例えば、近年ベストセラーになった歴史関連の書籍には、呉座勇一さんの『応仁の乱』(中公新書、2016年)、亀田俊和さんの『観応の擾乱』(同、2017年)などもあります。過去の過渡期の存在を、歴史家が現代の人たちに向けて提示した書籍が多くの人に受け入れられた。この現象自体が、トンデモ言説に歴史家が対抗する方向性のひとつを示しているとも言えるかもしれません。現在の時代性を示す、過渡期を生きる歴史家が打ち出す「過渡期史観」が、これからはより重視されてくるでしょう。歴史家としては、そのことを踏まえたうえで、呉座さんや亀田さんの議論を学問的に検討することとなるでしょう。
「他者の歴史」に目を向ける
また、歴史のありようとして、これまでは「私たちは何者か」という「アイデンティティの歴史」が重視されてきました。歴史学もまた、アイデンティティの歴史を追究してきましたが、私には、強い抵抗感があります。歴史とは、他者の発見、他者の尊重ということであるように私には思われます。「私たち」とは異なる「かれら」がおり、「かれら」もまた(「私たち」と同様に)かけがえのない文化を持ち、歴史を有していること、そしてそのことへの共感を見いだすような歴史・歴史学を追究したいと願っています。
現代はグローバル化への過渡期にあり、人々が従来持ってきたアイデンティティが揺らいでいます。「私たちはどうあるべきか」――過渡期特有の問題意識は、歴史教育の場においても色濃く反映されており、他者の歴史へ目を向けることの必要性を強く感じます。
最後に、歴史教育について言及しておきましょう。歴史教育もいま、大きな転換のなかにあります。今後は高校で、日本史と世界史を融合した「歴史総合」という必修科目の新設が予定されています。現在は教科書を制作中で、2022年4月から実際に授業が開始されます。歴史の見方の変化が、歴史教育の場にも及んできていることは、きわめて重要な出来事であるでしょう。世界の動きのなか、日本の歴史教育もようやく動きだしました。
「歴史総合」が新設される背景には、国際的な対応力を持つグローバルエリートをつくり出そうという、やはり過渡期ならではの問題意識が存在します。その問題意識を私たちがどう見るか、また世界史と日本史が融合して教える側の難度も上がった科目を、高等学校の教室で先生たちがいかに教えていくのか。
いまこそ、世論において議論を深めていく時期に入っていると思います。