――福島では和合さんだけでなく、いろいろな方々と会われたようですね。
大友 ミュージシャンやライブハウス関係者など、音楽関係の知人・友人だけでなく、同級生やら友達が紹介してくれた人やら、毎日深夜まで話したり、街中を一緒に歩いたりしてました。話をしていると一見明るく見えるんです。でも、僕は、みんな心から血を流しているように感じました。それも半端じゃない量の出血です。街中がうつ状態みたいになっていて、誰もがどうしていいのかわからないんですよ。僕だって全くわかんない。政治家とか、本来ならば住人を先導する役割の人までそんな感じに見えました。
だからこそ、祭りが必要だとも思ったってのもあります。これ、いきなり言うと誤解されそうなんで、丁寧に言いますね。
まず原発をどうするのかとか大きな問題の解決は、僕らには無理だってのは、すぐにわかりました。それは、どこか大きな力を持った行政なりがやってくれないとどうにもならない。住民避難とかについてもそうです。個人でやれることはわずかしかないし、そもそも専門家でもない自分たちには何が的確な判断かもわからない。でも、何もせずに手をこまねいていてもどうにもならない。必要なのは、この状況の中で、どう考えていったらいいのかという道筋を見つけることだと思ったんです。今は普段の状態ではなく、どうやら誰も助けてくれないわけですから、自分でサバイバルするしかない。だからといって普段のことをやれるようにすればいいかっていうと、それは違う。なぜなら普段のママが通用しない世界になってるわけですから。
そんな中で、自分にできることと言ったら、祭りをやることなのかもって思ったんです。小さくてもいいから、例えば町内会の祭りをやるってすれば、そのために、会場の放射線量を測らなくてならないでしょ。でもって、そこで祭りをやっていいのかどうか専門家に聞いてみて、ダメなら他の方法を、何か対策を練ってやれるならその対策をやってみる。そうした具体的なことなら、僕らでもできるんじゃないかって思ったんです。そう考えていくと、にわかにミチロウさんの言っていた1万人規模の野外フリーフェスが、そうしたことを皆で考えるにはいいんじゃないかって思えるようになってきたんです。
おまけに、この規模なら簡単にできるわけではないから地元だけじゃなく各界の力も必要になる。いろんな分野の人が共同作業をしながら、この先をどうしていったらいいかを考える格好のプラットフォームの役目を果たしてくれるんじゃないかって思ったんです。祭りを作るプロセスで、1個1個の問題に対して対策を考えていけばいい……。そうした具体的なことが、見えない未来を作ってくことになるんじゃないかって考えたんです。
4月下旬の最初の会合には60人を超える人が集まって、大きな方針が固まっていき、5月7日に「プロF」記者会見、5月8日には、東京でも最大の配信実績を誇るUstreamチャンネルのDOMMUNE(ドミューン)が全面協力してくれて、郡山にインターネットテレビの「DOMMUNE FUKUSHIMA!」を立ち上げて、プロジェクト発足と815のフェスをやるって宣言をしたんです。ものすごい勢いでした。