ここで最初に述べた1980年代がすでに21世紀のはじまりだったのではないか、という問題に引き寄せると、吉本は同じ「「反核」運動の思想批判」のなかで、「日本の社会が、世界のいちばん高度な資本主義社会が直面しているおおきな転換期に際会しているなという実感」(同書、52頁)について記している。この「実感」は20世紀から21世紀への実質的な転換が吉本にもたらしていたもので、その21世紀の「現在」をいち早く手探りする試みが『マス・イメージ論』から『ハイ・イメージ論』へと通底している、と振り返って理解できるように私には思えるのだ。私は総じて、吉本隆明は極端なまでに率直な思想家だったと思っている。『「反核」異論』が端的にそうだったが、ときに罵倒の度合いが過ぎると思わせるにしろ、吉本隆明はそのつど自分が感じたことを歯に衣きせずに口にするのである。原発問題でも、オウム真理教の麻原の問題でもそうだ。その一点において、「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ」という「廃人の歌」の一節は、思想家・吉本隆明のなかで最後まで貫かれている。亡くなって10年となるこんにち、吉本隆明ならこの世界の「現在」にどんな「真実」を口にしただろうか、と思う。