北極圏を何度も踏破し、さらに2018年には日本人として初めて、無補給単独徒歩による南極点到達をも成功させた冒険家、荻田泰永さん。
かたや、南極観測隊に参加した経験を持ち、地球の極地環境や火星(!)において、人間がどう暮らしうるのかを研究している極地建築家の村上祐資さん。
人が生きるのに最適だとは言いがたい最果ての場所、「極地」を主戦場にしているのはなぜなのか。極地で考えること、極地から見えてくることとは何なのか? 年齢が近くウマも合うという、自称「極地ブラザーズ」の対談です。
つながりは「極地」
荻田 極地ブラザーズの兄貴分、荻田です。極地ブラザーズって、私と村上くんがラジオとかで名乗ってただけなんですけど。私は北極をメインに活動していて、村上くんは……。
村上 2008年から09年にかけて、第50次南極観測隊に越冬隊員として参加しました。その後は、エベレストのベースキャンプで登山隊の一員として暮らしてみたり、アメリカの「マーズ・ソサエティ」というNPOが主催する、疑似的な火星環境での居住実験に参加したりして、10年間でトータル1000日くらい極地生活を送っています。お互い「極地」にかかわりがあって、年齢も近くてたったの1歳違い。それじゃあ俺たち「極地ブラザーズ」だね、という話を、よくしていました。
荻田 自分は冒険家として、北極や南極をフィールドに活動しています。2000年からカナダ、北極海、グリーンランドなど、北極圏に15回行っていて、南極は1回。トータル1万キロぐらい歩いてきました。
17年11月には初めて南極に行き、無補給単独徒歩での南極点到達に挑戦しました。南極大陸の沿岸部から南極点まで、独りで、外部からの物資補給を受けず、そしてエンジンや犬の力に頼らず自分の体だけ、足だけを動力に歩き通すというチャレンジです。
この時は1126キロを50日間で歩きました。ゴールが年明け、18年1月5日。日本人として初めて南極点までの無補給単独徒歩に成功したので、結構大きくニュースになったようです。そんなことを長年やってます。
村上 私は荻田さんとは違って、冒険家ではありません。肩書の一つは「極地建築家」。居住に向かないような厳しい場所では、人がどんな住まいや設備を必要として、何を支えに暮らしていくんだろうか、そういうことを研究しています。荻田さんがアウトドアの達人だとしたら、私はスーパーインドア派。
まずは極地の代表格、南極で暮らしてみたくて、観測隊に参加。越冬隊員として昭和基地で15カ月過ごしました。
その経験があったので、荻田さんが南極に初チャレンジする時には、南極に近いプンタアレナスというチリの最南端の都市まで一緒にいったんですよね。南極はどうでしたか?
南極って、どんなところ?
荻田 南極大陸は、お椀を伏せたような形をしています。地表に降った雪が融けずに氷になって積み重なった状態で、内陸部中央、南極点付近の標高は2835メートル。海抜ゼロメートルの沿岸部から、富士山の7~8合目くらいの高さまで、1000キロ超の距離をソリを引っ張って登る。南極大陸にも、氷の下の地形によっては山脈や渓谷があるんだけど、17~18年のルートは、傾斜が急なところがたまにあるくらいで、基本はひたすら平ら、というか、そう見えてゆるーい登り。
記録映像も当たり前だけどオール自撮りです。遠くのほうにわざわざカメラを置きにいって、ソリまで戻って、カメラに向かって引っ張っていく。カメラを回収してまた向こうに置く、その繰り返しでした。
村上 11~1月の南極は真夏で、気温マイナス25度くらいですね。冬の南極内陸部は、マイナス70~80度で、時速300キロぐらいの風が吹き続けるような場所なので、とても人間が活動できる野外環境ではありません。
荻田 北極を冒険するときは、マイナス50度くらいまでは活動します。それに比べると、真夏の南極は、正直、「あったかい」ですね。
白夜なので日が沈まず、常に背中から日が差している状態でした。風が内陸部のてっぺんから絶えず吹き降ろしてくるから、いつでも強い向かい風がゴーゴーと鳴っている。空気は砂漠より乾燥しています。あまりに過酷な環境なので、沿岸を離れると生き物を見かけなくなります。そういうところを1日20キロ以上、50日間ひたすら歩き通しました。
南極点は「ふたつ」ある
荻田 スタートから49日目、遠くに光るお皿みたいなものが見えてきた。それは、南極点のすぐそばにあるアムンゼン・スコット基地というアメリカの観測所の天体望遠鏡でした。地形が平たんなうえ、望遠鏡がすごく大きいので、20キロ以上離れたところから視界に入ってくる。見えているのに、まだまだ遠い(笑)。ゴールは翌日になりました。
「南極点」は、実は2種類あるんです。ひとつは記念撮影用の「セレモニーポール」。各国の国旗に囲まれていて、写真映えするので「到達成功!」みたいな写真はだいたいそこで撮る(笑)。でも、これは正確な極点ではないんです。
南極観測隊
正式名称は「南極地域観測隊」。南極圏の東オングル島に位置する昭和基地(国立極地研究所所管)を主な拠点として、天文学、地質学、生物学上の観測、調査などを行う。1年以上を南極で過ごす冬隊(越冬隊)と、夏季のみを過ごして帰還する夏隊がある。1956年に予備隊(第1次隊)が派遣された。2019年2月時点では第60次隊が南極で活動中。
昭和基地
南極大陸から4キロほど離れた東オングル島に建てられた、国立極地研究所所管の観測基地。1957年、第1次南極観測隊によって建設された。大小50以上の建物で構成されている。
アムンゼン・スコット基地
1957年に南極点付近に建設されたアメリカの観測施設。2007年からは、建物全体をジャッキで持ち上げる高床式構造となっている。名称は、1900年代初頭に南極点への初到達に挑戦した探検家、ロアルド・アムンゼン(1872~1928、ノルウェー)と、ロバート・F・スコット(1868~1912、イギリス)に由来する。
マナスル
ヒマラヤ山脈に属する、ネパールの山岳。標高8163メートル(世界8位)。日本は1952年から調査隊を派遣し、1956年5月、第3次日本マナスル登山隊(槇有恒隊長)の今西寿雄らが初登頂に成功。日本人として初の 8000メートル峰登頂となった。
『南極物語』
1983年に公開された日本映画。蔵原惟繕監督、高倉健主演。第1次南極観測隊の体験談をもとに、昭和基地に取り残された樺太犬「タロ」と「ジロ」の姿を描き、大ヒットした。
大場満郎
1953年生まれ。83年、南米アマゾン川の源流から6000キロをいかだで下る。86年、北磁極を単独踏破。94年から北極海単独徒歩横断に挑戦し、97年、4度目の挑戦で、世界初の北極海単独徒歩横断に成功。99年には南極大陸単独徒歩横断に挑戦し、成功。世界で初めて南北両極の単独徒歩横断に成功した。2000年、植村直己冒険賞受賞。著書に『南極大陸単独横断行』(2001年、講談社)など。
南極観測船「しらせ」
1983年から2008年にかけ、第25~49次隊を南極に運んだ南極観測船。南極観測船としては「宗谷」(1956~62年)、「ふじ」(65~83年)に続く三代目。2009年からは新しい「しらせ」が運航している。