ところで武田麟太郎の手によって書かれた東京はといえば、雨が降ればすぐに水が出るのもそうだけど、同時に埃っぽくもある。吹きさらしの中を、右も左も掘っ立て小屋のような長屋が立ち並ぶ景色が多くの短篇で描かれる。それは関東大震災後の復興期に見せていた東京の相貌だ。どこもかしこも仮小屋のような急ごしらえの街並み。わずかに残った自然物たる川も池も、やはり彼の筆に写し取られるのは腐ったようなヘドロの充満したさまだ。とても住みたくなるような街じゃない。と、そこではたと思い至る。そう、東京にも「被災地」だった時代があったのだ。はるか後に東北を見捨てた帝都にも、病み上がりの青ざめた顔をしていた頃があった。どこもかしこも仮小屋のような、と書いた。それは被災地が、また建てた途端にぐらりと来ないだろうかと疑って、本腰を入れた普請にはいま一つ身を入れられない頃の街並みなのであった。どうやら地面が揺れることもなくなり、けれども一時だけと思っていた仮住まいが習いとなってしまい、中途半端な格好のまま今度は経済の伸縮に合わせて姿形を時々に変えるようになった街。この自律性を失った姿が昭和の東京なのだ。街自体がそうなのだから、そこに暮らす人々も同様に、居住や職を思うに任せない日々を送らざるを得ない。不況が来ればどっと街に失業者が溢れる。バラック小屋が立ち並び、飯場と結合しつつ巨大化する。行政によって追い払われる。息子は人を殺したり殺されたりするため大陸に連れていかれる。娘は口入れ屋と称する男の手に引かれ、ぼろぼろになるまで「稼がされる」……するうちに再びの罹災。飛び去っていく爆撃機を見上げながら途方に暮れる。
これが武田麟太郎の描いた昭和の東京の顔だ。どうしたってしょげかえっている他ない、いつも割を食わされる貧しい人々の顔だ。そんな人々の中でも唯一、不変の自律性を持っているのが役人と政治家である。武田麟太郎の生きた頃も今も、彼ら奉職者たちは人命を助けないという一点を固持する。炊き出しに並ぶ人々の横を車で通りながら、飯を食いたいのなら何も並ばなくたってウーバーを頼めばいいし、頼むカネがないならウーバーをやって稼げばいいのに、と不思議がることのできる公務員の鑑たち……彼らは武田麟太郎の小説には決して出てこない、当然だ。
いや、政治家も捨てたもんじゃないという意見もある。確かにそうかも知れない。少し前、2度目の緊急事態宣言が東京で出された頃だったか。ぼくは知人と電話で話していた。
「いろんな事情で食事できない人っていうのがいてねえ……どの人も本当に大変みたいで」
知人――中学からの知り合いで、今はテレビ局に勤める彼が言うのは、朝の情報番組の取材のために炊き出し現場に行った際の光景だった。
彼とは普段ならば、電話で政治的な会話というものをしない。したこともなかった。
「それで、そこに共産党の議員がいるから話を聞いて。議員の人たちは並んでいる人たちの相談に乗ってて、頭が下がりますよ」
だから、そう彼が言ったのに少しく驚き、しかしすでに接していた報道で、確かに野党の政治家が炊き出しや、その場に椅子と机を設けての行政支援に繋がるための相談会をしばしば行っていることは知っていたから、
「ああ、いろいろとやってるんだってね」
と、ぼくは言った。
「一日に何十人も相手して、いや、政治家にもね、ちゃんと困った人の相談に乗ってあげなきゃって思って、そうやって動いている人がいるんだって思って。頭が下がりますよ」
取材をした日の晩に電話をしたものだったからか、数時間前に目にした光景を忘れられないと言うように彼は繰り返すのだった。
短い逸話の中にも、ご覧のように心ある政治家はちゃんといる。とはいえ、この作文の中で赤旗を振ろうというんじゃない。ただ知人の中でも、ノンポリの権化みたいな者からさえ共産党への期待が洩れたことにわずかながら驚き、納得したというだけの話だ。
***
あいかわらず都市は新陳代謝をとめない一方で貧困への無対策を前に、人々は政治への虚無の感を深めていく。その反動として現れる刹那的な快楽への没頭。そのくせ、維新のような政党には一も二もなく惚れ込む無邪気さを持っているものだから……いや、いけない。これじゃまるで大衆は愚かだと言うみたいな口ぶりだ。もしも愚かに見えているのだとして、結局ぼく自身の投影に過ぎない。
また武田麟太郎に戻って――彼も弱く貧しい者から順々に死んでいく都市を見ながら、自分が心底から悲しんでいるという表明を小説内で惜しまない。けれども、悲しかったとは書かない。自分は感傷家だと言うその口で、死んでいく人々の食う飯と、出す垢やふけや糞尿やごみをこれでもかと書き記す。露悪の調子なぞこれっぽちもなく。そこに露悪の風味を一滴でも振りかけてくれたなら、まだ救いはあるのだ。悲惨をモティーフにした小説を作者と一緒に消費する罪悪感が、通俗的な物語に欠かせない要素であることを確認できるから。だけど、そこが武田にとって倫理のリミッターであるらしい。そのため彼のどの小説を読み終えても、読者のぼくは傍に寄ることもできず、蒲団に横たえられた死人の横顔を前にして幕が下りたことを知り、泣くに泣けない顔で眺めることしかできない。そして、この読者に張り付いた泣くに泣けない顔こそ、武田麟太郎という小説家の顔でもあるのだった。
これもいつだったか――とはいえそう前の話ではない。作家の鴻池留衣氏から電話がかかってきたことがあった。
何だと思って出てみれば、
「これから――宵の口といった時刻だったが――小佐野彈の家で飲みませんか? 彼、今ちょうど日本に戻ってきているから、よかったら一緒にどうかなと思いましてダメもとでお誘いするんですけど」
と、彼は言った。聞けば台湾に暮らす小佐野氏が日本に戻ってきているとかで、久しぶりに会って飲まないかという話が持ち上がっていたようだった。ぼくがコロナに感染するのを極度に恐れていると、おそらく鴻池氏は知っているために「ダメもと」と言ったのだろう。案の定というか、つれない返事をするぼくに対して、
「じゃあ、また今度。古川君もワクチン打ったら飲みましょうよ」
そう言って電話は切れた。
数日経って、ぼくは編集者(この文章を依頼してきた人物)と電話で話していた。四方山話のついでに、ぼくは鴻池氏と小佐野氏の一件を言った。
「そうそう、おれの所にも鴻池さん電話かけてきて。それも、すごい早い時間だったから、おれ半分眠りながら慌てて電話に出たら鴻池さんで、古川さんにも電話したけど来ないって……」
それから編集者は、
「古川、あいつ呼んだのに来ねえんだよお」
と、楽しそうに鴻池氏の、だいぶ身の内を酒が回り出来上がった調子を真似ながら言うのだった。
作家仲間の酒の場の会話を書いて、ぼくは一体何が言いたいのか? 羨望限りないということを言いたいのだった。二人の現代作家にとって、緊急事態宣言なる言葉は真面目に聞くに値しないものなのだ。新しい生活様式でもいい、それからステイホームも。他人の行動を統制するのに最も刺激が少なく、また口ずさみやすい単語が次々と生まれる。それがいかに社会上望ましく、好ましいものだとしてもキャッチコピーであることに変わりはない。人に好かれようとして生み出された言葉には、特有の臭みがついている。二人の作家は、その臭いで鼻を麻痺させるよりアルコールの香りを嗅いでいたいと判断したに過ぎない。
武田麟太郎もそうしただろう。