発生から2カ月以上が経過してなお、安倍晋三元総理殺害事件は衝撃の余波を失っていない。選挙活動で遊説中の元総理が、白昼堂々公衆の面前で射殺される――その経緯もさることながら、大胆な犯行に至った容疑者の動機が、政治的意図とはまったくかけ離れたところにあったという点でも異質だった。しかも本来の標的は旧統一教会(現在の「世界平和統一家庭連合」)のトップであり、それが叶わなかったため「代わりに」狙われたのが元総理だったという。常識的には考えられない論理だろう。
すでに随所で指摘されていることだが、本件は2008年の秋葉原無差別殺傷事件や2019の京都アニメーション放火殺人事件に似ている。いずれも周囲から孤立し絶望した個が、自身を疎外した社会に復讐を企てるという構図を共有している。違うのは、前2件では「秋葉原」「京アニ」という象徴的「場所」が舞台として選ばれていたのに対して、今回は「安倍晋三」という「人」が標的として選ばれている点だろうか。
とはいえ日々拡張を続ける情報空間のなかで、「人」と「場所」あるいは「人」と「物」との区別は近年ますます曖昧になってきている。そして人々の耳目を集める「タグ」としての機能に着目するなら、「安倍晋三」という毀誉褒貶の激しいコンテンツはいまや「秋葉原」「京アニ」に匹敵する恰好の対象と言ってよい。元総理の政治姿勢云々が真剣に論及されているわけではなく、存在自体がいわばネタ的に消費されているのだ。我が国における「政治的なもの」の位相が、そこから透けて見える。
もちろん本件を深掘りしてゆけば、米国主導の下で成された反共勢力の野合や、日本が朝鮮半島の歴史に対して持つ負債といった主題に行き着くだろう。しかしそれらを以て、このテロ行為の意味を解析することは到底できない。容疑者のものとされるSNSの書き込みから窺えるのは、標準的なネトウヨの世界観だった。それなりの整合性を備えているように見えても、歴史や社会といった文脈に対する想像力が決定的に欠けている。
むしろ問題なのは元総理殺害という重大テロすら、政治的意図抜きで起こり得るほど、現実と政治の関係が壊れている点にあるのではないか。報道がしきりと政治家と宗教団体の癒着を扱うのは、その居心地の悪さの埋め合わせなのかもしれない。いまや「政治的なもの」が占める場所はどこにもなく、情報と資本の論理がその機能を代行してしまっている。我々はそんな状況にすっかり慣らされ、疑問を抱くことすらなくなってきている。
桐山襲(きりやま・かさね)という作家をご存知だろうか。あえてそう問い掛けねばならない程度には、この人の名はマイナーだろう。その事実は認めねばならない。それでも1983年に作家デビューし、1992年に42歳の若さで病没するが、その間に10冊に及ぶ著作を遺している。とはいえそのすべてが絶版となり、入手不可能となっていたのだから、多くの読者を得るのが難しい状況だったことは想像に難しくない。潮目が変わったのは最近のことだ。
2016年に河出書房新社から文芸評論家の陣野俊史による評伝『テロルの伝説 桐山襲烈伝』が刊行された。翌年には同じ版元から、デビュー作『パルチザン伝説』が再刊されている。この流れを引き継ぐかたちで、2019年には作品社から大部の『桐山襲全作品Ⅰ・Ⅱ』が刊行。かくして1980年代の作家・桐山襲は、再び我々の前に姿を現わすことになった。
ところでいま「1980年代の作家」と紹介したが、これは一面において正しく、別の面では間違っている。現実問題として、桐山の作家としての活動期間はほぼ80年代に収まっているから、表現としては妥当だろう。しかし彼が作品の素材に選んだ事象のほとんどは、1960年代から70年代にかけての出来事だった。作家自身が学生時代に経験した反体制運動の趨勢が、繰り返しモチーフとして取り上げられているのだ。その創作姿勢は当時の基準から見ても、きわめて反時代的なものだったと言える。
改めて振り返っておけば、1980年代の文化は、明るい自己肯定感に満ちた華やかなものだった。好景気に後押しされて高級ブランド品が飛び交い、コピーライターが持て囃されていた。軽妙洒脱な表現が尊ばれ、暗く重苦しい主題は忌避され隅に追いやられてゆく。そんな状況を桐山は作中で「言葉が扼殺(やくさつ)された世界」と呼んだ。そして世の潮流に背を向けるように、10年以上前の学生運動のことを書き続けた。それは政治を政治として辛うじて語り得た時代の、最後の光芒の記録たり得ている。
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桐山がデビュー作『パルチザン伝説』の下敷きにしたのは、1974年に起こった三菱重工本社ビル爆破事件だった。学生運動の退潮期に起こったこの事件は、戦後日本国内の無差別テロの原点として記憶されている。死者8名・重軽傷者400名弱を出す大惨事である。犯行グループ東アジア反日武装戦線「狼」は声明を出し、「三菱」に代表される日本企業の振る舞いを、戦前の帝国主義に連なる侵略行為と捉え糾弾した。またその恩恵に与(あず)かる者は誰もが加害者であり、贖罪を免れないのだと断じた。
むろんこのような極端な拡大闘争を、世間が受け入れるはずもなかった。それまで学生らの反体制運動に親和的だった人々も、これを機に態度を改めることになる。顧みれば1960年代に始まる一連の政治運動の、自滅への道を決定づける事件だったと言える。「狼」たちの憤りを尻目に、日本社会は高度経済成長への道をひた走っていた。桐山はしかし、犯行グループの論理をさらに掘り下げ、この事件を彼らが目論んだもうひとつのテロ計画と結びつけて展開させてゆく。
そもそも爆破事件はなぜ、あれほど多数の犠牲者を生んだのか。それは本来、別の目的に使用されるはずの爆弾を転用したせいだった。犯人たちは本件の半月前、東京と埼玉の境に架かる荒川橋梁に爆弾を仕掛けようとしていた。橋を通過する列車を爆破するのが目的だった。だが思わぬ障害によってその作戦を断念、慌ただしく立てられた次の計画で標的に選ばれたのが、三菱重工本社ビルだったわけだ。では彼らの本来の標的は何だったのか。お召列車に乗り那須御用邸から都内に戻る途中の、昭和天皇その人である。