世界的なアーティスト、X JAPAN
今年(2017年)3月、X JAPANはロンドンのウェンブリー・アリーナ公演を成功させました。3年前の14年10月には、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの公演を成功させ、ドラムスとピアノを担当し、作品のほとんどを手がけるリーダーのYOSHIKIは、今年の1月にアメリカのカーネギー・ホールでクラシック公演を成功させ、アジア人として初めてアメリカのロックとクラシックの二大殿堂を制覇し、今回のウェンブリー・アリーナ公演によって、X JAPANは実に三大殿堂制覇という快挙を成し遂げたことになります。また、2016年に完成したドキュメンタリー映画『WE ARE X』は、アカデミー賞を受賞したハリウッドの製作陣が、名手スティーヴン・キジャック監督とタッグを組んで製作され、アメリカをはじめ世界各地の20以上の映画祭で諸々の受賞を果たしたほか、アメリカ、イギリス、日本、中国などでも順次公開となり、各地で異例のロングラン上映となりました。
X JAPANという日本のバンドが世界的な存在となったのは間違いありませんが、彼らの偉業は、日本では現状ほどポピュラーではありません。その理由は、彼らの活動拠点がアメリカで、マネジメントに携わっているのもアメリカのエージェントと、実質海外アーティストであるからでしょうか。リーダーYOSHIKIが天皇陛下御即位10年奉祝曲を演奏し、首相や財界トップ等にすらファンが多くいながら、その偉業が日本で正しく伝わらない……皮肉なことに、その理由は日本の音楽アーティストとして唯一世界で成功しつつある理由と深くつながっており、そこから科学やIT、グローバル企業など、広いジャンルで顕著になりつつある「世界から取り残される日本」という構造が浮き彫りになってくるのです。
突出した特性と魅力
X JAPANは、X名義でインディーズ時代に一つ、CBS・ソニー~ソニー・ミュージック時代に二つ、アトランティックへ移籍してX JAPANと改名してから一つと、これまでフルアルバムについては四つをリリースし、それ以来、実に21年間、アルバムを発表していません。実に寡作なアーティストといえます。「X JAPANのファンに初心者はいない」という表現を聞くことがあります。これは、一度彼らの魅力を知ってしまうと瞬時にのめり込み、さまざまな音源や情報を集め、一気に「コアファン」になってしまうという傾向を表したものです。
また、1991年には当時の日本の音楽シーンでは大変珍しい、ある「奇跡」が起きています。Xのメンバーと筆者は、三つめのアルバム『Jealousy』のレコーディングでロサンゼルスに前年の秋から8カ月間滞在しました。そもそも前年、日本武道館公演を成功させた直後からアルバム創りに没頭していたため、結局、メンバーたちによる「本人稼働」のプロモーションは1年以上にわたって行われていません。にもかかわらず、アルバムを完成させて日本へ戻ると、ファンは急増し、ほぼノープロモーションのまま、帰国2カ月後に、初の東京ドーム公演を成功させています。
これと同じ現象が時代と形を変えて、2000年代に世界で進行します。1993年以降、言葉の壁や解散などによってX JAPANが世界進出を果たすことができないままになっていた間、日本向けに制作されたはずのアルバムや作品が、インターネットによって世界中に広まり、いつしか世界中のあらゆる国で、数多くのファンを生んでいたのです。
また、89年発売のアルバム『BLUE BLOOD』に収録された作品は、30年近く経った今も、世界中のステージで演奏されるアレンジが、基本的に当時と全く変わっていません。通常のJ-POPであれば、30年前のアレンジはさすがに「古い」感じがします。多くのアーティストが当時の作品を今演奏する際に、アレンジや演奏スタイルを変えることが多いのは、そのためです。
これらの突出した特性は、すべてX JAPANの音楽性が生み出したものです。ドキュメンタリー映画『WE ARE X』では、KISSのジーン・シモンズ、マリリン・マンソン、アメリカンコミックの伝説的原作者スタン・リー、ビートルズのプロデューサーを務めた故ジョージ・マーティンなど世界の著名な人たちが、X JAPANの優れた音楽性や魅力を語っています。
特性を音に刻み込んだ意味
