国際商品化されたオリンピック
そして、続いて1984年に開かれた次のロサンゼルス大会が、オリンピックを決定的に変質させてしまう。
1978年、アテネのIOC総会で、1984年の第23回ロサンゼルス大会の開催が決まった。実は、立候補したのはロサンゼルスだけだったので、IOCは「もしロサンゼルスが降りたら、オリンピックは一気に存亡の危機へと陥ってしまう」という切羽詰まった立場に追い込まれていた。その弱みに付け込むようにロサンゼルス側は、すべてマイペースでやれると強気になり、とんでもない内容の申請書をIOCに突きつけた。
第1に、IOCの規則、伝統、儀典などはほとんど考慮せず、自己流でやる。
第2に、ロサンゼルス市当局は法令でオリンピックへの公金支出を禁止したので、実業家の集まりである組織委員会が、大会が黒字になるように運営する。
第3に、大会から得られた利益は米国国内のスポーツ振興に使う。
要するに、ロサンゼルスは利潤を追求する企業によってオリンピックを運営することを鮮明に打ち出したのだ。
弱みを握られているIOCは、総会で、ロサンゼルス市が求めた「自己流」こそ却下したものの、「組織委員会が黒字になるように運営する」ことは認めてしまった。そのために「商業主義オリンピック」と言われ、国際商品化されることでオリンピックそのものが理念や理想のない巨大なスポーツショーへと根本から変質させられることになった。
このロサンゼルス大会によって、オリンピックは市場経済に飲み込まれてしまった。まさしくオリンピック史上最大のエポックと言って差し支えないだろう。
スポンサーと放送権が2本の柱
この大会で実業家の集まりである組織委員会のトップに選ばれたのは、北米で第2位の旅行会社の経営者ピーター・ユベロスであった。ユベロスは、より多くの収益を確保することを目指して徹底したビジネスを展開し、結果として1億5000万ドルの黒字を生み出した。
ユベロスが展開したオリンピック・ビジネスの一つの柱は、米国内でのオリンピックに関するテレビ放送権の市場化。専門会社にオリンピック・テレビ放送の市場価値を調査させた結果、「3億ドル」という数字が出た。ユベロスは、その額で入札するよう3大ネットワークを中心に働きかけたが、あまりに巨額すぎることから、交渉は難航。結局、ABCが2億2500万ドル(さらに国際映像制作のスタジオ建設費7500万ドル)で契約した。ジャパンプール(NHKと民放の連合体、現在のジャパンコンソーシアム)は、放送権料として1650万ドルと、技術提供などのサービス料200万ドル、合計で1850万ドルを支払った。
さらにEBU(ヨーロッパ放送連合)は、1980万ドルで契約。これらすべてのテレビ放送権料収入は、総額2億8000万ドルに上った。
以後、放送権料総額の7割を支払った米国の巨大テレビ局は、巨費を投じる見返りとして競技スケジュールを番組中継に合わせるよう要求するなど、オリンピックへの影響力を強めていった。
もう一つの柱がスポンサー・ライセンス(商品化戦略)だ。
1960年以降、オリンピックに商品やサービスを提供する企業は増えてきてはいたものの、それらの企業からの協賛金の額は、大会運営費には遠く及ばなかった。そこでユベロスは、スポンサー収入を一気に増やすために、「1業種1社、合計30社に限定、1社400万ドル以上」というオフィシャル・スポンサーの厳選方式を編み出し、組織委員会は1億3000万ドルの収入を得た。
スポンサーとして、米国の大企業ばかりでなく、多くの日本企業も契約している。このとき、その日本企業の契約を一手に仕切ったのが電通だった。
ユベロスが展開するオリンピック・ビジネスにいち早く飛びついた電通は、組織委員会と日本企業のエージェント権(代理店となる権利)を独占契約した。そして日本企業(海外法人を含む)23社のオフィシャル・スポンサーおよびサプライヤー(物品提供)契約を実現し、電通の存在を世界に示した。以後、電通は、他社の追随を許さないほどのオリンピック・ビジネス独占体制を固めることになる。
IOCのビジネス
ロサンゼルス大会に続く1988年の第24回ソウル大会の最高責任者となったのは、キラニンの後任である第7代IOC会長ファン・アントニオ・サマランチ(スペイン)。
サマランチは、黒字を生んだロサンゼルス大会を称賛し、公然と「商業主義大歓迎」と言ってのけた。そして、サマランチは、オリンピック・ビジネス全権をIOCが独占することを狙った。
そのための具体策として、サマランチは国際的スポーツマーケティング企業、ISL(インターナショナル・スポーツ・アンド・レジャー)社と契約し、新たなオリンピック・ビジネスに乗り出した。同社は1982年に、アディダスのオーナーであるホルスト・ダスラーと電通の共同出資で設立されたものだ。
サマランチが乗り出したビジネスは、IOCが定めたオリンピックのシンボルマークや標語、オリンピック大会のエンブレム(シンボルマーク)マスコット、ロゴなどを商業利用する権利を売る、というもの。サマランチは、このビジネスを独占する権利をISL社に与えたのだ。
ISL社はソウル大会に向けて、世界的に名の通った多国籍企業などからの資金提供を受けるために国際マーケティングプログラム(TOP)を創出した。その結果、コカ・コーラ、コダック(印刷関連)、3M(化学・電気素材)、VISA(クレジットカード)など外国企業7社、日本企業から松下電器産業(現パナソニック)とブラザー工業(ミシン)の2社が契約した。
1987年にダスラーが病死し、ISL社が危機に陥るなか、サマランチはIOCが50%出資して新会社を設立。ISL社との契約を解除してオリンピック・ビジネスを直接手掛けることで、より多くの収入の確保を目指した。テレビ局やスポンサー企業の評価を得るために、大会はショーアップされていくとともに巨大化していった。そうして、莫大な収入を得るようになるのに伴って、IOC内に金権体質がまん延していった。
過去に何度も起きた大会開催地をめぐる招致合戦のなかでのIOC委員と立候補都市の間の贈収賄事件も、こうした金権体質と無縁ではない。