誰でも最初は素人だから、勇気を持って多くの人に地図作成に挑戦してほしい。ただ、初心者は「コピペ」だけは慎んでほしい。出来合いの地図(昨今はネット検索で地図らしきものは簡単に手に入る)をコピペして使い回すのは楽だが、地図表現を熟知した人間ならともかく、素人が安直にやると落とし穴にはまる。
例として2002年版の『外交青書』136ページの地図を出す。この地図では日本の南方に謎の「ムー大陸」もどきが描画されてしまっている。
これは青書148ページの地図にあった「カナダ領バンクス島」を、なぜかアジアの地図に持ってきてしまったことによるミス(おそらくコピペもしくは使い回しにより生じたミス)だが、しかるべき製図ソフトを用いて自分で一から地図を描画していれば、「拙さ」や「描き忘れ」はあってもこのような「蛇に足を描き足した」ヘンテコなミスはしなくて済む。「自分は手抜きして失敗したバカです」と自己紹介しているような惨めな姿は、これからの人たちには晒してもらいたくない。
製作側の心得その3:「ネイティブチェック」を受けよう
それでも、2002年版『外交青書』は適切な校正を受けていれば、このようなヘンテコな地図を堂々と公式報告書の、それも扉ページに掲載して恥を晒すようなことはなかったはずだ。章の扉、しかも日本近海なのになぜ誰も校正段階で気が付かなかったのかは日本出版史に残る謎である。
もちろん、「日本政府がこの程度なのだから自分も」と思われては社会に明日はないので、これからを生きる人々は地図を慎重に扱ってほしい。ただ、最初は難しいというのであれば、しかるべき力量を持った人に地図の作成を任せたり、チェックを仰いだりすることを推奨する。外注は恥ずかしいことではない。作家も挿絵は画家に任せるし、我々も英語で論文を発表するときにはネイティブのチェックを受ける。文章はネイティブチェックを受けるが、地図は受けないというのは、最高のものを表現・提示しようとする創造者にふさわしい態度ではあるまい。地図も言語も意味を持った記号の体系という点では同じで、地図が扱えれば表現の幅はぐっと広がる。ただ、地図をきちんと作成できるグラフィックデザイナーや、地図の校正を十分できる編集者が業界に少なく、地図学やそれに類する科目もほとんど大学等にないのは事実なので、教育現場や職場での「プロ育成」は急務である。
製作側の心得その4:ちゃんと「ごめんなさい」を言おう
これは多言を要すまい。ミスは誰にでもある。まして、ここまでヘンテコな地図があふれる日本なのだから、これから地図を描いて社会に出そうとする人がいたとして、その人が描く地図も最初はやっぱりヘンテコである可能性は高い。だからある程度のミスは現状しょうがないと思っている。ミスを最小限に抑えようと全力を尽くすのは当然として、ミスを指摘されたら、それを認めて礼を述べ、迅速に訂正して次は繰り返さない努力を多くの人がしていけば、確実に社会全体の地図のレベルは上がっていく。
読者側の心得:相手は中高生レベルだと思って育てよう
地図リテラシーを向上させる最も確実な方法は、「いい地図をたくさん眺める」ことだ。『高等地図帳』(一般書店でも購入できる)などは、不満はあるが一定のレベルには達している。多くの人に、日ごろから地図を眺め、「ん?」と思ったときには地図帳(この際スマホのGoogle Mapでもよい)を開いて対照・検証する習慣をつけてもらい、その肥えた目で社会全体のヘンテコ地図をチェックし、ただ糾弾するに留まらず、育てていく寛容さと根気強さを持ってほしい。何しろ日本にあふれる地図の多くは「中学生でも描けるレベル」なのだから育てがいがあるし、高校レベルの地理の知識でチェックもできるのだから、早ければあなたも今日から「地図校正者」になれる。
そして、一番読者の方にお願いしたいのは、「地図に描かれた隅々のどの土地にも、そこには人々の生活があり、それらにはかけがえのない価値があって、第三者が勝手に蔑ろにしてはいけないこと」を常識として持ってほしいということだ。多くの人々にそのような常識が共有されている社会ならば、作る側も地図の隅々まで敬意をもって描画するよう努めるだろう。私は、人類が世界を理解するために生み出した地図という媒体が、究極的には世界中の人々の相互理解のために役立ってほしいと願っている。
なお、地図のことを本格的に知りたいという人には、地図に関する一般書が少なからず刊行されているほか、「日本地図センター」のような教育普及活動に熱心な組織や、「国土地理院」のような専門性の高いウェブサイト、スマホで気軽に使える地図アプリも多数あるので、そちらにあたっていただけると嬉しい。一番手っ取り早いのは、地理を履修している自分の周囲の高校生たちに尋ねることかもしれないが。
地図を知ればより世界が楽しくなる
日本で作成される地図には世界最高水準のものもあるが、一般的にはまだまだ発展途上の状態にある。しかし、それだけ改善・成長の余地があるし、地図を学ぶ人の活躍の場も用意されている。何しろ、政府刊行物の地図とて中学生くらいのレベルにあるものが少なくないわけだから、高校レベルの地理的知識と地図リテラシーを身につけるだけで「政府より賢くなれる」。成熟した日本社会において、これほど活躍と改善の余地が目に見える分野も少なかろう。
社会に流通する地図の量は、今後も増えていくだろう。目の前に垂れ流されてくる地図をただ受け流すのではなく、よく眺め、問題があれば改善させようとする姿勢を多くの人が身につけたなら、日本の地図は確実に美しくなる。たかが地図ではあるが、これも人類の英知の塊。地図のレベルを底上げするだけでも、日本社会の教養レベルは上がるし、その伸びしろは大きい。
人類は文字を手に入れる前から地図を描いてきた。地図が巷にあふれるようになった今日の日本だからこそ、愛情を持って地図を眺め、語り、描こうとする人が増えてくれると嬉しい。そして、地図を眺めて「なんでここに国境線が引かれたんだろう」「そもそも国境って一体何なんだ?」「この国の人たちも素敵な笑顔をするんだろうな」「現地に行って確認してみるか」などと思いを馳せてくれる人が増えるとなお嬉しい。