時は流れ、時代も変わり、解散から10年目の2007年、X JAPANは再結成を発表します。
先に触れたように、彼らの魅力はインターネットによってすでに世界中に広まっており、数多くのファンが生まれていました。それに応える形でX JAPANは復活し、再び活動を始めることになり、世界ツアーをスタートすると、各地で称賛が起きていきます。10年、シカゴで開催された世界最大級のロックフェスティバル『ロラパルーザ』に出演すると、世界各国のメディア40社以上から取材が殺到し、当地では新人であるにもかかわらず、全米ネットワークテレビ、ABCの『WorldNews with Diane Sawyer』では、プライムタイムで大特集が組まれました。その内容は「ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ、ブルース・スプリングスティーンが束になってもかなわない日本のバンドを発見」と報じ、「約50年前、ビートルズがブリティッシュ・インベージョンを起こした(イギリス音楽をアメリカに浸透させた)ように、X JAPANがジャパニーズ・インベージョン(日本音楽ブーム)を起こそうとしている」といった称賛と、全米が注目している様子を伝えたものでした。
同年以降、ヨーロッパツアーをはじめ、第二の北米ツアー、オーストラリア公演などオファーが殺到し、X JAPANは世界各地での公演を展開していきます。
X JAPANが海外で成功できた理由
他の日本人アーティストが成し得なかったこのような快挙を、X JAPANが初めて成し遂げられたのはなぜでしょうか。この理由を考えるにあたり、逆に「なぜ他のアーティストは海外で成功できないのか」を考えてみます。それは「海外で成功しなくても、幸せになれるから」ではないでしょうか。日本のアーティストは国内で成功すれば、経済的にも恵まれ、好きなことが自由にできるような立場になります。これはポップミュージックが「国内でビッグビジネスになりやすい」という性質を持っているためです。しかしその性質は、恩恵を受ける人たちにとっては素晴らしい反面、「既得権益や利権が発生する」「作品の芸術性やアーティストの才能より、ビジネス性が優先される」といった代償を伴います。
さて、そういった恩恵を受けている日本のアーティストが海外で成功しようとすると、そこには言葉の壁や環境の違いなど、多くのリスクと困難が待ち受けています。そもそも、それらを克服するためには、日本を離れて海外へ長期滞在する必要があります。音楽先進国のアメリカでの成功を目指せば、そこには世界中から才能あるアーティストが集まっていますから、日本での成功とは比べものにならないほど、厳しい努力や鍛錬を強いられます。
一度日本で成功したアーティストにとっては、プライドが傷つく可能性も高く、リスクも高く、相当な覚悟がなければ成功は難しい。そのような熾烈な経験を、日本で幸せでいられるアーティストがわざわざする必要はないわけです。
では、X JAPANの場合はどうだったのでしょうか。
リーダーのYOSHIKIは、1992年から25年間、ずっとアメリカを活動拠点としています。音楽ビジネス上の交渉を直接できるレベルの語学力を自力で習得し、音楽ビジネスを地道に展開しながら独自の人脈を築き上げつつ、自力で買い取ったスタジオで、ひたすら音楽作品を生み続けました。
そもそも、X JAPANは、日本ではミリオンセラーを生み出す成功者です。バンド解散後、YOSHIKIが日本の音楽業界の中に居続けて、幸せな生活を続けることは可能でした。しかし、彼の中には「そのような生きかたを決して選ばない強いエネルギー」が存在していました。それは、とても純粋でマグマのような熱い魂が生む「音楽への情熱」。YOSHIKIにとって、生み出す作品は「芸術」そのものです。日本で成功して楽しい時間を過ごすことよりも、自らの芸術作品を世界に向けて伝えていきたい、という情熱の方が遥かに強いのです。X JAPANが海外で成功している背景には、「世界に通用する芸術を生み続けたい」という志の高さが生み出す、YOSHIKIのエネルギーがあったわけです。
