一人がターゲットの気をそらし、そのすきにもう一人が盗み取り、気づかれる前に3人目にブツを渡して逃げ切る。ラテンアメリカでよく使われる盗みのパターンは、チームプレーが多い。置き引きにしても、さっと持ち去る役の人間は、すぐに次の仲間にブツを渡し、そいつが逃げ切り担当のヤツに引き継ぐ。大抵は、盗んだ相手を傷つけずに仕事を済ませるのだが、アンジェロの場合は違った。
ひとを殴ることで大金を手にすることを覚えた彼は、相棒のクリスティアンともう一人の仲間ニキと3人でチームを組み、次から次へと盗みを働き始めた。初めは粗野でごく原始的な方法、つまり「殴り倒して財布を奪う」という犯行だった。同じ中米の国々の中でも、特に盗みに遭う確率が高いと言われるホンジュラスだが、子どもによるここまで手荒な犯行はそうないだろう。
「私たちは近所でパーティーがあると出かけていき、敵対するグループの奴らを見つけては殴り倒していました。一度は殴った相手が一人、死んでしまったこともありました」
神妙な顔でアンジェロが言う。だが地元の警察はまったく捜査をしなかったため、誰も罪に問われなかった。これぞ社会的な「不処罰」の悪習。
そもそも警官がギャングやマフィアとつるむということも、ラテンアメリカでは日常茶飯事だ。武装した者同士、戦って命を危険にさらすくらいなら、互いの利益のために協定を結ぼう。それが警察とワルの正しいつき合い方。というのが、常識とすら言える。だから、警察は特定のグループの犯罪を見逃し、その代わりに金や麻薬を譲り受ける、あるいは別の犯罪者の情報を流してもらい、手柄にする。給金の安い貧乏警官たちは、家族を養うためには手段を選ばない。ギャングたちはそのおかげで、「協定」が効力を持つ特定の地域内では、自由に悪さができるようになる。加えて、たとえ警察が捕まえたとしても、司法がきちんと裁かない。犯罪者の大半は金にものを言わせて、減刑を得る。政界や財界の大物なら、最初から司法関係者と取り引きをしており、逮捕されてもすぐに釈放されるか、裁判が始まらないまま、ムショで「自由に」暮らす。マフィアのドンの中には、塀の向こうで高級ホテル並みの生活を送る者もいる。
アンジェロたちの場合、所属するギャング団「コブラ」の縄張り内での犯行だったので、見逃されたのだろう。罰せられなければ、人は罪を忘れ、犯行を繰り返すことになる。
「私たちにはもう、暴力が身に染みついてしまっていました。ただの暴力的な盗人になり下がっていたのです」
盗みを続けた自らをさげすむように、アンジェロはそう言い放った。が、当時「暴力的な盗人」は、反省などしなかった。13歳になると、拳だけでは飽き足らず、「もっといい武器を手に入れたい」と考えるようになる。
「3人である日、住宅地を警備するガードマンを襲って、持っていた銃を一丁奪いました。そして“これを使って、最新のスニーカーをどんどん手に入れよう!”と、ますます張り切って悪事を働きました。しかし、学校へは一応通い続けていたうえ、(ギャングと言えば当たり前の)お酒や麻薬もやっていなかったので、母は私たちのしていることに気づいていませんでした」
地元では近所の人々が、アンジェロたちの悪事を知り、母親に注意を促していた。が、彼女はそんな話にまったく耳を貸さなかった。それもそのはず、アンジェロは暴力ざたになってもダメージを受けず、いつも平然と帰宅していた。母を悲しませたくないため、完璧な平静を装い、普通の中学生を演じていたのだ。しかし現実には、彼らの犯罪は日増しに凶悪化し、プロフェッショナルなものへと変貌していく。
「一人一丁拳銃を持ちたい。そう考えた私たちは、もう二丁手に入れようと別のガードマンを襲いました。そうして全員が銃を手にしたことで、もう怖いものはないという感じになったのです。それからは半月ごとに、銃を持ってコカ・コーラのトラックなどを襲撃し、強盗を働いていました」
半月ごと、というのは、業者の集金日がそのペースで巡ってくるからだ。
「一度襲えば1万5000レンピラくらいは稼げました」
