村上 基地の中は、現在はもちろん暖房完備。食事も、材料が限られているとはいえ食べるに困ることはありません。お風呂も入れます。衛星回線で日本とつながっているので、データ通信も、電話も可能です。電話といえば、昭和基地の市外局番は国立極地研究所(極地研)がある東京都立川市の「042」です。昭和基地は極地研の下部組織なので、その「内線」という扱いになっているんです。私が基地にいたころは、極地研が板橋区にあったので、「03」でした。
郵便ポストもありますよ。ただし、郵便物は次の観測隊を乗せてくる南極観測船で運ぶしかないので、1年に1度しか配達・回収されないけど。そういうところで30人ほどが1年以上を過ごします。
荻田 同じ南極でも、滞在型だね。
村上 そう。荻田さんは移動型だから、ウェアも真夏用に、運動重視でつくる。いかに効率的に、素早く、目的地に着くかだけを追求するし、独りなんだから汗まみれでも着替えなくて構わないですよね。
一方で私の目的は、人間の集団が、極地でいかに楽に、快適に暮らすか。それを考えると、服を着替えない、洗わないなんてありえません。一緒にいる仲間が冷たくなる(笑)。
私が極地の服の理想形として求めるのは、ぬくぬくとした基地の中で、もう上着なんて脱いでしまって、それでも身に着けていたい、そういう一枚。防寒機能とかより、着心地重視。さらに言うなら、持っていける服にも限りがあるから、着回しやすさ、洗濯乾燥のしやすさが大切ですね。
荻田 でも、基地の外に出て活動することもあるでしょう?
村上 冬場でも基地の建物の間を移動することがあるので、そういうときは、分厚いダウンのアウターを着ます。外と中の行き来が多いので、靴と服をまとめて脱ぐにはどうするかなど、、着脱を簡単にするためのいろんなテクニックがクルーの間で編み出されていました。
長時間、寒いテントや小屋にこもって観測するときは、防寒着とアウターを着たうえで、象の足みたいな厚底ブーツをはきます。この靴なら、じっとしていても寒さに耐えられるんですが、その代わり、極めて動きにくい。走ったりしたら転んでケガをするでしょう。
基地を出て遠征するときは、ダウンだとやはり汗だくになるので、活動用のウェアがあります。極寒でカメラや観測機材のバッテリーがすぐ切れてしまうのを防ぐために、ウェアの内側、素肌に近いポケットにバッテリーを入れて温めていた。バッテリーを使うときは、「1・2・3!」と、一瞬でジッパー開けて、バッテリーを取り出して閉める。その一瞬で一気に体が冷えるから、手際が命に直結する。
ひとくちに「南極観測隊のウェア」といっても、用途によっていろいろあるんです。それらをどう使うかも長年、工夫が凝らされていますね。
南極に「ない」もの
荻田 先ほども話に出た、南極点にあるアムンゼン・スコット基地はとても巨大なんです。氷上なので基礎はなく、暴風にも耐えられるように高床式になっていますが、それほど高い建物ではありません。ただし、横幅だけなら国会議事堂より大きいと思います。
村上 10年くらい前に建て直されたんですよね。昔は巨大なドームの中にプレハブ小屋みたいな建物がいっぱい並び、ちょっとした町になっていました。
荻田 今はひとつながりの建物です。南極点到達の後、見学させてくれたので一通りまわってきました。バスケットボールのコートがある大きな体育館。グリーンルームには観葉植物が置かれていて、ヒーリング音楽が流れ、ソファに座って読書もできる。プレイルームには、音楽機材や楽器がたくさん備えられていました。
南極点という、地球上で一番住みにくいであろう場所に人間が長期間ずっと滞在するためには、ひたすら耐え忍んでいるのでは心身が保ちません。アムンゼン・スコット基地には、人間が快適に暮らすための設備が充実していました。
今はないそうですが、ドームのころはボーリング場まであったらしいです。
アメリカ都市部の快適な生活を、そのまま南極点に持ち込んだ印象です。
南極観測隊
正式名称は「南極地域観測隊」。南極圏の東オングル島に位置する昭和基地(国立極地研究所所管)を主な拠点として、天文学、地質学、生物学上の観測、調査などを行う。1年以上を南極で過ごす冬隊(越冬隊)と、夏季のみを過ごして帰還する夏隊がある。1956年に予備隊(第1次隊)が派遣された。2019年2月時点では第60次隊が南極で活動中。
昭和基地
南極大陸から4キロほど離れた東オングル島に建てられた、国立極地研究所所管の観測基地。1957年、第1次南極観測隊によって建設された。大小50以上の建物で構成されている。
アムンゼン・スコット基地
1957年に南極点付近に建設されたアメリカの観測施設。2007年からは、建物全体をジャッキで持ち上げる高床式構造となっている。名称は、1900年代初頭に南極点への初到達に挑戦した探検家、ロアルド・アムンゼン(1872~1928、ノルウェー)と、ロバート・F・スコット(1868~1912、イギリス)に由来する。
マナスル
ヒマラヤ山脈に属する、ネパールの山岳。標高8163メートル(世界8位)。日本は1952年から調査隊を派遣し、1956年5月、第3次日本マナスル登山隊(槇有恒隊長)の今西寿雄らが初登頂に成功。日本人として初の 8000メートル峰登頂となった。
『南極物語』
1983年に公開された日本映画。蔵原惟繕監督、高倉健主演。第1次南極観測隊の体験談をもとに、昭和基地に取り残された樺太犬「タロ」と「ジロ」の姿を描き、大ヒットした。
大場満郎
1953年生まれ。83年、南米アマゾン川の源流から6000キロをいかだで下る。86年、北磁極を単独踏破。94年から北極海単独徒歩横断に挑戦し、97年、4度目の挑戦で、世界初の北極海単独徒歩横断に成功。99年には南極大陸単独徒歩横断に挑戦し、成功。世界で初めて南北両極の単独徒歩横断に成功した。2000年、植村直己冒険賞受賞。著書に『南極大陸単独横断行』(2001年、講談社)など。
南極観測船「しらせ」
1983年から2008年にかけ、第25~49次隊を南極に運んだ南極観測船。南極観測船としては「宗谷」(1956~62年)、「ふじ」(65~83年)に続く三代目。2009年からは新しい「しらせ」が運航している。