南極の氷の表層は年に数メートルずつ動いているので、氷に刺したポールも、やはり少しずつ正確な極点から離れていってしまう。そこで、地学上の正確な位置には「ジオグラフィック・ポール」というのを刺す。こちらはアムンゼン・スコット基地が毎年計測して刺しなおしているんです。セレモニーポールに比べればちょっと地味ですけども。
南極で、コットン100%!?
村上 南極はあったかい、と言っていましたが、ウェアはどんなものですか?
荻田 薄手と少し厚めのアンダーウェアを1枚ずつと、中綿なしのアウター1枚。アウターには綿、つまりコットン100%の「ベンタイル」という素材を使っています。
アウトドアとか山登りの愛好家にとっては、綿のアウターなんて考えられないでしょう。雨にでも濡れたら命とりですよね。もっと軽くて暖かく、撥水、防水、汗や湿気を排出するための透湿機能のある新素材がいくらでもある。
ところが、極地では、むしろ最先端の防水透湿素材は使えないんです。なぜなら、マイナス20度を下回ると、防水や透湿などの機能が失われてしまうから。
100キロ近い荷物を載せたソリを引っ張って歩いていれば、気温が低くても汗だくになる。そんな状況で服の透湿機能がなくなってしまったら、湿気がまったく外に排出されず、ビニール袋をかぶっているのと変わらなくなります。
でも、綿なら汗を吸って、外に排出してくれる。濡れた生地は南極の陽光と風と乾燥ですぐに乾きます。だから汗が全部、塩の結晶になって、ウェアの背中や脇は真っ白になってしまった。でも、それは狙い通りでした。
荻田 極地では、体温調節という考え方が何よりも重要です。暑くなりすぎても、冷やしすぎてもいけない。「南極は寒い」と思い込んで……といっても寒いけど(笑)、だからといってひたすら着込めばいいというのは間違いです。
この時のウェアは、POLEWARDS(ポールワーズ)というブランドの職人さんと相談して、真夏の南極という環境を徹底的に想定してつくった一点もの。特に汗の管理は想定以上にうまくいって、よっしゃ、という気持ちでした。
村上 ポールワーズは、南極観測隊とも縁があるんですよね。昔は東洋羽毛工業という会社の一部門として、1950年代から南極越冬隊や日本のマナスル登山隊、エベレスト登山隊に羽毛のウェアなどを開発・提供していたという、日本で一番古いダウンのブランドです。当時は知りませんでしたが、私も越冬隊員としてポールワーズのウェアを着ていました。
荻田 南極越冬隊というと、たとえば、ひげもじゃの男たちが、狭い寒いところで肩を寄せ合って、冬を耐え忍び生き延びる……なんていう、映画『南極物語』的なイメージがあるけど、そんなのは初期のころだけですよね。昭和基地って、どんなところなの?
村上 昭和基地は、南極大陸から4キロほど離れた東オングル島というところに造られた観測所です。一つの大きな建物ではなくて、島のあちこちに50以上の建物が点在しています。
余談ですけど、昭和基地の骨材って、世界一高価かもしれないですよ。基地のあるあたりは2億年くらい前までスリランカとくっついていたところなので、周辺からはスリランカと同様に、ガーネットやルビー、サファイアなどを含む鉱物が多く見つかっています。基地の建物に使うコンクリートは、セメントに現地の砂利を混ぜて造成するんですけど、この砂利には特にガーネットがたくさん含まれています。いわば宝石入りのコンクリートです(笑)。
南極観測隊
正式名称は「南極地域観測隊」。南極圏の東オングル島に位置する昭和基地(国立極地研究所所管)を主な拠点として、天文学、地質学、生物学上の観測、調査などを行う。1年以上を南極で過ごす冬隊(越冬隊)と、夏季のみを過ごして帰還する夏隊がある。1956年に予備隊(第1次隊)が派遣された。2019年2月時点では第60次隊が南極で活動中。
昭和基地
南極大陸から4キロほど離れた東オングル島に建てられた、国立極地研究所所管の観測基地。1957年、第1次南極観測隊によって建設された。大小50以上の建物で構成されている。
アムンゼン・スコット基地
1957年に南極点付近に建設されたアメリカの観測施設。2007年からは、建物全体をジャッキで持ち上げる高床式構造となっている。名称は、1900年代初頭に南極点への初到達に挑戦した探検家、ロアルド・アムンゼン(1872~1928、ノルウェー)と、ロバート・F・スコット(1868~1912、イギリス)に由来する。
マナスル
ヒマラヤ山脈に属する、ネパールの山岳。標高8163メートル(世界8位)。日本は1952年から調査隊を派遣し、1956年5月、第3次日本マナスル登山隊(槇有恒隊長)の今西寿雄らが初登頂に成功。日本人として初の 8000メートル峰登頂となった。
『南極物語』
1983年に公開された日本映画。蔵原惟繕監督、高倉健主演。第1次南極観測隊の体験談をもとに、昭和基地に取り残された樺太犬「タロ」と「ジロ」の姿を描き、大ヒットした。
大場満郎
1953年生まれ。83年、南米アマゾン川の源流から6000キロをいかだで下る。86年、北磁極を単独踏破。94年から北極海単独徒歩横断に挑戦し、97年、4度目の挑戦で、世界初の北極海単独徒歩横断に成功。99年には南極大陸単独徒歩横断に挑戦し、成功。世界で初めて南北両極の単独徒歩横断に成功した。2000年、植村直己冒険賞受賞。著書に『南極大陸単独横断行』(2001年、講談社)など。
南極観測船「しらせ」
1983年から2008年にかけ、第25~49次隊を南極に運んだ南極観測船。南極観測船としては「宗谷」(1956~62年)、「ふじ」(65~83年)に続く三代目。2009年からは新しい「しらせ」が運航している。