「自分なんて生まれてこなければよかった」……一度は考えたことがある人は多いのではないでしょうか。長く続くコロナ禍において、これまで推奨されてきた「出勤して働くこと」「人と交流すること」などがどんどん制限されていくなか、精神科医の香山リカさんは臨床の現場で「生まれてきた意味」を問われたり、「死んでしまいたい」気持ちを語られたりすることが増えてきたといいます。
近年話題の「反出生主義」と、何か関係があるのでは? これを深掘りすることで、何か見えてくるものがあるのでは? 反出生主義を扱った書籍『生まれてこないほうが良かったのか?』の著者である哲学者・森岡正博さんと、「生と死」について、「自分と他者」について、「私」について、とことん語り合います。
反出生主義とは何か
森岡正博(以下「森岡」) ここ1~2年、「反出生主義」というものがメディアなどでも取り上げられたりと、注目を集めています。では、その反出生主義とはいったい何かというところから話を始めたいと思います。
反出生主義の定義は世界的にもまだ定まっていないのですが、私の考えでは、大きく分けて二つの視点があります。一つは「私は生まれてこなければよかった」。そしてもう一つが「我々は子どもを産まないほうがいい」、あるいは「産むべきではない」ということ。つまり、「生まれてきたこと」の否定と「産むこと」の否定、この二つが合わさって反出生主義と呼ばれる考え方が成り立っているといえます。前者は古代ギリシアからあったもので、後者は最近現れました。
そして、どちらの主張も、出生の否定、すなわち「そもそも人が生まれてくること自体が良くないことである」という考えに基づくものです。2006年に出版されて話題になった反出生主義の書、『生まれてこないほうが良かった』(邦訳はすずさわ書店、2017年)の著者である哲学者のデイヴィッド・ベネターは、どんな人にとっても、この世に生まれてくることは生まれてこないことよりも必ず悪い、と言っています。
なぜか。ある人が生まれてきてこの世に存在する場合には、必ず何らかの苦痛と快楽が存在します。逆に、その人が生まれてきていない場合には、その人自体が存在しないのだから、苦痛も快楽も存在し得ない。その二つの状況を比較したときに、前者のほうが「悪い」というのがベネターの主張です。「苦痛が存在する」ことは確実に悪いことだけれど、「快楽が存在しない」というのは、悪いこととまでは言い切れない。その「快苦の非対称性」ゆえに、生まれてきて「苦痛も快楽も存在する」よりも、そもそも生まれてこずに「苦痛も快楽も存在しない」ほうが絶対に善いんだ、というわけです。