人気の起爆剤となったダークサイド的な二重構造にしても、明示されたものではない。視聴者からの発見をうながすよう、たくみに仕掛けられている。4~5話をかけてちりばめられた情報に観客の知的好奇心が作用することで、「一見幸せそうな世界の裏側には何かありそうだ」という推理を呼びさましたのである。
「圧巻の情報の奥行き」によって「参加の感覚」を触発するというプロセスに注目すると、『シン・ゴジラ』や『この世界の片隅に』など近年のヒット作のいくつかと同じ傾向があることも分かってくる。特に『けものフレンズ』の場合はキャラクター性が突出するよう考えられているため、一見ゆるく、拡がりのある大衆向けの入り口があるのがいい。そこから気軽に入っていくと、実によく考えられている奥の深さを楽しめるという「構造」の点で、秀逸である。これは「動線がうまく考えられている動物園」なのだ。
「アニマル」と「アニメ」の関係性
こうした推理のプロセスを通じて得られた知見や感覚が、想像力の発動をうながし、作品が終わっても「現実の動物」「現実の自然界」へとつながっていくのだとしたら、この「けものフレンズプロジェクト」はかけがえのない境地を開拓しつつあるのではないか。そこには冒頭述べた「アニメーション」のそなえる「魔法のパワー」が介在している。それが、何より嬉しいことだ。もともと「アニメーション」という用語は「アニマル」と同じ「アニマ(ラテン語の霊魂)」を語源としている。その「霊魂=いのち」とは、設定として説明されるものではなく、想像力を媒介にして吹きこまれ、発見されるものだったはずだ。
アニマルをモチーフにしたフレンズの生活、特徴の「動き」に観客が想像をめぐらせることには、「いのちの発見」がある。その点で『けものフレンズ』は「アニメーションの根幹」に触れている。アメリカ映画のように、巨費をかけて常時なめらかなモーション、アクションを見せつけるだけがアニメーションの価値ではない。『けものフレンズ』のように、控えめに静かに動かし、間を大事にしつつも「大切な時間」を観る者に想像させるタイプの3DCGアニメーションもあり得るということだ。この発見は、もしかしたら、「日本らしいアニメ文化」に新たな1ページを加えるものかもしれない。
送り手と受け手、想像力の相互作用に「新しいかたち」を獲得しつつある『けものフレンズ』。その点で、今後の展開と新たな進化の可能性から目が離せない。
フル3DCG
コンピュータ内の演算によって、3D(立体)的に生成されたCG(コンピューターグラフィックス)アニメーション映像の総称。
セルルック
フル3DCGでありながら、キャラクターに輪郭線をつけ、彩色をベタ塗りに処理することで、手描きのセルアニメ(2Dアニメ)のように見せるアニメーション技法。