ところが、このスタイルではプロが絵を描くテクニックを学ぶことは出来るが、マンガに欠かせないアイデアの練り方や、ストーリー作り、コマ割りといった構成面でのテクニックを学ぶことは難しい。そのため、大学でマンガを学んだ学生の多くが「絵は上手いが、ストーリー作りが出来ない」と言われたものだった。
試行錯誤が繰り返された末に、現在ではシステマチックにマンガの描き方を学べるようなカリキュラムが組まれるようになった。マンガ家自身も教えることによって、自らのマンガの成り立ちを理解し始め、「作品に向かい合う心構えが変わってきた」というマンガ家教授も多い。
編集者出身の教員は、もともとさまざまなマンガ家を育てたという経験から、育てるコツでは一日の長があったが、やはり学生を教えることで、より論理的な指導手法を確立するようになった。
こうした試行錯誤を経て完成された指導手法が、大学の強みと言えるだろう。
一方、学生側にとって大学でマンガを学ぶメリットを挙げるとすれば、教えるフィールドの幅広さだ。
大学では、学生さえその気になれば他学部の先生やゲスト講師からも、さまざまなことを学べるのである。文学や演劇の先生から作劇法を学んだり、心理学の先生から読者をひきつけるコツを学んだり、歴史の先生から作品のベースになる歴史や地理のことを学んだり、解剖学の知識を学んで作品に役立てたという例もある。
教員たちは外部講師の招請にも熱心で、文楽の人形遣いや落語家といった古典芸能の演者を呼んで、学生たちに学ばせているところもある。人形の表情がわずかな動きや角度で変わる文楽など、全く違う視点からマンガの画角やコマ割りのテクニックに気付く学生も少なくない。
学生には右脳タイプが多い?
実作がメインの大学の場合、学生は高校時代からマンガを描いていて、将来はプロになりたくて進学してくる者が多い。しかし、このタイプの学生は絵は上手だが、粗削りな面白みには欠けるという声も教員サイドからは聞かれる。そこで、AO入試などではあえて技術は未完成だが、大きく化ける可能性を秘めた学生を選ぶという大学もある。
やる気と伸びしろのある学生の場合、一流の先生や先輩に出会うことで、それが触媒となって眠っていた才能の開花が促進されるというのだ。
いわゆる「右脳タイプ」が圧倒的に多いのもマンガを学ぶ学生の特徴だ。理論や理屈を文字で理解するよりも、絵や映像で感覚的に理解するのだ。このあたりは「マンガ産業論」という座学を教えている私が苦慮している点だ。テキストやレジュメを使って授業をしてもなかなか頭に入らない。じっと話を聞いていることが苦手な学生もいる。
なるべく絵や映像を使いながら授業を進めるようにはしているが、良い教材はそう簡単には見つからない。マンガ家の先生の中には、自らマンガで授業用のテキストを作ることが出来る先生もいて、京都精華大学教授のさそうあきらは『マンガの方法論 超マンガ大学 まったく新しいマンガの教科書!』を2010年に朝日新聞出版から刊行している。
また、他の学部でも同じような傾向があるのかもしれないが、打たれ弱くて諦めが早い学生が多いなと、私は感じている。
マンガ家や原作者、マンガ編集者、評論家などを目指して入学してきたはずなのに、2年生に進級する頃になると、はっきりプロを目指しているグループと、とりあえず大学を卒業して会社員や公務員になれればいい、というグループに分かれてくるのだ。
大学では、有望な新人を発掘するために東京の主な出版社が「出張持ち込み会」などのイベントを実施しているところが多いが、プロを目指す学生が、せっせと作品を仕上げては持ち込んでいるのに対し、早々に諦めた学生は全く見向きもしない。
もちろん、大学でマンガを勉強した学生全部がマンガ家になれるわけではない。一般的には卒業生の5%がデビュー出来れば多い方だと言われている。デビュー後、連載を持つなどして作品を描き続け、単行本が出るまでになるのはそのうちの5%。マンガだけで食べていけるのは更にそのうちの5%……。
5年前に大阪で行ったトークイベントに出席してくれた某マンガ家は、4年間マンガを学んだ母校について「うちの学校はニート製造機でした」と自嘲的に言った。「ニート製造機」は大げさかもしれないが、就職率だけで評価出来ないのは、経済学や法学、社会学を学ぶ学生だって同じはずだ。
ただし、卒業しても簡単にプロにはなれないのは、音楽であれ、絵画であれ、芸術系の大学では共通している。文学部だって、みんなが作家や詩人になれるわけでもない。
それは分かるが、夢を抱いて進学して、1年かそこらでマンガ家への道を諦めるのは早すぎるのではないかと思う。
もう一つ最近の学生の特徴は、留学生の比率が年々上がっているということだろう。10年くらい前までは、中国、韓国、台湾からの留学生が教室全体の1割程度いれば多い方だったが、今は4分の1以上というクラスも少なくない。出身も東アジアだけでなく、フランス、ハンガリー、オーストリア、スリランカと広がりを見せている。昨年(2017年)教えた院生はアゼルバイジャン出身だった。
子どもの頃から日本のマンガやアニメに憧れて育ってきた、というだけあって、授業では日本の学生よりも熱心だ。大学院まで進学する割合も日本人よりも、留学生の方が増えている。中国や韓国からの学生は、日本で博士号を得て、母国で大学や専門学校の教員になる、という者も少なくない。日本のように、大学院まで進むと就職が難しくなるのとは事情が違うようだ。
いずれにしても、多国籍の学生を相手に日本語で、日本のマンガを語るのは不思議な体験である。
社会貢献とマンガ教育
2002年度に文部科学省が始めた地域貢献推進特別支援事業などを契機として、現在の大学には、社会の役に立つ研究やプロジェクトの実行が強く求められている。マンガを教える大学でも、社会貢献は大きなテーマになっている。
京都精華大学では、マンガをはじめとしたキャラクターデザインを学ぶ学生たちが、警察に協力して「オレオレ詐欺(振り込め詐欺)撲滅」の着ぐるみ人形劇を一から立ち上げて上演したり、地元企業や行政の依頼でマンガによる社史や観光パンフレットを学生が作成するなど、さまざまな取り組みを成功させている。
その中でも大きなものに、学内の研究機関国際マンガ研究センターが取り組んでいる「原画’プロジェクト」がある。
原画’(げんがダッシュ)とは、マンガ原稿をコンピューターによるデジタル処理で限りなくオリジナルに近付けた複製原画のこと。劣化しやすく、破損したり紛失したりすると取り返しのつかない原画の代わりにマンガ展などに展示することで、保存と公開を両立させることが出来る革新的な技術だ。
プロジェクトリーダーを前学長でもある竹宮惠子教授が務め、賛同する多くのマンガ家たちの協力を得て、これまでに数々の「原画’展」を成功させてきた。
コンテンツのデジタル配信でも、大学がさまざまな面で関わるようになっている。
IT企業とタイアップして未来のマンガ表現をつくるというプロジェクトは、既に複数の大学で立ち上がろうとしている。
京都精華大学は、いち早く17年度からマンガ学部に「新世代マンガコース」を新設。スマホやタブレットでマンガが読まれる時代にふさわしいメディアミックスやマンガ家のセルフプロデュースについて学ぶ、新しいカリキュラムを組んだ。
こうした流れは、他の大学にも波及しており、大学から未来のマンガが生まれる日も遠くないと期待している。
逆に、心配されるのは過去のマンガ遺産をいかにして継承するのか、という点だ。