「近代」によって排除されているもの
中島 もう一つ印象的だったのが、登場人物の一人である年老いた漁師の「ワイちゃん」の漁のシーンや魚を扱う彼の手元を、想田さんが非常に丹念に撮影しておられたことです。これも「死者の存在」とつながるところで、漁師としての彼の手の動き、目の動きの一つひとつの奥にはおそらく「死者」がいる。何百年も続いてきた漁師の営みの中から彼が受け継いできた、言語化できない「暗黙知」のようなものですよね。それをあれだけ時間を掛けて撮られたというのは、どんな思いがあったのでしょうか。
想田 ワイちゃんはもう86歳で、陸上だと足元もおぼつかないぐらいなのですが、漁船に乗ると急に別人のように生き生きするんですよ。しかも、その手さばきなどを見ていても、あの年齢の人とは信じられないほど見事で。あれには驚いたし、敬意を抱きました。ワイちゃんは「もう70年この仕事をやってるんだ」と言っていたんですけど、70年一つの仕事をやっているってすごいことだな、と。同時に、本来労働というのはこういうものだったんじゃないかとも思いました。体を使って労働をして、その対価として少々報酬をもらって……。
そもそもこの映画を撮ろうと思ったのは、牛窓 の漁師の間でも高齢化が進んでいて、後継者がいないという話を聞いたことがきっかけなんですね。もしかしたら10年、20年後にはこの港町から漁師はいなくなってしまうかもしれない。更に言えば、同じことは日本全国で起きていてもおかしくないわけで、そうすると日本全土から漁師さんという存在が消えてしまう可能性もある。そう考えた時に、すごく衝撃的だったんですよね。昔から綿々と続いてきたはずの人々の営みが、今こうして消えかかっているという……。
だから、その前に撮らなくてはならないという切迫感はありました。ワイちゃんの漁のシーンなども、普通の映画だったら編集段階で端折る部分なのかもしれませんが、むしろここが大事で、これを残しておかなければこの映画には意味がないと考えていました。
中島 ワイちゃんが受け継いできた「暗黙知」は今、まさに「マーケットの論理」によって排除されつつあるものです。海洋汚染や、大型船による根こそぎ漁業で魚が獲れなくなるといったことも起こっている。つまり、本来ちゃんと守られていくべきものが、「近代」のさまざまな要素によって疎外されている、そのことが描かれていると感じました。
また、それとつながる話として、想田さんの著書の『観察する男』(2016年、ミシマ社)では、前作の『牡蠣工場』(2016年公開)を編集していた時に、牛窓の古い町並みを撮影した画を入れ込もうとしても、工場を撮影した映像と全く合わないことに気付いた、ということも書かれていました。この「断絶」をどう考えるのかというのも、『牡蠣工場』『港町』に共通する主題なのかなと思ったのですが。
想田 そうなんです。牡蠣工場というのは、昔ながらの工場のように見えて、実は近代の論理で貫かれている場所なんですね。いかに効率良く牡蠣をむいて出荷するかということを考えて、埋立地につくられている。その光景が、牛窓の古くからある路地などの光景と並べると、すぐ近くにある場所なのに全く別世界で、全く不釣り合いなことに驚きました。
だから、『牡蠣工場』を編集しているときから、『港町』のほうは「近代」以前の、昔ながらの人間のコミュニケーションとか生活習慣といったものがテーマになるんだろうな、と感じていました。
我々はなぜ「近代」を目指したのか
中島 では、僕たちの社会はなぜさまざまなものを切り捨てながら「近代」へと変貌してきたのか。その理由も『港町』に描かれているような気がします。
というのは、近代以前の土着世界というのは、ある意味非常にウェットで面倒なものなんですよね。『港町』には、浜の辺りを毎日散歩しているおばあさんが登場しますが、彼女の姿を見て複雑な気持ちになる人は多いと思うのです。ワイちゃんとは友達のはずなのに、ワイちゃんがいない所では散々悪口を言ったりする。あれってまさに、僕たちが知っている「ムラ社会」の嫌な部分じゃないですか。
しかも、ああいう土着世界というのは、なんというか非常に「不気味」なものを含んでもいます。画家の岸田劉生が「デロリ」と表現したものですね。想田さんがおばあさんに「あっちの方を撮るといいよ」といって案内してもらうシーンも、なんだかどこに連れていかれるのか不安になるような、奇妙な雰囲気が漂っています。ああいうものを嫌悪し、恐れ、そこから解放されようとしてきたのが「近代」だったと思うのです。
そうした狂気のようなものを含む「伝統」や「日常」の二重性が描かれているという意味で、『港町』は単なる「かつてあったもの」への郷愁映画ではない。僕たちは今、その二重性をどう引き受けるのかということを突き付けられていると感じました。
『保守と立憲』(2018年、スタンド・ブックス)
中島岳志さんの新刊。主に第二次安倍政権下に書かれた論考をまとめ、新たに立憲民主党代表の枝野幸男氏との対談も収録。保守とは、立憲とは何か? といった解説に加え、多くの論考中で「死者のデモクラシー」という視点について語られている。現在の中島さんの考え方がよく分かる示唆に富んだ一冊。
想田 中島さんも『保守と立憲』の中で「保守」という考え方は、単に昔のものを守れば良いということではない、昔のものを墨守するだけなら「保守」ではなく「反動」と呼ぶべきだ、ということを書かれています。おっしゃるとおりで、人々が「近代」に魅了されたのは、かつての社会が持っていたウェットさ、湿度のようなものが面倒臭かったからでしょう。もちろんそこにはさまざまな不平等性や理不尽さ、貧困などもあったはずで、もっと生きやすい社会をつくろうというポジティブな面も「近代」化にはあったと思うのです。
だから、単に「昔は良かった」と言いたいのではなく、少しずつの改革、改善は絶対に必要なんだと思うのですが、牛窓で感じたのはその変化が「少しずつ」ではなかったということなのです。
牛窓
岡山県瀬戸内市にある漁村で、想田監督の義母の出身地でもある。『港町』及び前作『牡蠣工場』を撮影した場所。