バンド名がXだった1989年頃、筆者は共同プロデューサーとして、アルバム『BLUE BLOOD』の制作を、メンバーたちと共に進めていました。当時、筆者には決心していたことがあります。それは、一切の妥協を排除して、メンバーが望む限り、とことんレコーディングをさせてあげることです。筆者自身がミュージシャン時代、妥協しなければならないレコーディングで残念な思いをしたことと、アーティストの才能や可能性よりもビジネス的な都合や商業的な価値観が先行しがちな日本の音楽業界の特質に対する反発から生まれた決心です。「100年残る音楽」を完成させ、Xの音楽を世に送り出すことによって、強い疑問とともに義憤を感じていた「日本の音楽シーンの問題点」に一石を投じてみようと考えたのです。その問題点とは、オリジナリティーが重要視されずに、コピーやモノマネが歓迎される体質です。音楽の先進国であるアメリカやイギリスにおいて、一流のアーティストに要求されるものは、何よりもオリジナリティーです。揺るぎないオリジナリティーがあって初めて、そのアーティストとしての魅力や作品の可能性が評価されます。しかしながら、日本の場合は違いました。
クラシックもジャズもロックも、みな輸入であり、音楽的な土台や素養がないところに、海外の素晴らしい音楽が入ってきます。そして、その音楽がビジネスになると判明すると、さまざまなやり方でビジネスが展開されていきます。そこで生じたのが、海外のマネをする、というスタイルだったのでしょう。
もちろん、最初はいたしかたありません。しかし、そういった日本独特の音楽シーンが展開されてから30年以上経ち、若くて才能あるアーティストが生まれているにもかかわらず、ビジネス優先でモノマネの方が歓迎される風潮が一向に変わらないのでは、何年経っても業界は成長しません。
そうした中、Xの登場こそ、その体質を変えるチャンスでした。何より、Xは個性の塊。オリジナリティーにおいては過去に類を見ない、圧倒的なものを持っています。「ENDLESS RAIN」という、YOSHIKIが生んだ名曲があります。サビを階名で表すと「ミーーシードーー」「レドーシドーーー」「レドーシドーーシー」(注:「移動ド」による表記)となります。これほどシンプルでありながら、聴く人の心を強く打つメロディー、しかも過去の誰も生んだことのない、純粋なオリジナルメロディーです。
世界で通用しない日本的な体質とX JAPANの成功
筆者の期待は現実となり、Xは日本の音楽シーンのさまざまな記録を塗り替え、ビジュアル系という新たな音楽ジャンルを確立し、ロックが持つ精神性と高い音楽性を一般ユーザーに伝え、まさに日本の音楽シーンを変えていきました。Xはやがて活動拠点をアメリカに移し、X JAPANとして海外進出の準備を始めましたが、残念ながら、その途中の1997年で解散してしまいます。
X JAPAN
リーダーのYOSHIKI(ドラムス、ピアノ)と、TOSHI(〈現Toshl〉ボーカル)が高校時代に結成した「X」を前身とするビジュアル系ロックバンド。インディーズ時代に多くのメンバーチェンジを繰り返し、1987年からHIDE(ギター)、PATA(ギター)、TAIJI(ベース)での編成となり、89年にメジャーデビュー。92年、TAIJIの脱退とHEATH(ベース)の加入を経て、世界進出を目指し、現バンド名に改めるが、後に断念。97年に解散し、翌98年HIDEが他界する。2007年に再結成を果たし、SUGIZO(ギター)を迎え、世界進出に邁進中。21年ぶりの新作アルバムの近日リリースが発表されている。
YOSHIKI
年齢非公表。X JAPANのリーダーにして、楽曲の大半を作詞・作曲し、ドラムスとピアノを担当。ハードロックのドラム演奏の概念を覆すほどの激しい高速演奏の半面で、クラシックをベースにした繊細なピアノ演奏を披露する。アーティスト(パフォーマー)だけでなく、プロデューサー、ビジネス戦略家など、多岐にわたる才能を発揮し、X JAPANを牽引する。
ウェンブリー・アリーナ
イギリス・ロンドンに所在する、最大で約12,500人を収容する多目的大規模ホール。1934年の大英帝国競技大会に際して建設された施設「エンパイア・プール」を78年に改修した。多くの屋内競技や音楽イベントが開催されてきており、特にコンサートにおいては、ボブ・ディランやマドンナなど、世界的なアーティストの公演でも知られており「ロックの殿堂」「ロックの聖地」などと呼ばれている。
マディソン・スクエア・ガーデン
アメリカ・ニューヨークに所在する多目的大規模ホール。1968年に創設。公演内容や競技種目によるが、最大で約19,000人を収容する。NBA(アメリカのプロバスケットボールリーグ)の花形競技会場として知られるとともに、KISSやマイケル・ジャクソンなど、ロックをはじめとするポピュラーミュージックの世界的アーティストの公演で知られる。
カーネギー・ホール
アメリカ・ニューヨークに所在するコンサートホール。最大で約3500人を収容する。1891年に創設されて以来、クラシック公演を中心に、世界的に活躍するロックやポップスなどのアーティストによるコンサート会場としても知られ、「音楽の殿堂」とも呼ばれる。マディソン・スクエア・ガーデンと併せて、音楽家にとっての「二大殿堂」と位置付けられている。
移動ド
「ドレミファソラシド」を音名ではなく、階名としてとらえること。