な場だということを意味している。内と外、そしてその中間、というこの三つの枠組みから見れば、料亭や駅弁の場というのは内外の中間的な場、まだ少し自分の世界を持てる場、ということになる。
だから、例えばオフィスにマイカップを置いている会社員というのは、そこが内でも外でもなく、自分にとって内外の中間的な場と見なしているからだということになる。職場を自分の家庭に近い感覚でとらえているからこその習慣といってよい。
日本の箸は最初から「使い捨て」
では、この日本の特徴といってよい使い捨ての割り箸の淵源はどこにあるのか。まず民俗の中に探ってみると、その特徴は、一つには自分で割って作る箸だということ、二つには使い終わったら捨ててしまい、再利用はしないことが挙げられる。中にはわざわざ折って捨てるというしきたりもあるくらいだ。つまり、その食事の時だけに使われる、自分だけの新鮮で神聖な1回限りの箸、他人からは不可侵の箸という意味が潜んでいるのである。まさに「自分世界」を象徴的に表す表象具である。次に箸の歴史をさかのぼってみると、箸そのものの歴史は新しいが、使い捨ての割り箸の伝統は意外と古いことがわかる。例えば中国から当時の日本を見た『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん 3世紀後半成立)や『隋書倭国伝』(ずいしょわこくでん 636年成立)には、倭人(倭は日本の蔑称)は箸を知らず手で食べていると書かれている。卑弥呼(ひみこ)も聖徳太子こと厩戸皇子(うまやどのみこ 574~622年)も、まだ手で食べていたのである。考古学の発掘情報によると、持統天皇(じとうてんのう)の造営になる藤原宮(694~710年)の遺跡でも、まだ箸はほとんど見つかっていない。
ところが平城宮(710~784年)の段階になると、内裏(だいり)の北外郭の東部分のゴミ捨て穴から、たくさんの箸が見つかるようになる。調査発掘の担当者の一人、考古学者で奈良文化財研究所所長だった町田章(まちだあきら 1939~2011年)によると、それらは造りも粗く1回限りの使い捨ての箸だった可能性が高いという(佐原真「箸の起源」:『講座 食の文化』第四巻、1999年)。ただし、当時はまだ市街地からはほとんど見つかっていない。だから、宮中では箸の利用が始まったが、市街地の生活では、まだ普及するには至っていなかったと考えられるのである。
次の長岡京(784~794年)の時代になると、市街地の左京の溝から1万本近い箸が見つかっており、ようやく都城の人々の生活の中に、箸が普及してきていたことがわかる。つまり、日本の箸の普及は、律令国家体制の整備が進む中で、宮中の儀礼的な食事と宴会の場から始まり、やがて都城の官人たちの家庭にも広まっていったものと考えられる。ただし、その中国文化を表象する箸の利用も、日本では中国風のそのままではなく、日本風にアレンジされた使い捨ての割り箸という形で受容されていったのである。
意外と新しい直箸の禁忌
箸を自分たちのものとしていった日本人の間にも、やがて箸を巡るさまざまな作法や禁忌が生まれていった。迷い箸やねぶり箸、くわえ箸やたたき箸、渡し箸などが行儀の悪い例(嫌い箸)とされたが、中でも現代日本で嫌われているのが直箸(じかばし)である。大皿の盛り合わせや鍋料理などで、そこに自分の箸を突っ込んで食べる直箸はたいへん不作法なものとされ、箸をさかさまにして、自分の口をつけていない方を使う、などの作法も生まれている。中にはわざわざ取り箸と取り皿が用意されているケースもある。
しかし、よく考えてみればそれは、実におかしな光景なのである。もともと一緒盛りの大皿や鍋料理というのは、家族団欒(だんらん)や気の合った仲間たちが箸を突っつきあって食べるための料理であり、そこでは直箸が当たり前であった。直箸忌避と取り箸というのは、実は大皿料理や鍋料理が都会のお店で出されるようになり、やや距離を置いているまだ他人の間柄の者たちが、食事を共にするようになって見られるようになった、いわば近現代日本の不自然な食事風景なのである。
「差しつ差されつ」は魂の接触
直箸忌避の対極にあるのが盃の交換である。日本の酒の飲み方は差しつ差されつが基本であった。自分の口を付けて飲んだ盃を相手に差して酒をつぎ、その盃を受けた方は、それに自分も口を付けて飲み干してから、また相手に返盃をするのである。日本の酒はそのような献盃と返盃とが繰り返され、口を付けた盃が交換されながら飲まれるのであって、自分で勝手についで飲む手酌などもってのほかであった。手酌はもっとも不作法なこととされていたのである。大正生まれの老人たちが当たり前だと思っていた盃の交換が、若い人たちに嫌がられるようになり、人々の食事の場での直箸が忌避されるようになったのは、昭和30年代から40年代の高度経済成長期を一つの境としている。飲み物や食べ物を介した口と口との接触が、人間関係の絆を強く結ぶことにつながると、考えられていた時代の日本では、口の接触は心の接触でもあり魂の接触でもあった。
結婚式の三々九度の固めの盃は、もともと古い特殊な社会(任侠[にんきょう]、一揆の仲間、若者宿など)で伝承されていた、人と人との絆を魂のレベルで結ぶ儀式が、近現代になって一般の結婚式の中にも取り入れられたものである。