ところで、音楽業界以外のジャンルを考えてみると、作品を生み出すアーティスト=芸術家にとって「純粋な作品への情熱」は特別なものではありません。その理由はおそらく、音楽業界ほど「ビジネスマター主導」ではないからでしょう。
夏目漱石、三島由紀夫、村上春樹……
葛飾北斎、草間彌生、村上隆……
黒澤明、宮崎駿、北野武……
それぞれのジャンルで、国境を超えて愛される芸術家は、日本にも数多くいます。作品にきちんと力があれば、国境という壁も消え、本来、音楽の世界も同じであったはずです。しかし、音楽、とりわけポップミュージックの場合、その壁を高くしてしまっていたのは、皮肉にも他の芸術と比べて、簡単にビッグビジネスになりやすいという性質でした。
幸か不幸か、CD不況によってその性質が壊れ始めた今こそ、音楽というカルチャーが芸術という本来の力を取り戻すチャンスだと筆者は考えています。加えて、今日では、世界中の人たちとダイレクトにつながることのできるネット環境があります。これもまた、ビジネスマター主導という呪縛を解く、強い味方です。才能のある日本の若い人たちが、オリジナリティーあふれる素晴らしい芸術作品を生み、世界に発信していくことに期待しながら、そのような明るい未来を、X JAPANの成功から感じ取ってもらえたら大変うれしく思います。
X JAPAN
リーダーのYOSHIKI(ドラムス、ピアノ)と、TOSHI(〈現Toshl〉ボーカル)が高校時代に結成した「X」を前身とするビジュアル系ロックバンド。インディーズ時代に多くのメンバーチェンジを繰り返し、1987年からHIDE(ギター)、PATA(ギター)、TAIJI(ベース)での編成となり、89年にメジャーデビュー。92年、TAIJIの脱退とHEATH(ベース)の加入を経て、世界進出を目指し、現バンド名に改めるが、後に断念。97年に解散し、翌98年HIDEが他界する。2007年に再結成を果たし、SUGIZO(ギター)を迎え、世界進出に邁進中。21年ぶりの新作アルバムの近日リリースが発表されている。
YOSHIKI
年齢非公表。X JAPANのリーダーにして、楽曲の大半を作詞・作曲し、ドラムスとピアノを担当。ハードロックのドラム演奏の概念を覆すほどの激しい高速演奏の半面で、クラシックをベースにした繊細なピアノ演奏を披露する。アーティスト(パフォーマー)だけでなく、プロデューサー、ビジネス戦略家など、多岐にわたる才能を発揮し、X JAPANを牽引する。
ウェンブリー・アリーナ
イギリス・ロンドンに所在する、最大で約12,500人を収容する多目的大規模ホール。1934年の大英帝国競技大会に際して建設された施設「エンパイア・プール」を78年に改修した。多くの屋内競技や音楽イベントが開催されてきており、特にコンサートにおいては、ボブ・ディランやマドンナなど、世界的なアーティストの公演でも知られており「ロックの殿堂」「ロックの聖地」などと呼ばれている。
マディソン・スクエア・ガーデン
アメリカ・ニューヨークに所在する多目的大規模ホール。1968年に創設。公演内容や競技種目によるが、最大で約19,000人を収容する。NBA(アメリカのプロバスケットボールリーグ)の花形競技会場として知られるとともに、KISSやマイケル・ジャクソンなど、ロックをはじめとするポピュラーミュージックの世界的アーティストの公演で知られる。
カーネギー・ホール
アメリカ・ニューヨークに所在するコンサートホール。最大で約3500人を収容する。1891年に創設されて以来、クラシック公演を中心に、世界的に活躍するロックやポップスなどのアーティストによるコンサート会場としても知られ、「音楽の殿堂」とも呼ばれる。マディソン・スクエア・ガーデンと併せて、音楽家にとっての「二大殿堂」と位置付けられている。
移動ド
「ドレミファソラシド」を音名ではなく、階名としてとらえること。