当時のレートで、16万円以上。それはスラムの少年たちにとって、とんでもない大金だった。労働者が1日働いても数百円しか手にできないこの国で、1日1万円以上使えるだけの現金を手にした時、ギャング少年の社会に対する感覚は、完全に狂ってしまった。
まわりには定職に就いている大人がほとんどおらず、仮に職を得て真面目に働いていても、貧困からはいつまでたっても抜け出せない。ラテンアメリカのスラム社会では、いわゆる「努力」が報われることは、ほとんどないに等しい。世間一般には、「高等教育を受ける努力をすれば、きっといい職に就けるし、いい給料がもらえるようになる」と言われるが、スラムでは必ずしもそうは行かない。なぜなら、ラテンアメリカにはほぼ固定化された貧富の格差が存在し、どんなに有能な人間でも、コネなしで経済的な成功を手にすることは、至難の業だからだ。
仮にスラムの若者ががんばって大学を出たとしても、いい就職口を手にするには、富裕層とのコンタクト=コネがいる。よほどの運がなければ、コネなしでいい職に就くことはできない。それにひきかえ、もともと裕福な家庭に生まれた連中は、少々出来が悪くても、親や家族、親戚、友人のコネで、高給取りになれる。この現実を前に、犯罪少年たちの頭には、誤った社会観、人生観が根付いていった。
「貧乏人が豊かになるにはやはり、力の行使しかないのだ」
社会で成功すること=犯罪集団の頂点に立つこと。邪悪な意識が、アンジェロたちの脳を支配し始めていた。
アンジェロたちの後輩とも言うべきギャング世代、現在の若者ギャング団「マラス」のメンバーの場合も、組織に入ってからの時間や仕事ぶり、つまりギャングとしてのキャリアが積み重なるにつれて、かかわる犯罪のタイプが変わって行くという。スラムで子どもや若者を支援するNGO(非政府組織)が運営するコミュニティーセンターで出会った青年(24)が、5年前に「マラス」を抜けるまで、組織でどんな仕事をしていたかを話してくれた。
「最初は、所属するマラスの縄張りの入り口で、見知らぬ人間が来たら知らせるバンデーラ(旗)と呼ばれる見張り役をしていた。そのあと武器管理係をして、12歳で戦争税(みかじめ料)の取り立て役になった。その当時は毎週2万レンピラ(約10万円)集めて回っていたよ。まるで別世界さ。そして15歳の時、殺し屋グループに入ったんだ」
「マラス」では、凶悪犯罪に手を染めれば染めるほどに、集団の中での地位は上がり、仲間の尊敬を得るようになるし、実入りも良くなる。だから犯罪がエスカレートする。
「殺し屋グループは、一件3万レンピラ(約15万円)で殺しを請け負っていた。殺す相手によって、料金は違うんだ。一般人なら1000、弁護士なら5万はとっていた。50人以上が殺されるのを見たよ」
青年は淡々と語った。その言葉に驚き、思わず「罪の意識や恐怖心は抱かなかったのか?」と疑問をぶつけると、こんな答えが返ってきた。
「その時は、怒りや憎しみ、ストレスで何も感じなかった。地獄だった。生きた心地がしなかった。人生が人生じゃなかったんだ」
重苦しいため息が漏れる。マラスで「いい仕事をこなす」には、罪悪感が消え去ってしまうほどに自分を追い詰め、感覚をまひさせなければならないということだろう。ただ必死で自分の役割をこなすことで、居場所を確保する。それが彼らがマラスに入っている理由。理由を見失うと、役割を全うできなくなり、やがて敵にやられるか、味方に裏切り者扱いされるかの危険が、我が身に降り掛かる。まさに命がけだ。
ギャングから何とか足を洗い、悪夢のような日々が去った今、彼は時折、自分たちの犠牲になった人々のことを思い出し、涙を流すという。自分の弱さや罪深さに気づかず、他人に対する暴力でごまかしていたことが恥ずかしく、情けないと感じるからだ。
「僕には愛が欠けていた。だからあんなことをしてしまったんだ」
当時は自分だけではどうしようもない虚無感と孤独を抱え、ひとの痛みにまで思いが及ばなかった。青年はそう考えている。