あと、印象的だったのは、技能実習生を(日本側で)受け入れる「監理団体」で働いているという人からも、「見てよかった」という感想をいただいたこと。監理団体を批判しているようにもとれる映画ですから、嫌がられるんじゃないかと思っていたのですが……。「何を言ってるんだ、自分たちの団体はちゃんとやってるのに」と反発して終わるのではなく、「自分たちのところはちゃんとしていても、一方でこういう事実もあるんだ」と受け止めて、「見るべき映画だと思うので周りにも勧めます」と言っていただいて。この映画は、きっといい広がり方をしていくんじゃないかという希望を持ちました。
──海外の映画祭にも出品されていますが、日本の観客と感想は違いますか。
藤元 それが、ほぼ同じなんですよ。「主人公たちのつらさや痛みを共有した」と言ってくれる人が多かったです。「移民についての映画はこれまでにもたくさん見たけれど、日本にこういう問題があるのは知らなかった、考えさせてくれてありがとう」とも言われました。
もともと僕もこのテーマを、日本とベトナムでしか起きえない特別な社会問題ではなく、どこで起こってもおかしくない普遍的な問題として取り上げたいと考えていました。海外での反応を見て、この物語は国籍や住んでいる国を超えて伝わるんじゃないかな、という手応えは少し感じられた気がしています。
──そういえば、日本が舞台の物語ですが、日本人はほとんど出てきませんね。主人公たちが魚の仕分けの仕事をしている場面でも、1人の漁師が「早くしろ」と怒鳴るくらいで、他に一緒に働いている日本人などはほとんど映らない。なぜでしょうか。
藤元 一つには、これが主人公たちベトナム人女性の目線から描写した物語だということがあります。彼女たち自身が、そもそも周囲の日本人とそこまで親密になろうとしていない。その目線からすると、ああいう描き方になるわけです。
それと、実際の世界でも、彼女たちが「労働者」としてそこにいるという関係性からもう一歩踏み出そうとする日本人ってなかなかいないと思うんです。そういう意識の表れを見せたいという意図もありました。
あと、その漁師が怒鳴るシーンもそうですが、意図的にあまり日本人の映像は入れず、声だけが聞こえてくるという演出を多くしています。その声は「スクリーンに映っているあの人」ではなくて、映画を見ている私たち、自分たち自身が発している言葉なんじゃないか。そんなふうに感じてほしいと思ったんですね。そこまで想像を広げてもらえたら、とてもうれしいです。
──不法就労の状況にある主人公たちは、パスポートも最初の職場で取り上げられて所有しておらず、もちろん有効なビザもありません。映画の中ではそこまで描かれていませんが、いずれは強制送還のようなかたちでベトナムに帰るしかないのでしょうか。
藤元 ベトナムに帰るとしたら、入管施設に収容されて、送還されることは避けられないでしょうね。それが早いか遅いか、自分から出頭するのか捕まるのかの違いだけです。もしかしたら、映画で描いた物語の数日後には、もう捕まってしまっているかもしれない。彼女たちは、それだけリスクの高い、綱渡りのような状況にいるわけです。そして強制送還されたとしても、彼女たちはその経験を決して家族には話さない。墓場まで持って行くんだろうと思います。
彼女たちがどんなに苦労していても、「(不法滞在という)犯罪者だから同情できない」という感想もインターネット上では見かけました。たしかにビザを持たずに就労している以上、「犯罪者」というレッテルを貼られるのは仕方ないのかもしれない。でも、考えてみれば、最初の職場が彼女たちにきちんとした労働環境を提供していれば、そんなことにはならなかったんですよね。それを「犯罪者だからつらい状況に陥ってもしょうがない」と思考を止めてしまっていいのか。そのことは考えてほしいと思っています。
半径5メートルの「自分ごと」のテーマを描きたい
──あるインタビューで、藤元監督は「半径5メートルのことを誠実に映画にすること」が自分の持ち味だ、と話されていました。本作も、前作の『僕の帰る場所』(2017年)も、〈在日外国人〉の問題を扱った映画ですが、それも監督にとっては「半径5メートルのこと」だということでしょうか。
藤元 そうですね。僕が意識してたぐり寄せたわけではなく、自然と身近な存在になっていたという意味で「半径5メートル」だと思います。もしミャンマーに行っていなかったら、ミャンマー人の妻と出会っていなかったら、僕の撮る映画は全然違うものになっていたんじゃないでしょうか。
『僕の帰る場所』
映画『僕の帰る場所』(2017年):藤元明緒監督の第1作。ある在日ミャンマー人家族に起こった実話をベースに描いた作品。日本で働く夫を残し、妻と子供たちはミャンマーに帰国することを決めた……。