溝口 ウイッケンハイザー委員、言葉が強いですよね。バッハ会長と森前会長は、友情などと言っていますが、カネと利権で繋がっていただけで、お互いの保身しか考えていないですよ。本当の友情だったら最後までかばいますからね。
森氏も国際的には貢献していた部分もあります。とはいえ、それはそれ、これはこれなんですよ。フランスの『ヴァンミニッツ』という雑誌で「森は法定速度時速130キロの道路を時速300キロのスピードで駆け抜けていった」という表現がありました。フランスでは、国際社会では免許没収、レッドカードなんです。ですが、日本では、森氏が時速300キロで走っていても「森さんだから」と許されてしまいます。森氏はもうオリンピックの組織委員会の会長になった時点で、国際基準の道路を走っているのに、国内のつもりでいたんでしょうね。日本国内だと誰もが大目に見てきたわけです。
それなのに今回の件では女性蔑視発言に対して、日本でも海外でも一発レッドカードなのだということが一気に突きつけられた。それで森氏的な人たちがみんな、「どうしよう、これ、言葉狩りじゃないか」などと混乱状態になってしまったというのが、発言当初の状況だったと思います。
でも、五輪を迎えるというのはそういうことなんですよ。黒船がやってくるんです。人も考え方も思想も日本に持ち込まれるのです。箱モノだけ揃えるのが開催準備ではありません。本来、五輪に備える大本であるはずの組織委員会が、じつはいちばん受け入れ準備ができていなかったということが露呈した。私の中では今回のことをこんなふうに考えています。
――オリンピアンOG、OB含めて、アスリートたちは五輪憲章というものをきちんと学びます。研修もしっかりとある。ところが、組織委会長がおそらく一行も読んでいない、あるいは、目を通していたかもしれないけども血肉になっていないっていうことが、一気に世界にさらされました。よく、日本は外圧がないと変われないと言われますが、国内で看過されてきたこと自体が問題です。
溝口 五輪憲章がどういうものなのか、五輪を招致しておきながら、日本国内では主体となる組織委も報道するメディアも理解していなかったわけですね。
もう一つ森氏の発言で、あまり問題視されてないものがあります。「女性は会議が長い」という、そちらがクローズアップされたのですが、それよりもあの発言についての謝罪会見の時の方が、完全にレッドカードの連発だったんです。特に、「皆さんが邪魔だと言われれば、老害が粗大ゴミになったのかもしれませんから、掃いてもらえればいいんじゃないですか」。
これは老人差別です。自らを盾にするつもりだったのかもしれませんが、これを森氏が言ってはいけません。一般社会ならだいたい60~65歳で定年ですよ。それでも80歳を超えても卓越した功績があるから、能力があるからということで会長になったはずです。ところが、こういう窮地になった時に、高齢者という「弱者」のカードを振りかざすということが、もうトップの資質ではありません。
これによって、日本社会の全体が見えてきたんじゃないかとも思います。家父長制度で、長老が常にトップに立つ。上に物が申せない上意下達の武家社会のような構造の中で、組織にいる人たちは、要は「御恩と滅私奉公」の関係になっていくんです。
恩恵を受けている人たちは上に何も物が言えないわけです。彼らの「恩返し」というのは、組織を良くしようとするのではなくて、組織と組織の偉い人を守ろうとするほうに向かってしまう。本来だったらこういう不祥事があった時に、森氏に近い人たち、武藤(敏郎)氏(東京五輪組織委員会事務総長)とかが、森氏にノーと言わなければいけなかった。そこを、恐らく幹部の方々がわかっていなかったと思います。
フランスに息づく自由、平等、博愛と人権意識
――それとこの期に及んで、詭弁中の詭弁ですが、「森発言を女性蔑視だなんて言うが、それを言うなら人権問題を抱える中国や女性の権利を抑圧するイスラム諸国は五輪なんてできないはずじゃないか」という、擁護というか、論点そらしが出てきました。過失を認めず、まだ変わろうとしないところに根の深さを感じます。
これは、日本語の特質にも依っていると思うんです。溝口さんはフランス女子柔道のナショナルチームのコーチ経験もあるからおわかりのことと思いますが、例えばネット上でこういう言説がヨーロッパで流されたら、英語だろうが、ドイツ語だろうが、フランス語だろうが、ボコボコに叩かれるはずです。そのような言説ですが、この島国固有の日本語でだけ発信されているから、極めて内向きになって、相変わらず温存、継続されている。
溝口 日本は内向きになっているから、よけい自分たち、身内や仲間を守ろうという空気があると思うんです。ですがそういう発言は、フランスだったら、ボコボコにされます。現状では、人権問題を抱える中国や女性の権利を抑圧するイスラム諸国より日本は低いのです。そのエビデンスとして、最新のジェンダーギャップ指数で、日本は153カ国中120位。カースト制度が残り、慣習的、宗教的に女性は男性より身分が低いとされているインド(112位)や、イスラム教徒の多いセネガル(104位)、バングラデシュ(65位)といった国々よりも日本は女性の社会的地位が低いのです。ちなみに人権問題を抱える中国は107位です。よその国がどうこうではなく、自分たちの国の自分たちの問題として批判しているのだから。
フランスは1789年のフランス革命の時から、自分たちの命を削って人権を勝ち取ってきたのです。第二次世界大戦後は移民が入ってきて多文化共生社会を目指しました。その中では民族、宗教、性差別など、確執がいっぱいあったはずです。喧嘩になり、宗教、民族、人種、セクシュアリティなどの属性で相手を貶める現場もありました。しかし、フランス社会は共生への歩みを止めませんでした。
もちろんフランスでのコーチ時代、チーム内でも確執はありました。しかし、スポーツ界には多様性を受け入れていくのだという信念がありました。ある時、ウェイトトレーニングの場所取りが発端で、選手同士の小競り合いが始まったんですよ。その時は黒人の女性と白人の男性だったんですが、互いに露骨な人種差別発言をし始めたんです。すると、コーチが「もうやめろ。ここはフランスだぞ。フランスの自由、平等、博愛の精神を忘れるな」と一喝したんです。すごい、ここでその言葉が出るんだ、と思いました。フランス革命のモットーが今のフランス人の中につながっている。つまりは人権でつながっているんですね。
フランスの人たちは、あなたの意見も聞くけど、私の意見も聞いてねというスタンスです。日本は「あなたも黙ってね、私も黙るから」ですよね。そうなると結局、人権を守れないんですよ。波風を立てずに守っているようで守っていないんですよ。衝突してでも、意見を言って、傾聴するということができません。
女性蔑視発言
2021年2月3日のJOC(日本オリンピック委員会)臨時評議員会における「女性は競争意識が強い」「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」「女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらない」「組織委員会に女性は7人くらいおりますが、みなさん、わきまえておられて」などの発言。